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ゲシュタルト崩壊する園児の朝のルーティン

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:吉田けい(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
どんなにぐっすりと眠っても、息子は朝起きるのを嫌がる。
 
「ねむいよお!」
 
無理やり起こしてリビングに連れてくると、時には寝ぼけ眼をこすりながら寝室に走って戻って二度寝を決め込んでしまう。そこで更に無理に連れてくると大泣きするので、5分ほど二度寝させてあげるのが正解だ。大人だってもう少しだけ微睡んでいたい朝もあるのだから、それくらいは見逃してやらなければなるまい。本当の戦いはこれからなのだ。
 
何とか起きた息子に朝食を食べさせ、幼稚園の制服に着替えさせる。その傍らで0歳の妹の離乳食や授乳の準備をする。しぶしぶとされるがままにしていた息子は、制服を着終えたあたりでそれはそれは悲しそうな顔をしてその場にうずくまる。
 
「ようちえん、いきたくない」
 
またか、と、私と夫は顔を見合わせる。
 
幼稚園に入園してから毎日のように──いや確実に毎日聞いたセリフだ。もう10月だというのに、息子はいまだに朝はめそめそ泣いているのだ。あれやこれやと宥めたり、お菓子などのご褒美で釣ってみようとするのだが、どれも一瞬顔を輝かせるものの、数歩進んだらまたしゃがみこんでうつむいてしまう。怒鳴って泣かせてしまっては逆効果と分かっているものの、登園時間のリミットが刻々と迫ってくると、こちらの余裕もなくなってきてつい語気が粗くなる。結局、怒鳴りつけるようにして玄関に追い立てて、靴を履かせ、電動自転車の子供用座席に乗せるのだ。
 
自転車に乗って一件落着というわけにはいかない。今度は幼稚園の駐輪場で自転車から降りたがらない。降りたら降りたで前に進まず、幼稚園の門まで着いたら着いたで中に入らず、行きたくない、行きたくないと哀れな声で私にしがみついてくる。それは送る親が夫でも同じようだ。最終的には泣き叫ぶ息子を抱えて園庭に入り、息子のクラスの下駄箱前で補助の先生に引き渡し、逃げるように帰宅する羽目になるのだ。息子と同じクラス、同じ学年の園児たちは、幼稚園の門でニコニコと親と別れ、自分で下駄箱まで歩いていく様子とはずいぶんな違いだ。親と一緒に歩く距離が長い分だけ息子が幼い、未熟だと示しているようで、息子を担いで園庭に入るといつも胸の奥がずきりと痛んだ。
 
お迎えに行くと、息子はそれはそれは嬉しそうな笑顔で抱き着いてくる。先生に話を聞く限りは園生活を満喫している模様で、お友達もできた様子。幼稚園でお友達が出来ないだとか、誰かにいじめられているだとか、そんなネガティブ要素があるなら登園しぶりも致し方ないと思えるが、かなりのわんぱく坊主として満喫しているようなのだ。ならばどうしてそんなに行くのを嫌がるのだろう? ある日のお迎えの帰り、私は息子に聞いてみた。
 
「ゆーたん、幼稚園は楽しい?」
「うん、たのしい」
 
息子は晴れやかな笑顔で即答した。この日の朝も、息子は死に物狂いの大泣きをして、先生に引き渡されまいと私に必死にしがみついていたのが嘘のようだ。
 
「何が楽しい?」
「いっぱいあそべるし、きゅうしょくがたべれる!」
「そうかあ」
 
十分満喫してるじゃないか。
 
「じゃあ、どうして朝は泣いちゃうの?」
「あのねえ、さみしいから」
「さみしい?」
「パパと、ママと、ひかりちゃんがいなくなっちゃうから、さみしくてないちゃうの」
「……そうかあ」
 
幼稚園が嫌いなのではなく、自宅と離れることが悲しくて泣いているのか。そんなことを言われたら、明日の朝から登園渋りを叱れなくなってしまうではないか。親としては嬉しい回答だったが、問題解決のヒントにはならなそうだ。翌日朝もいつもと同じように寝起きでぐずり、行きたくないとうずくまり、何とか宥めて幼稚園までやってきた。お友達がスイスイと門から園庭に入っていくのを横目に、息子は唇を真一文字に引き結んで、柵の向こうの園庭を、お友達を、先生たちをじっと見つめている。何を考えているんだろう。家と幼稚園と、どちらが楽しいのか値踏みしているのかな。
 
「……ゆーたん。じゃあさ、ママと一緒に100まで数えてみようか」
「ひゃく?」
「今日の給食はハンバーグだから、ハンバーグ100まで数えよう」
「おれのすきなはんばーぐ?」
 
苦し紛れに私の口から出てきた提案に、息子は思いのほか顔を輝かせた。
 
「はんばーぐ、かぞえる!」
 
ハンバーグを数えるっていったいなんだ。そんなことが脳裏によぎりつつ、息子と一緒にハンバーグを数えた。1ハンバーグ、2ハンバーグ、3ハンバーグ……数えていくうちにハンバーグがゲシュタルト崩壊していく。数字もゲシュタルト崩壊して、1から10までちゃんと数えられているのか分からなくなってくる。64ハンバーグ、65ハンバーグ、次は67? 67ってもう数えたっけ? 72ハンバーグ、73ハンバーグ。1から10までってこんなに早かったっけ。99ハンバーグ、100ハンバーグ。
 
「ひゃくはんばーぐ!」
 
渋い顔をしてばかりだった息子の顔が、満面の笑顔に変わっていた。
 
「……じゃあさ、給食室に行って、ハンバーグの匂いがするか確かめてみようか?」
「うん!」
 
いつも嫌だ嫌だと泣いてばかりの息子が、パッと駆け出して、自分から園庭へと入っていったではないか! 門のところで体調チェック係の先生、いつも泣き叫ぶ息子を見て気を引くのを手伝ってくれていた先生も驚いて、慌てて体調カードにチェックを入れてくれる。息子の鞄をもって急いで園庭に行くと、息子は給食室の前ではんばーぐ! はんばーぐ! と大声で叫んでいた。そのまま何となく下駄箱の前まで連れていくと、はんばーぐのテンションそのままに、担任の先生に引き渡されて行ったではないか!
 
「…………よろしくお願いします!」
 
目の前の現実が現実だとまだ脳が認識できない。狐に化かされているんじゃないか? 何となく足取りが重くなりかけるが、担任の先生のアイコンタクトにハッとして足早にその場を去る。息子はキラキラした目で、今日はハンバーグなんだよ、と先生に一所懸命話しかけている。給食の献立を数えただけなのに、それでこんなに息子の気分が変わるなんて。
 
帰りの自転車を漕ぎながら、嬉しそうな息子の様子を思い出す。幼稚園が嫌なのではなく、家が大好きだから行きたくないのだと言っていた息子。大人にすれば保育時間の数時間などほんの一瞬なのだが、小さな息子にはとても長い時間に感じていたのかもしれない。登園する時は、次に家族に会えるのはどれくらい後なのだろうなどと考え、落ち込んでいたのではないか。そんな気分の時にハンバーグを数えたことで、息子の気持ちを家族から幼稚園へと向けることが出来た。幼稚園には家にはない楽しいことが待っている、そんなことを思い出すことが出来たのではないか。
 
それ以来、朝は幼稚園の門の前で給食の献立を調べ、お気に入りのメニューを100まで数えるのが息子の登園ルーティンになった。どういう理屈で息子の元気が出るのかは本人が教えてくれないので謎のままだし、数えていくうちに数字と献立がゲシュタルト崩壊していくのだが、園庭の木を見上げながら息子と数字を数える時間は、忙しい朝の時間をふと立ち止まらせてくれるようで私も気に入っている。
 
ほんの小さなきっかけが、子どもを劇的に変えてしまうこともあるのだ。
 
 
 
 
***
 
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2021-10-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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