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「インド人の親友」


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:佐野 悠(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「どうして私の肌は肌色なのに、あなたの肌は黒いの?」
 
ある日の通学路、ランドセルに給食袋をぶら下げて、私は無邪気にこう訊いた。自分が無垢で、無知だった記憶として、いつまでも頭のなかに残っている。
 
小学生の時、インド人の友達がいた。名前はビニーラちゃん。小学生の時の同級生だったのは確かだが、果たして何年生の時だったか。十数年も前のことで記憶はおぼろげだが、確かに覚えているのは、彼女がインド人だったことだ。
 
インド人である。お隣の中国や韓国であっても海をまたぐのに、そのさらに向こう側。カレーとスパイスの国。ターバンを巻いたオジサンが壺に入った蛇を操ったり、象が花びらまき散らしながら鼻を振っていたりする、なんかそんなイメージの国、インド。茨城の田舎の小学生たちにとっては、完全に異世界である。転校生を紹介する先生の横で、オレンジのワンピースを着てはにかむ彼女を見ながら、未知の世界への好奇心と不安が、複雑なカレーの匂いになって立ち上っていた。
ビニーラちゃんは、最初は日本語すら覚束ない様子だったが、あっという間に日本語を獲得して周囲になじんでいった。しかしやはり細かなところでうまくいかないようで、農体験学習の日にワンピースで来てしまい、先生が慌てて予備のジャージを取りに行くということもあった。
私は、なにも考えていなかったので、彼女に「そのドレスかわいいね!」と話しかけた。転校初日に着ていた、オレンジのワンピース。サテンのようなテロテロした素材で、ドレープが豊かに波打っていた。田植えには絶対向かないが、それでもかわいい。彼女は花がほころぶように笑いながら、
 
「誕生日に買ってもらったんだ。毎年誕生日には、お父さんがドレスを買ってくれるの。」
 
と言った。
ショックだった。この世には誕生日の度にドレスを買ってくれるような家があるんだ。鼻たれ小学生には想像もつかない世界である。その晩、ドレスをねだって両親に泣きついたのは言うまでもない。
 
そんなこんなで、私とビニーラちゃんは仲良くなり、いつも一緒に遊ぶようになった。彼女と仲良くなって、私は初めてインドカレーが日本のカレーと全く違うことを知った。親が子どもの健康を願ってピアスを開ける文化があることを知ったし(彼女は常時3つのピアスをしていた)、同じ国内でいろんな言語がある場合があることを知った(ビニーラちゃん、なんと5つの言語を操るマルチリンガルだった)。彼女の話は、刺激的で、非日常で、ワクワクした。
 
しかしビニーラちゃんの話は、面白いものだけではなかった。ある日、インドには学校にいけない子どもがたくさんいる、道路に住んでいる子供もいるという話を聞いた。貧困も、ストリートチルドレンも、当時の私にとってはテレビのさらに向こう側にある存在で、目の前の友達がそうした世界から来たことがうまく結びつかなかった。
戦争という単語を、初めて実感をもって聞いたのもビニーラちゃんからだ。長じてから調べてみれば当時は印パ紛争の余韻がくすぶる不穏な世情で、彼女は自分の国のそうした状況を、はっきり「怖い」と話していた。具体的な話の内容は全く覚えていないのだが、平穏な春先の通学路で聞いたその「怖い」だけは、踏みしめた草の感覚とともになぜか覚えている。
 
未知の世界。異文化。戦争だとか貧困だとか、なんだか不穏で怖いもの。
そうした単語を思い浮かべるとき、私の頭のなかで彼女が着ていたオレンジのワンピースがひるがえる。なにも知らないで野放図に日々を過ごしていたあの頃。通学路で彼女を通して触れた色々な世界の話が、初めて触れた、様々な現実がうごめく生のままの「世界」だった。
 
ビニーラちゃんは、中学校に上がる前にインドに帰った。
時は流れ、私は市役所に就職した。所属は子ども福祉課。子育て支援、そして児童虐待の対応をする部署である。
 
虐待を受けたかもしれない子どもを見つけたとき、連絡先として児童相談所や警察を思い浮かべるかもしれないが、実は市も指定されている。
「子どもの泣き声が聞こえる」「夜遅くに子どもだけで歩いているのを見た」 電話の内容は多岐にわたる。そうした連絡を受けると、職員は確実に子どもの安全を確認する義務がある。学校や家庭に赴き、その時何があったのか、その子に何が起こったのかを明らかにして、子供の安全を守らなければならない。
笑い話で終わることもけっこうあるし(ゴ〇ブリが出て大騒ぎしたので、それかもしれません)、ささやかな話し合いで解決することも多いが(お父さんがもっと子育てに参加しないとだめですよ)、本当に、本当に残念なことに、辛い悲しい環境に生きる子どもたちは、私の働く小さな市でも、それなりの数、存在する。
通報を受けて訪問に行った先、ドアの向こうにいるのが幸せな家族か、陰惨な暴力で支配された家庭か、行ってみなければわからない。子どもの時通学路で触れて怖いと思っていた、世界にある不穏なもの、どうしようもないものが、具体的にそこにある。ドアを開けるとき、いつも怖くてたまらない。脳裏にあのワンピースが翻る。
 
あの日の通学路、私は、ビニーラちゃんのチョコレート色の肌を見て訊いた。
「どうして私の肌は肌色なのに、あなたの肌は黒いの?」
 
今なら思う。肌の色を話題にしてはいけない。世界のどこかでは、もしかしたら日本でも、それを理由付けにした陰惨な差別がある。外見の違いは分かりやすい違いとして捉えられてしまう。私たちだって無縁じゃない。ビニーラちゃんは美しかったが、今にして思えばクラスメイトから遠巻きにされていた。田植えの日にワンピースを着てくるビニーラちゃん、ビニーラちゃんが書くちょっと変わった平仮名。クラスは和気藹々としていたが、少しでも、彼女の「ちょっと変わったところ」を馬鹿にした空気も混じっていて、私も確かに、その空気の参加者だった。
 
人権に今よりもっと疎かった当時、ましてや無邪気で残酷な小学生社会。差別という現実も、思えばすぐ手の届くところにあった。そうでなければいいと心から思うが、ビニーラちゃんも、感じることもあったかもしれない。しかしビニーラちゃんは、笑顔で私にこう答えた。
 
「あのね、産まれたときに入れられたお湯の温度が違うんだって。産湯の温度が熱いと黒い肌になるの。水だったら白い肌になるんだよ。だからはるかちゃんの入った産湯はちょっと温かったんだね。」
 
私はこの答えに「そっかー!」と大いに納得し、ところで学校のプールの水って温すぎるよねなどと話しつつ家に帰った。以降、私は中学に上がる直前くらいまで、大真面目にこの話を信じた。私にとっての肌の色の違いは、産湯の温度の違いで、それ以上ではなかった。
どんなに世界が複雑でも、不親切でも、当時の私たちにとってはこれだけの話だった。私は当時、無垢で、無知で、なにも考えていなかった。しかし、だからどうした。それでどうにかなっていたし、毎日は楽しく、ビニーラちゃんとの仲は良かった。世界はとても単純にできていた。
子どもたちが、野放図なまま生きられるといい。無垢で無知なままでいい。世界にある、不穏なもの、理不尽なものなんて、知らなくていい。
あの日のビニーラちゃんとの会話を思い出しながら、今日も仕事をがんばろうと思う。
 
 
 
 
***
 
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2021-08-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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