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なるはやで足軽から武将になれば良かった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:光山ミツロウ(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「アタシ、泳いで帰るんで!」
 
そう叫んでカウンターにドッカと座った中年女性は、ドヤ顔で酒を注文した。
 
「アタシ、ここで飲んだ後はいつも泳いで帰ってるんで! あふっ」
 
彼女のドヤ顔はキープされたままだった。
 
「酒飲んで泳いで帰れるんですかぁ? だめじゃないですかぁ、あはははは」
 
人の良いマスターが話し相手をかってでた。
 
深夜の酒場でのことだ。
 
L字カウンターの長い方にこれから泳いで帰る女性、短い方に私が、それぞれ座っていた。
 
「今日、何軒目です?」とマスター。
 
「3軒目ぇ! あふっ」と泳いで帰る女性。
 5、6人も入れば満杯になる狭い店内、否が応でも会話が耳に入ってくる。
 
「マスター、ビールのお代わ……」と言いかけた私は、2メートル程の間隔をあけて座る彼女と、バッチリ目が合ってしまった。
 
見たところ50代。
ふくよかな体躯に、髪型は80年代風ソバージュ・ヘア。
 
何をそんなに詰め込んでいるのか、パンパンに膨らんだリュックを背負ったままで酒をあおる彼女の目は、座りに座っていた。
 
その目の座りっぷりといったら、なかった。
こんなに目が座っている人間を、私は初めてみた。
 
敵の生首を前に、戦国武将があぐらをかいてドッカと座っているような、そんな落ち着きと狂気を併せ持った座りっぷりだった。
 
目が合った瞬間に、こちらの全てのことを見透かされているような、そんな目だった。
 
漂ってくる雰囲気にも何となく武将感があるし、髪型もよくよく見ると落ち武者ザンバラ風。とすると頑なに背負ったままのあのリュックの中身も、もしかしたら敵の生首かもしれない……いや生首に違いない。
 
そんな妄想を掻き立てられるほどの、目の座りっぷりだった。
 
その立ち居振る舞いから、おそらくこの店の常連なのだろう。
 
私と目が合った彼女は、私を見とめるなり、おなじ酔っ払いだと思ったのか、私に向かって改めて叫んだ。
 
「アタシ、この店の前に流れる川と同じ川沿いに住んでて、ここで飲んだ後はいっつも泳いで帰ってるんで! あふっ」
 
おそらく、彼女の持ちギャグだったのだと思う。
この店で飲んで酔った時の、彼女の定番ギャグだったのだ。
 
私は、彼女が入店以来、執拗に叫んでいる川沿いギャグと、その目の座りっぷりとのあまりのギャップに、うすら寒いものを感じた。
 
大の大人が、そして人生の先輩が、こんな目を座らせてギャグを放つんだ、と。
落ち着きと狂気とギャグが、人間の中に同居することもあるんだ、と。
 
とはいってもこの至近距離で、何も応えないわけにはいかない。
 
「あぁ、そうなんですね。それはそれは」
 
言った瞬間、私は「しまった」と思った。
 
思わず視線を逸らし、顔を伏せた。
 
戦国武将が直々にお声掛け下さったのに、テンション低めのトーンで適当に応えてしまった、と思った。
 
つい5分ほど前から飲みだした私は、不覚にも全く酔っていなかったのだ。
 
酔いに酔った彼女の目が戦国武将並みの座りっぷりだとしたら、ようやっとビール一杯を飲み終えた私の目は座ってもいない、いうなれば足軽並みの目だった。
 
武将が直々に、足軽にお声掛け下さったというだけでも、稀にみる光栄であるというのに、あろうことかその足軽がテンション低めのトーンで適当に応える。
 
全くもってありえない所業だし、世が世なら、武将がその刀を抜き打ちに一刀両断、私は既に絶命していたはずだ。
 
私の生首を前に、ドッカとあぐらをかいて座り、高笑いをしながら大酒をあおっている甲冑姿の彼女が容易に想像された。
 
自分のやってしまったことに、生きた心地がしなかった。
 
私は、私の次の反応を待っているであろう彼女の視線を感じつつも顔を伏せ、お通しの枝豆をつまむ、ドリンクメニューを眺める等して、この状況、どうしたものかと必死に考えていた。
 
酒席であることを差し引いても、ギャグが全く面白くなかった、というわけでは決してない。
 
問題はタイミングだ。
タイミングが悪かったのだ。
 
これが武将同士であれば、爆笑の渦だったに違いない。
 
「川沿いだから泳いで帰るって!? んなわけ! ぎゃははははは」
 
私がいまだ足軽であることが悔やまれてならない。
 
しかし、このまま、武将を放置しておくわけにもいかない。
 
私はさらに考えた。
 
足軽の頭で考えて、出てきた案は2つだった。
 
一つはこのまま足軽として生きていくこと。
 
「え!? 泳いで帰るんですか! 奇遇ですね! 私もです! あふっ」
 
嘘でもいいから武将に話しを合わせ、太鼓持ちでお調子者な足軽としてこの場をしのぐというA案。
 
そしていま一つの案は、私自身が短時間で出世をする、つまり「なるはやで足軽から武将になる」というB案。
 
私は迷いなくB案を選択した。
 
というのも、今はまだビール一杯目の足軽の身分だが、経験上、小一時間もすれば私も武将に出世する予測が立っていたからだ。
 
出世するなら早い方が良いし、相手が同格の武将とあれば、彼女も無駄に刀を抜くこともないはずだ。
 
それにA案は、何となく相手の軍門に下る感じがして嫌でもあった。
 
「よし、なるはやで足軽から武将になっちゃおう。そうして武将同士、楽しく酒を酌み交わそう!」
 
そう心に決めた私は、やっとの思いで顔を上げ、彼女の方を振り向いた。
 
が、時すでに遅しであった。
 
彼女が能面のような表情で、私をじいっと見ていたからだ。
 
その目は一切、笑っていなかった。
 
それは明らかに酔いが覚めた顔であった。
 
「あんたのノリの悪いリアクションのせいで、一気に覚めちゃったじゃない。何様っ!」
 
彼女の顔にはそう書いてあった。
 
川沿いギャグから能面へと一気に下降した彼女を前に、私は焦りに焦った。
 
「何か言わなければ、何か言わなければ……」
 
動揺した私は、ビールのお代わりを注文しつつ、思わず叫んでいた。
 
「え!? 泳いで帰るんですか! 奇遇ですね! 私もです! あふっ」(A案)
 
能面は能面のままであった。
 
私のわざとらしい声音が虚しく店内に響いただけであった。
 
程なくしてマスターがやってきて、私の前に静かにビールを置いた。
 
図らずも軍門に下った私の心中とは裏腹に、琥珀色のビールは鮮やかに光り輝いていた。


2022-05-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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