親の老いは、まるでクラシックギターの音色のように
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記事:清田 智代(ライティング・ゼミ日曜コース)
この春からしばらくの間、実家に居候させてもらうことになった。これは親が病気で看護が必要になったとか、経済的な理由があるからとか、そういうわけではない。私の一方的な都合によるものだ。我が家の両親は共に60歳を過ぎ、少し前から2人で年金生活を送っている。そんな両親と再び一緒に過ごすのは、10年以上ぶりになる。
私の父親が勤め人として働いていたころは、平日は朝の7時前には家を出るが、帰りが遅く、夜に顔を合わせるのはまれなことだった。本人も認めていたことだが、仕事ばかりで趣味のない人間だった。父も私ももともと口数が少ないタイプなので、まともに語り合った記憶がない。
一方、私の母親は専業主婦とパートタイムの仕事を交互に繰り返していた。心配性できれい好きで、朝から晩まで家事に時間を割いていた。ちゃんとした性格だけに不満が多いのか、文句が絶えなかった。最近は別居の祖母が痴ほう気味なのが心配らしく、よく祖母のもとを訪問しては、またも悩みの種を増やしているようだ。
2人とも周りに迷惑をかけるようなことや目立つようなことをしてはいけないという思いが強く、自己主張をすることなく、清貧に暮らすことを良しとする節がある。私はそんな両親との暮らしが窮屈に感じ、大学時代には家を出た。恥ずかしい話だが、それ以降の関係性は、専ら両親から娘への一方通行である。娘から両親へは、娘に何か不都合がある場合に限られる。
今回私が「しばらくの間」実家に住むにあたり、昔私が使っていた部屋を使わせてもらうことになった。ただし家具類は今、私が使っているお気に入りのものを持ち込みたい。だから私の部屋の、ガラクタだらけの押入れを開けてもらうこと、また高校生まで使っていた古い学習机や、妹とシェアしていた2段ベッド等は全て処分するようお願いした。両親は真に受けて、業者の手を借りずに自分たちの手でのこぎり等を駆使して机を解体した。ばらばらになった家具類は、しっかり自治体のゴミ出しのルールに従って処分したようだ。何を考えているのか、部屋の壁紙までも新しく張り替えてくれた。本来、部屋の整理は自分でやるべきことなのに、相変わらず、2人とも働き者だと感心した。
その一方で、私は仕事を言い訳に、退去作業の大部分を業者にお願いした。餅屋は餅屋、しっかり対価を払うのだから、時間と手間のかかることは専門家にお願いすればよい。使わないものは処分してしまえばよいと軽く考えていたものだから、引っ越し数日前の慌てぶりは痛々しいものだった。ライフラインの解約、転出・転入手続きなど、引越というのは簡単なものではないのに。親が近くに住んでいたら、これらの雑務までも委ねていたかもしれない。
情けない話だが、私は父も、母も、いつも健康で、何かあればすぐに助けてくれる存在だと思っていた。私の中では父も母もまだ現役世代のままで、今回の引っ越しも、暇を持て余している彼らにとってはむしろ仕事が発生して好都合ではないかとさえ思っていた。
そんな両親とともに暮らし始めてまだ数日しかたっていないけれど、それでも時の流れを感じずにはいられない。つまり、父母の老いである。
連日の引越作業が続いたためか、空の段ボールを片付けていた母が突然、めまいをおこした。引越日にも同じような症状があったらしい。父も父で「疲れた」とつぶやいていた。若いころの父からは聞いたことのない言葉だ。
父母の老い。今までそれに気づくことなく、言いたい放題わがままを言ってきた自分が急に、恥ずかしくなった。
今、父親は平日の日中も家にいる。日向に当たりながら、新聞を読んだり、庭の手入れをしている。その風景を見たとき、とても不思議な感覚を覚えた。また、音符なんて読めないはずなのに、時々縁側で、親戚のお兄ちゃんから譲りうけたクラシックギターを弾いている。
母の身長は日本人女性の平均よりも高かったはずだが、母の背はいつからか丸くなっていて、最近またもひとわり小さくなったようだ。昔は化粧で隠れていた肌にはうっすらと大きなしみのようなものがある。明らかにしわの数も増えていた。
母は父に文句を言いつつも、2人の生活には一定のリズムが流れているようだ。そのリズムは2人が現役世代の頃とも、また私のそれともだいぶ異なり、良くも悪くも単調で、穏やかなものだ。それはまさに、父が奏でるギターのようだ。ギターの音色はいつもゆったりとしていて、同じメロディが繰り返し流れている。
親の老い。それは娘が知らぬ間にゆっくり、しかし着実に進んでいることだろう。両親のちょっとしたしぐさや様子に老いを感じては、娘の心は小さく揺れている。彼らとの生活に慣れてしまうと、また忘れてしまうかもしれない。でも今はささやかな、父の奏でるギターの音色がある暮らしをいとおしく感じている。
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