『大丈夫、貴女のためじゃないから』
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記事:むぅのすけ(ライティング・ライブ大阪会場)
それは土曜日の午後3時頃、息子の高校での保護者会の帰りのことだった。
私はごくたまに、用事で高校まで地下鉄の電車で行くのだが、わりと時間がかかってなかなか大変だ。
その度に、毎日通っている息子が、家で見えているよりも頑張っていることを思い知る。
そして目に入る高校生のすべてが、みんな保護者の知らない所で、いろんなことを頑張っているのだろうな、などと思えてきて愛しく感じてしまうのだ。
電車は自宅の最寄りの駅に着き、降りた先で気になるものを見つけてしまった。
女子高生がベンチに座ったまま、動かないのだ。
電車に乗るでもなく、誰かを待っている様子でもない。
ただぐったりと、うつむいて背もたれに支えられている。
具合が悪いのだろうか。
声をかけようとして、一瞬迷った。
このご時世、他人に関わられることを極端に避けたいと考える人は多い。
まして相手は思春期といえる娘さんだ。
たとえ心配して声をかけてきた相手が同性のおばちゃんであっても、困らせて、かえって無理をさせてしまうかもしれない。
でも彼女の様子は明らかにしんどそうだった。
駅員さんを呼ぶことも考えたが、この駅で女性の駅員さんは見たことがない。
ええい、ままよ!
男性の駅員さんからマニュアル通りの声をかけられるより、おばちゃんがおせっかいした方がきっとマシだわ!
と自分に言い聞かせ、私は彼女に近づいて行った。
彼女の近くに座って様子を見てみると、かすかに息をしているが眠ってはいなかった。
やはり顔色は悪く、相当つらそうだった。
念のために水を買ってから声をかけると、彼女は反応してくれた。
だがやはり、通りすがりに声をかけた私には、大丈夫だと言うのだ。
私は意を決して
とてもじゃないが大丈夫には見えないことを、ゆっくりと伝えた。
そして、声をかけた大人として、今の貴女をそのままにはできないことを話し、選択肢を提示して選んでもらおうとした。
一つは
駅員さんを呼んでくること
もう一つは
少し良くなるまで私が見届けること
どちらならいいかと聞くと、彼女は黙ってしまった。
どちらもイヤで、放っておいて欲しかったかもしれない。
彼女の緊張が伝わってきた気がした。
弱った時に知らない人に寄って来られて、上手く対処できない焦りのようなものも感じているようだった。
あぁ、しまった。確実に困らせている……
私の頭は、彼女に対する申し訳なさでいっぱいになった。
そして今は私の心配より、彼女が少しでも安心できるようにすることが最優先だと思った。
そうしたら私の口から自分でも思いがけない言葉が出てきた。
『大丈夫、貴女のためじゃないから』
……え?
彼女は心底驚いたようで、具合の悪い中で目を見開いて、初めてゆっくりと私を見た。
そして私は思いつくまま、さっきの言葉の理由をできるだけゆっくり説明した。
私にも、貴女のような年頃の高校生の息子がいること。
家には、ほとんど寝に帰ってくるだけだから、どんな風に過ごしているのかよくわからないけど、とにかく毎日行って帰ってくる間にはきっと十分に頑張っているのだろう、と思っていること。
そんな息子も、家庭や学校ではない外の世界で、見知らぬ人の助けを借りる場面もあるはずだ、ということ。
そしてそれは多分、世の高校生それぞれがだいたい同じなんじゃないか……と考えていること。
だから私は、今の貴女を放っておけなかったのだ、と。
話していくうちに、彼女の様子がやわらいでいくのがわかった。
しばらく経って、彼女の具合はまだ悪そうだったが、少し動けるようになってきた。
たまにある貧血の症状が、電車を降りる前に突然ひどくなり、とにかく何もできなかった、ということをポツポツと話してくれた。
その後スマホを触れるまで回復した彼女は、いつもは駅から歩いて帰るところを、おうちの人に車で迎えに来てもらえることになった、と教えてくれた。
彼女のよく手入れされているように見える私立の制服と、革製の靴と通学カバンから、丁寧に、そして大切にされて育ってきただろうことが見てとれるようだった。
とりあえず安心したのだが、地下鉄のホームから車の通る場所まで上がるのは、弱った体には大変だし、車を置いて迎えに降りるのもまた大変だ。
だから私は彼女と一緒に地上までゆっくり上がって、おうちの車がロータリーに入ってくるのを見届けて彼女と別れた。
彼女は
母が来たらお世話になったことを伝えますから……と言ってくれたが、幼い子じゃあるまいし、保護者の方に私が挨拶して経緯を説明する必要なんてない。
もちろん彼女は礼儀正しく、私にお礼を言ってくれた。
もうそれで十分なのだ。
そして私は帰途につきながら思い出していた。
地上に出てから、もう一度マスクを外して、渡していたペットボトルの水を飲んだ彼女の横顔を改めて見た時のことを。
私は彼女を知っているかもしれない。
遠い昔、息子がまだ幼稚園児だった頃に、おそろいの平仮名の名札をつけて、一時期を一緒に過ごしていた、あの女の子だったかもしれない。
だとしたら、なんて素敵なお姉さんになったことだろう。
今はもう確かめるすべはないし、そもそもが私の思い違いかもしれないのだが、それでもさっきの彼女との出会いは、【情けは人のためならず】という言葉を連想させるものだった。
私は彼女を助けたんじゃない。
息子がどこかでもらっているであろう恩を返させてもらったのだ。
そう思いいたって、至極腑に落ちた。
そして彼女への感謝とともに、彼女の未来に幸多からんことを願わずにはいられなかった。
***
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