ひとりぼっちの死について。
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記事:泉田理恵子(ライティング・ゼミ冬休み集中コース)
「あんなぁ? 死んだあと、オレを墓に入れてくれる人を紹介して欲しいんや。そんな制度、あるやろか」
某地方公務員として奉職して10年ちょっとを過ぎた頃だっただろうか。
窓口にそんな要望を携えた市民の方が来られて、絶句した覚えがある。彼は親族がなく、まだ高齢というには少し早い気がした。やせ型の、黒い枯れた感じの肌をした方で、確かにあまり健康には見えなかったが、それでも今からそんな心配はしなくても良さそうな風ではあった。
その頃の私は生活支援の担当だったので、この窓口に来られたのは少しお角違いだったのだが、幸い職員に詳しい者がいて、区の社会福祉協議会に繋げる事ができた。なにやら積み立て的な制度の紹介を受ける事になるはず、という話だったように思う。
もう、20年は前の話になる。その後、彼の人がうまく制度の恩恵を受けられたかどうかは想像するしかないが、あの時の、ひどく意表を突いた願いを背負って現れた彼の事を今でも時々フッと思い出すのは、今生きるのも大変なのに、一人で死ぬ覚悟をして、さらに「お墓」という終着点のわからない世界の心配をするその気持ちの、切なさのようなものを想うからだ。ちなみに我が家には、お墓が、ない。
うちにお墓がないのは、頑固者の父が、お寺さんと喧嘩して、私が小さい頃に檀家を抜けてしまったからだ。おかげで毎年お盆の法事も、ろくに執り行われた事がない家だった。
お墓はなくて法事もしないのに、仏壇だけは二つあったからますます変だ。ひとつは父の継いだ仏壇。もうひとつは母が、祖母が亡くなった時に実家のあった熊本から持って帰って来た仏壇。当初は御仏壇が一つの家に二つあるのはよくない、と言っていたけれど、母は譲らず、どんと皆の憩う居間にそれを鎮座させた。父も言いたい事はあったろうが、きっと些事と思う事にしたのだろう、私たちの心配をよそに揉める事はなかった。田舎のお仏壇だけあって立派なそれは、父の部屋に置かれた仏壇の1.5倍の威容を誇る。それは父と母の力関係を朧げに感じさせるものだ。頑固な父が、唯一、勝ちきれなかったのが美人な母だった。
その母も亡くなり、父は自分の部屋にあった仏壇を弟の家に譲り、母の仏壇と、母の可愛がっていた猫二匹とともに穏やかに暮らしている。母の仏壇の前には、母の骨壺がお祀りされている。しかし、先にも言ったとおり、我が家にはお墓がないので、お骨はもう4年ちかくもそのままだ。
行政の仕事をしていると、1年に何度かは意に添わぬ死や、孤独な死や、切ない死に出逢う。図らずも、私の職分には、昨年からそれに関する仕事が含まれるようになった。葬祭扶助という、この仕事が職分に入ったのは、実は人生2度目だ。最初の時は、ただただ戸惑うばかりだった。家で液化していた死体の身体に巻かれていた札束を遺留品として受けとった時は、ぐるぐる巻きにされたビニールの梱包を解いてパリパリに引っ付いた札を剥がしながら数える必要があり、その匂いの凄さに泣きそうになった。かなり特殊な体験がいくつもあり、葬祭扶助の連絡があるたびに、机にのめりたい気分になったものだ。
今では自分も年をとって、少し距離を置いて、ひとつひとつのケースを迎える事ができるようになった気がする。それでもやはり、馴れられるものではないが。行政が葬祭扶助した身元不明者の死亡の詳細については、告示板で広くお知らせする。紙一枚にまとめられた死が、ガラスケースの中で見つけられるのを待っている姿はどうにも切ない。
誰にも看取られずに一人で死んだ人は、まずは警察に通報され、事件性がないかを調べられる。法律でちゃんとそう定められていて、状態によっては、解剖に廻される事もままある。家の中に遺された物から、親族の調査が行われ、折よく親族が見つかればその人に連絡して葬祭となる。もし誰も見つからなかったり、居ても親族が拒否すれば、私たち行政機関に連絡がやってくる。葬祭までの流れはあまり難しくはない。警察と遺留品のやりとりがあったり、ご遺体の発見の経緯や場所がびっくりするようなものである事はあるが、たいていは、ご遺体と接することなく、書面作成に次ぐ書面作成で終結する仕事だ。
たまに、ご遺族が見つかり、彼の人の葬祭について直接相談を入れる事もある。受けて下さるご遺族もあれば、そうでない方もいる。私たちにとっても、ひとりでひっそりと亡くなった方の最後を送る、大切な務めだ。ご遺族と話して、その時、はじめて書面の向こうの人の生前の姿がちらりと見える。小さいうちに離れてしまった父、成人してからはずっと逢う事なく連絡先すら知らなかった兄、母、子……この国の中でたしかに1人分の人間のスペースが空いたのだ、と感じる。
この年末から年始にかけて、すでに数人の葬祭の話が来ている。毎年、年を超えるこの時期には、こころなしか葬祭が増える気がする。なにか、年を越えた事でホッと緩むものでもあるのかもしれない。一人で亡くなった方の骨は斎場が預かる。ある一定期間を置いて、無縁仏を供養してくださる決まったお寺に引き取っていただく流れだったはずだ。毎年、お施餓鬼には法要がある。けれど、そこに、だれかれなにがしという個人の名前が存在する気はしない。死んでしまった後はもう寂しくもないのかもしれないが、生きている間に自身がそのような死を迎える事を先に知っていたら……彼の人は別の人生を歩もうと、必死に何か策を講じたのではなかろうか。
お墓のない我が家で、父はさっきも書いたとおり、母の遺骨とともに猫らと暮らしている。意地っ張りで負けず嫌いで年を経るごと頑固さが増してきた。やはり、自分のこれからについて考えたりしているのだろうか、と、ふと考えると、切なくなる。
しかし、いきなり電話をしても、きっとぶっきらぼうな返事が返ってくるだけだろうと思うから、手が鈍る。いつか自分が取り返しのつかない後悔の涙を流さなくても良いように、優しくなりたいと、そう思いはするのだけれど。
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