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親に手を握られたことのない少年


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:瀬崎英仁(ライティングゼミ冬休み集中コース)
 
 
親に手を握られたことのない少年がいた。
人混みの中を通る時、普通の親なら、子供が迷子にならないようにしっかりと手を握るだろう。しかし、その親は違った。
「手首に捕まりなさい」
そう、手を重ね合わせるのではなく、親が子供に課したのは、手首を掴むことだった。
 
人間は、嫌な記憶は消し去り、良い記憶だけを覚えるように出来ている。
そんなことを何かの本で読んだ気がするが、あれは嘘だ。
今、白髪が目立つ年になったが、未だに、忘れられない出来事がある。
 
西宮えびすに初詣に行ったときだ。
まだ、私は5歳だった。
りんご飴、わたがし、金魚すくい、射的、お面……
神様にお祈りするよりも屋台を眺めるのが楽しかった。
周りには大勢の人だ。笑顔が溢れている。正月に暗い顔の人などまずいない。
神社に集まる人達が全員で作り出す幸せな空間、そんな雰囲気もワクワクさせた。
 
お目当ての金魚すくいの屋台が近づいてきたので、一緒に行こうと父の手を握った時に、
「うわあ、お前の手、気持ち悪っ、べちゃべちゃやんけ!」
予想しなかった言葉を聞いた。
 
私は手汗がひどかった。
子供ながらに汗かきは自覚していたが、その言葉はひどく私を傷つけた。
実の親に「気持ち悪い」といわれる経験は誰もができるわけではない。
動かない私を見て、何を思ったのだろうか、
「手首に捕まれ」と、続けた……
 
この日の出来事が忘れられないのである。
それはトラウマとなり、私のその後の人生に大きく影を落とすことになる。
 
手汗を以前にも増して気にするようになり、汗の量も続けて増えていった。
小学生になった私は、まず、ノートの板書で苦しんだ。
自分の手の汗でノートが水分を含んでいまい、鉛筆の文字が紙にうつらなくなるのだ。
字は決して下手な方ではなかったが、紙の上を思うように鉛筆が走ってくれなくなると、とたんに乱雑な文字になってしまう。
空調など全くなかった教室だ。
夏は特に汗が出た。
夏に書いたノートと冬に書いたノート。
同じ子供が書いたとは思えない程、冬のノートの方が綺麗だっただろう。
 
中学生になると、ファミコンブームが訪れた。
放課後、友達の家に集まり、これまでとは全く違う新しい遊びに歓喜した。
「手に汗握る興奮」
使い古された慣用句だが、まさにそれだ。
最も、私の場合は「手に大量の汗握る興奮」だったのだが……
水を張ったバケツに突っ込んだかのようにコントローラーが濡れていた。
手元のじゅうたんの下に出来た水染みを隠すのが大変だった。
 
アメリカ人女性の英語教師は苦手だった。
なぜ、外国人はすぐに握手を求めてくるのだろう? 理由はそれだけだ。
授業中は、とにかく彼女と視線を合わさないようにしていたが、その日は朝から嫌な予感がしていた。予感は的中し、彼女の目は私の目を捉えた。
すぐさま、英語で質問を投げかけられた。
質問の内容は覚えていないが、どうも正解してしまったのだろう。
彼女は「GOOD!」と、とびきりの笑顔と一緒に握手を求めてきた。
教室の雰囲気から避けることは難しく、しかたなく従った。
私の手を握るなり、彼女の顔は奇妙なねじれを見せ、すぐさま手を振りほどいた。
そして、高校の授業では習っていない何かを言った。褒め言葉でないことは確かだった……
 
初めてできた彼女には、
「腕を組んで歩くのが好きやねん」と嘘をついた。
嫌われるのが怖かった……
 
就職した後は、仕事上で相手方から握手を求めれる事もあった。
大げさに抱きついて逃れるという術を考えだした。
本来はそんな性格ではない事は強調しておきたい。
 
手汗というコンプレックスを隠しながら、今まで生きてきた私だが、今の妻と出会って転機を迎える。
彼女の前だと、誰にも言えなかった手汗の悩みも、なぜか吐き出せたのだ。
それからは、前向きに手汗に向き合えるようになった。
そして、どうしようもないと諦めていた手汗について調べることを始めた。
「手掌多汗症」
病気だったことを知り驚いた。そして、同時に手術できることも知った。
「治るんだ……」
いい映画のエンドロールを前にした観客のように、ぼーっと、PCのモニターを眺め続けた。
新しく生まれ変われる可能性に震え、その日の夜はなかなか眠れなかった。
 
「悩むことなんてないやん、すぐに手術してきたら?」
翌朝、妻から、まったく躊躇なく返ってきた言葉に震えた……。
手術には、それなりの費用がかかるため、家計をやりくりしている彼女を説得する必要を感じていたのだが、まったくいらぬ心配だった。妻は私の苦しみをすべて理解してくれていたのだ……。
 
妻の一言に救われたあの日から、5年が経った……。
エアコンの効かない車で、窓を全開にし、カーステレオから流れてくるTUBEの曲に合わせて軽く口ずさんでみる。外はうだるような暑さだが、ハンドルを握る手に、汗は一滴もない。道を曲がるたびに、スルスルと手の中を滑るハンドルに心地よさを感じる。
 
助手席に座っている妻がスマホを見てニヤニヤしている。やっと今晩の店が決まったらしい。彼女の「食」へのこだわりは凄いのだ。
「私、カルビやロースは、もう、あかんねん。 ハラミにしとくわ」
焼き肉屋に決定した事と、好みの肉が変わったとアピールしたい事は、わかった。
 
妻の嗜好の変化は、とっくの昔に気づいていたので、今さら驚きもしない。
ただ、手術後の自分の変化には驚いていた。
強調したいのは、単に手汗が止まったという体の変化ではない。体の変化で起こった、心の変化のほうだ。
生まれてからずっと、緊張すると手汗がボタボタと流れ落ちる人生だったので、緊張と手汗はワンセットだった。なので、逆に、手汗を掻いていないと
「あれ? 全然、緊張していないぞ。 すごいぞ俺!」となり、どんな場面でも過去の自分では考えられないような平常心を手に入れる結果となったのである。
 
これは、ビジネスでもプライベートでも、大きく役に立った。
人前でプレゼンすることも苦じゃなくなったし、あれだけ嫌がっていた外国人とのコミュニケーションも、いまや、自分から進んで友達を作る計画を立てているのだから笑える。
また、紙が手汗で湿ることもなくなったので、手書きのメッセージも苦手ではなくなった。
会社では、字の綺麗な瀬崎さんで通っている。嘘みたいだ。
 
そして、一番苦手だった、手をつなぐという恐怖も克服した。
思えば、父に手をつないでもらえなかったことが、始まりだった。
ここ数年で父の足腰もだいぶ弱くなった。
なので、手をしっかりと握り、ただただ歩いて、これまでの人生を話したい。
今の自分なら、きっと笑顔で話せるだろう……
 
 
 
 
***
 
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2021-01-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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