ショート小説『ネコの乳歯』
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事は、フィクションです。
「ネコの、乳歯?」
思わず聞き返した僕の顔をまっすぐ正面から捉えて、男は、ええ、と頷いた。
「そうです、ネコの乳歯です」
こりゃあ、参ったね。
何でも相談可能の「万屋」になってからというもの、確かに色々な依頼があった。けれど、こんなヘンテコなのは初めてだ。
「ええっと、もう一度確認しますけれど、あなたはネコを探してほしいのではなくて、『ネコの乳歯』を探してほしいというわけですね?」
目の前の男は変わらずに頷く。
確かに、それもそうだろう。当のネコは、男の腕の中でしっかりと抱かれているのだから。
「あなたが驚くのも無理はありません。なんせ、私だって、最初は全く意味がわからなかった」
グレーの混じった髪を綺麗にクシで固めた初老の男は、身綺麗で、とても変な人物には見えない。それどころか紳士な印象で、今だって膝の上の黒猫を撫でる手つきと同じように、落ち着いた優しい声で僕へ語りかけてくる。
「最初に『ネコの乳歯』を見つけたのは、私と彼女が一緒に暮らしだしてまだ一年もたたない頃でした。フローリングに、キラッと光るものがあって、拾い上げて見ると三日月型の白くて小さな塊でした」
語り出した男に、僕はただ一つ頷いた。やっぱり少し、この話に興味があったからだ。
「じっと見ていると、彼女が横からやってくて『これネコの乳歯だよ!』と言ったんです。それで初めて、なるほどネコも歯が生え変わるわけか、と知りました。こちらは何気なく見ていたんですが、『うわぁ、すごいなぁ』としきりに感動している様子でね」
男はその光景を思い出しているのか、うっすら目尻にシワを寄せた。
「驚いたんですがね、彼女はその小さな白い歯を『宝物にしよう』と言って、自分のジュエリーボックスの一角にそっと置いたんです」
ひそひそと小声で話すものだから、思わず、白い歯がきらめくジュエリーの横にひっそり並んでいるのを僕も想像してしまう。
「それはもうほくほくとした様子で。歯をしまった後、彼女はそのネコの名前を呼んで、抱き上げて頬ずりをしていました。私はね、そんな彼女を見て、ついプロポーズしちゃったんだ」
「えっ! プロポーズ?」
思わず、声が漏れてしまった。
「そう、プロポーズ。まだ一緒に暮らしはじめたばかりだったんだけど……だって君、僕には何の意味もない白い塊を、あんなに嬉しそうに、愛おしそうに見つめる彼女を見てごらんよ」
きっと僕にも、その『ネコの乳歯』というやつはただの白い塊でしかないだろう。
「大切なもののカケラというのは、どんなに小さなものだってやっぱり大切なんだろうね。『宝物』というくらいに、彼女には価値のあるものだったんだ。だけどそれって、どれほどの愛情なんだろうかと思ったよ。不意に、私たちの子供が産まれたらこうして乳歯を大事に戸棚にしまうんだろうかって想像しまってね……」
なるほど、だんだん話が分かってきた。この夫婦にとって『ネコの乳歯』というのはとりわけ意味のあるものらしい。僕の面持ちから察したのか、男も一つ頷いた。
「そうなんだ、実はもうすぐ私たちの結婚記念日なんだ。残念ながら子供には恵まれなくてね、代わりというわけじゃないが、ずっとネコを飼っている。この子はもうすぐ乳歯の抜ける頃だろうから、君にはその乳歯をぜひ見つけてほしいというわけさ」
膝の上のグルグルと喉を鳴らしている黒猫は、確かに、まだ若い顔立ちをしていた。
「どうだろう? 引き受けてくれるだろうか?」
その時だけ、男は少し弱気な声になった。確かに僕の作ったサイトには『誰にも相談できないことでも、何でもご利用可能です。ただし、納得の行かない場合はお断りさせていただきます』の文言を入れていたので、その点が気になっているのだろう。
ネコというのは人よりも家に懐くなどと言われるけれど、どうもプライベートを大事にする生き物のようだ。だからこそ、『ネコの乳歯』というのも、そう簡単には見つからないだろう。けれど……
「いいでしょう、お引き受けいたしましょう」
僕はやると決めたことは必ずやり通す。そうでなければこんな稼業はやっていけない。信用が命だ。
だからこそ、誰にも言えないことや諦めてしまいそうなことでも、人はこうして僕らを頼る。この男は、僕を納得させるために内心では不安に思いながらも胸の内を話したのだ。
しかし、結婚記念日に『ネコの乳歯』とは。
「あなたもずいぶんネコが好きになったのでしょうね」
男は少し、迷ったように動きをとめて、それから優しくネコを抱きかかえた。
「えぇまぁね、けれど本当のところ、あのときの彼女の気持ちは、この先もずっと解れないんじゃないかと思うんです。あんなふうに純粋な優しさや愛情が、同じように自分にもあるなんてどうも私には……」
正直で誠実な男だった。二人は似合いの夫婦なのかもしれない。けれどね、とほほ笑むと
「彼女のことは間違いなく誰よりも愛しているもので」
さらりとそう言ってのけるのが、万屋にまで頼んで『ネコの乳歯』を奥さんにプレゼントしようとしている男らしかった。
きらりと光る、三日月型の小さな歯。
一体どんな代物なのか、だんだん僕も気になってきた。
それはきっと、残念ながら僕にはただの白い塊なのだろう。
けれど、ある二人には、思い出の中のきらめきなのだ。
***
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