メディアグランプリ

きらめきの向こう側


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記事:深谷百合子(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
夕方、駐車場に着いた時はまだ明るくて、遠くにタンクや蒸留塔、煙突が見えた。所々錆びて赤茶けていて、いかにも工業地帯という風情だった。でも、日が暮れて工場の明かりが灯ると景色は一変した。沢山の明かりが水面に映ってゆらゆらと揺れている。
 
「乗船口はこちらです」とアナウンスがあり、ライフジャケットが配られた。私はクルーズ船に乗り込むと、いつもは遠くから眺めている光の粒を、目の前で見ることができる期待でワクワクしながら、初めて四日市の道路を走った時のことを思い出していた。
 
もう30年以上前の夏の日のことだ。夏休みに大阪から愛知県の実家まで、初めて単車で帰省した。高速を使わずに一般道で帰ろうと決めた私は、地図を見ながら初めての道を走った。三重県に入った頃には日が暮れていた。国道1号線に出てホッとしたのもつかの間、激しい雷雨に遭い、少し心細い気持ちになりながら、暗い国道をひたすら走った。
 
鈴鹿を抜ける下り坂にさしかかった時、急にはるか先に光のかたまりが目に入ってきた。四日市コンビナートだ。遠くから見える白色や緑色の光のかたまりは、何だか宇宙基地のように思えた。
 
「わぁ、きれい」
 
あと2、30分も走れば、あの明るいコンビナートの辺りだと思うと、さっきまで感じていた心細さは消えていた。
 
でも実際にコンビナートの近くに来てみて、私はそれまで上げていたヘルメットのシールドを下げざるを得なかった。鼻をつく臭いがしたからだ。何ともいえない化学的な臭い。
 
小学校の社会科の教科書に載っていた「夏でも窓を開けることのできない小学校」の写真が思い出された。もう公害なんて過去の話だと思っていたのに、まだこんなに臭いがするのかとショックで、一刻も早く通り過ぎたかった。
 
それから30年以上経った今、工業地帯の中に居ても、あの時に感じたような臭いはしない。クルーズ船からは、白色や緑色の光をまとった工場群が見える。乗客は皆オープンデッキに出て夢中でシャッターを切っている。
 
「これらの工場の明かりは、もちろん夜景のために点けているのではありません。安全のために、夜間も点検、保守を行う人がいるんです。そのために明かりが灯されているのです」とガイドの方の説明を聞きながら、そこで今働いている人々の姿を想像した。
 
私も以前は工場に勤めていて、変電所や排水設備、排気設備を運転、管理する仕事をしていたからよく分かる。自分と似たような職種の人たちが、今あの明かりの下で黙々と点検をしているのだろう。
 
私の働いていた工場でも、沢山の化学物質を使用していた。そして、そうした化学物質はそのまま大気や河川に排出することはできない。だから、適切に処理をして、法律で決められた基準値よりも厳しい自主基準を設けて管理していた。事故を起こさないよう、24時間交替で昼も夜も点検や保守を行った。それでも、近隣に住む人からは、工場から白い煙が出ていれば、それが水蒸気であっても「あれは何の煙だ? 体に害はないだろうか?」と問合せが何度もあったし、臭いが出れば、たとえ法律の基準値内でも、不快に思われ苦情を受けた。近くの川で魚が浮いたとなれば、「お宅の工場が有害なものを垂れ流したのか」と電話がかかってきて悲しかった。でも工場の中でどんなことが行われているのか分からなければ、不安に思われるのは仕方がない。一歩間違えば公害問題を引き起こすのも確かだ。だから、時間をかけて信頼関係を築いていくしかなかった。
 
四日市のコンビナート近くに住む人にとっても、公害問題は決して過去のものではなく、いつも不安と隣り合わせで生活しているのかもしれない。そして、まだ当時の公害による喘息で苦しんでいる人もいる。過去に自分たちを苦しめたコンビナートが、今や工場夜景の聖地と言われて観光スポットになっている。そのことに複雑な思いを抱く人だっているだろう。その一方で、いつまで経っても「四日市と言えば公害の街」といったイメージに複雑な思いを抱く人もいるだろう。
 
目の前に広がっているきらめきの向こう側には、色々な人の色々な思いがある。ただ無邪気に夜景の美しさを楽しむだけではなく、そうした人々の感情にも思いをはせたい。なぜならこのコンビナートで作られているものは、私たちの日常生活に深く関わっているからだ。
 
四日市コンビナートには、石油化学工場、火力発電所等がある。私たちの日常生活で使われている多くのものは、石油化学製品が使われている。例えば、今夜景の写真を撮っているカメラやスマホの液晶画面。それができるまでには、多くの石油化学製品が使われている。その中には、この四日市コンビナートで作られたものが使われているかもしれないのだ。
 
30年以上前のあの日、「臭い」と思って顔をしかめた私だけれど、あの時乗っていた単車に使われていた部品やタイヤの材料、ガソリンだって、ひょっとしたらこのコンビナートで作られたものが使われていたかもしれない。そんなことを思いながら、60分のクルーズを終えて船を下りた。遠くにはさっき見た光がまたたいていた。
 
 
 
 
***
 
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2021-05-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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