フィリピーナと結婚した大久保君を探しています
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:池上 優子(ライティングゼミ・平日コース)
私が知る中で一番純粋に恋に走った男、大久保君は私の働いていた職場に中途採用で入ってきた。
彼の前職は小学校の先生で、優し気なㇵの字眉、いじられてもいつも笑っている眼差し、いつも同じ青いスーツ、お昼は手製おにぎり、盆栽いじりが趣味というオヤジかぶれの27歳。一風変わった彼のことがみんなすぐに好きになった。
そんな彼が、入社して半年ほどで辞表を出した。
ちょうど事務所には私と所長と大久保君の3人しかいない日だった。
「せっかく仕事も覚えたばかりなのに、どうした?」所長が尋ねると、
大久保君はためらいながら「実は僕、嫁さんと子供がいるんです」と言った。
背後で事務作業をしていた私は驚きのあまり固まった。
「え、そうなの?!」と所長。
「履歴書には書きませんでした。妻子はフィリピンに住んでいるからです」
「?!」所長も目を見張ったまま固まった。
「フィリピンで家族と一緒に住みたいのです」
「フィリピン人の奥さんって……」語尾を濁した所長の言葉に大久保君は、少しきまり悪そうに、でも正直に話した。
「恥ずかしい話なんですが、大学卒業後の春休み、記念旅行にと友達とフィリピンに女を買いに行きました」思わず私は振り返り、なで肩の青いスーツを見た。
そして彼は彼女との出会いから今までのことを語った。
一晩で恋に落ち、日本の連絡先を渡し、帰国してから数か月過ぎたころ「あなたの子供ができました」と連絡を受けたのだ。驚き、複雑な思いもあったが「ならば、日本で一緒に暮らそう」と妊婦の彼女を呼び寄せた。実家暮らしだったため、親を無理やり説得し、家の2階で彼女と住んだが、彼の母親は冷ややかだった。彼女はその冷たさに耐えかねて、フィリッピンに帰り、彼女にとっては3人目の子供を産んだ。それから彼はお金を作っては会いに行っていたが、ある時、小学校にそのことが知れ渡り、居づらくなって辞めた。そしてこの会社に来たということだった。
「ならば今まで通り、うちで働きながら妻子を養えばいいじゃないか」そう所長は言った。
「ええ、でも子供もしゃべれるようになりましたし、家族で住むのが一番かなと」
フィリピンの家は妻の親族と同居で、彼は彼女の叔父や叔母、従妹を含め10数人養っているという。
そこまで聞いて、私はもう我慢が出来なくなり、いきなり立ち上がって、
「大久保君、彼女はさ、初めからあなたのお金だけが欲しいの! 生活費が欲しいんだよ。だったら彼女の為に日本でお金を稼いで送ってあげてればいいじゃない。それが彼らの望む幸せなんだから。そうやって守ってあげればいいじゃない。あなたが向こうに行ったって、日本ほど稼げないよ、そうなれば、お荷物で周りに疎ましく思われるだけだよ!」と一気にまくし立てたのだ。
大久保君も所長も驚きのあまりぽかんとして私を見ていた。私は普段怒ったりしない性格だったから。気まずかった。
「……ありがとう、池上さん」と大久保君は言った。
ありがとう? と思いつつ、彼の次の言葉を待った。
「僕はね、僕の両親は2人とも教師をしていたんだけど、長い間、家庭内別居でね、家族がうちにいても誰もしゃべらないんだ。食事もそれぞれ違う時間だし、家の中が暗くてね、子供の僕には悲しかった。そんな家族が嫌だった。だけど、彼女の家族は明るいんだよ。いつも笑いがあって賑やかで。僕は彼らと一緒に生活がしたいんだ」
それでその娼婦の大家族を引き受ける気なの? 人生棒に振ってまで?
そう思ったけど、もう何も言えなかった。出過ぎた態度を謝ることさえも。
そして彼は辞めた。
所長は時折「あんときの池上さん」と言って茶化す。
半年ほどして大久保君はアロハシャツに短パン、浅黒く日焼けした顔で事務所に顔を出した。お土産と共に「これ、僕の家族」と言って、数枚の写真を見せてくれた。女優のルビーモレノに似た美しい奥さんと大久保君に全く似ていない東南アジアの幼児が映っていた。なのに「僕に似てるんだ」という。
「今僕ね、日本に出稼ぎ中なんだよ。向こうでは船頭の仕事をしているんだ。でもお金にならなくてね」
そして私の方を見ながら「池上さんの言葉、何度か思い出したよ。あんときはありがとね」とまたありがとうと言った。私は内心イライラした。お人好し過ぎるんだよ! って、怒鳴りたかった。
その夏だったと思う。フィリピンに大洪水が起きたのは。地形的に度々、洪水災害を起こす国だが、その時の洪水は歴史に残る大きな被害をもたらした。
大久保君を心配したけど、消息は分からなかった。
それから四半世紀以上が過ぎ、私は今年、ある国際基金に寄付をした。メコン4か国(フィリピン、ラオス、ベトナム、ミャンマー)のいずれかの貧しくて学校にいけない中学生ひとりに学費の援助をするというものだ。1年間で14400円の寄付。11月に1度だけ、その子から写真つきのお礼状が届くそう。
それ以外の関りはない、お金だけを送る援助。
何故、やってみようと思ったのだろう。自分でも不思議だった。別に裕福でもないのに。遠い国の見ず知らずの子供なのに。
「そういえば」と記憶に霞んでいた大久保君が浮かんだ。
彼の子供も早くに結婚して早くに子供産んでいたら、中学生くらいかなと。
あの時、お金だけを出せばいいと言った私。
お金では買えないかけがえのないものを選んだ君。
必死になって、全てを差し出していいものを君や君の奥さんは持っていたんだね。
君に言い過ぎたことを、謝りたい。
異国の地の舟、波乱の中、懸命に櫂を漕ぐアロハシャツの大久保君。
きっとまた会うと言うんだろうな、意味の分からない「ありがとう」を。
***
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