メディアグランプリ

大切に紡がれてきたものに気づいた瞬間


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:峰岸亜衣(ライティング・ゼミ10月コース)
 
 
1月24日、祖母が亡くなった。99歳だった。
 
つい2週間前の出来事で記憶もまだ新しい。思い出すと溢れてくる涙を我慢しながら執筆と向き合っている。おばあちゃんがいなくなってしまったのは悲しい。
 
でも、99歳まで生きた人なんて身近ではなかなか聞かない。大往生じゃないか。自慢したくなる。親戚とはここまでくるともうめでたいよねと何度も言い合った。
そして、祖母の死によって親戚が一同に介した機会は、私にとってあらためて家族について考えるきっかけになった。
 
 
父方の祖母とはコロナ禍が始まってから会うことを控えていたため、もう3年近く会っていなかった。親戚から送られてくる祖母の写真はいつも何かを食べていた。そんな元気な姿しか見ていなかったから「あと半年で100歳、これはいけるんじゃないかな」と信じて疑わなかった。
 
今年の正月に実家に帰ったときには久々に電話をした。耳がかなり遠く、受話器からは大音量のテレビの音が聞こえる中で、こちらも負けじと大声で話す。
 
「ばあちゃん!!!!! 久しぶり!!!!! 元気???」
「え!? 元気だよ。あいちゃん今どこに住んでるの?」
「東京にいるよ!!!!!! 今は実家に帰ってきてる!!!!!」
 
腰や膝にガタはきていたし、内臓系で何度か入院もしている。しかし認知症などは一切なくしっかり会話もできており、99歳にして一人暮らし。相当すごいのではと身内ながらに思う。老人ホームという選択肢もあったが、家族と住んだ団地から離れたくないからと、一人暮らしを選んだらしい。
 
そんな電話をしてから一ヶ月も経たないうちに、父から一報が入った。
「ばあちゃんが緊急搬送されました。これから病院に行ってくる」
 
すぐ父に電話して状況を確認した。
その日は遊びに行く予定で埼玉に向かっていたが、友達に事情を説明し、家に引き返した。両親と合流し、病院に着くとすでに父の兄親子と妹夫婦が待機していた。
 
「簡単に言えば腸閉塞。お腹痛いって言ってて病院に電話したんだけど、なかなか受け入れてくれるところがなくて。30件くらい電話して、朝方にやっと受け入れ先が見つかったの。手術したけど、腸の一部が壊死してる状態で、治すことはできないって」
 
普段から祖母の面倒をよく見ていた5つ上の従姉妹が説明してくれた。
コロナによる病床圧迫で搬送が遅れたという話はニュースでは聞いていたものの、自分の周りで弊害を感じたのは初めてだった。病院が見つかるまでの時間、祖母は小さな身体でずっと痛みを我慢していたと思うとつらくなる。
 
ただでさえ集中治療室に入っていたことに加えて、コロナ禍による人数制限で頻繁に会うことは叶わなず、この日は5分だけ面会を許された。
約3年ぶりに対面で見た祖母の姿は、たくさんの管で繋がれていた。呼びかけにうんうんと首を振りながらも顔は苦しそう。久々の再会が、こんなことになるとは思っていなかった。
 
 
病院には待機できないからと帰宅したが、翌日の夕方に、また連絡が入った。
「血圧が下がってきてるから、危ないかも」
予定を切り上げて、すぐ病院に向かった。
 
昨日はちょっと苦しそうだった顔が、薬が効いているのか、少し穏やかになっていた。ずっと寝ていたのだろう。痛い思いはもうしてほしくない。呼吸器を繋がれながらも自分の口で一生懸命呼吸をしている光景が、奇跡のように思えた。
 
面会が終わると、医師から話があると全員呼び出しを受けた。すでに誰もが覚悟はしていたと思うが、医師からの言葉でそれは確実になった。
「今日の夜を越えられるか分かりません。越えたとしても、持って数日かと……」
 
その日の夜は、いつ呼び出されても良いようにと日付が変わるまで荷物を解かずに待機していた。しかし、連絡はこなかった。
 
さらに翌日も病院に呼び出されたが、状況は変わらなかった。正直、初日に病院に行った時点でもう永くはないだろうと思っていたが、宣告からは24時間を超えていた。
 
宣告を受けた2日後の1月24日、この日は元々どうしても休めない仕事が入っていた。
親戚にも事前に説明をしていたが、「若い人は仕事最優先だから。ばあちゃんもそう言うと思うよ」と送り出してくれた。
 
ひと仕事終えた後、スマホを見た。
もう急がなくていいよ、と連絡が入っていた。
 
 
 
 
――葬儀屋に空きがなく、通夜・葬式は一週間後に執り行われることになった。
一週間ぶりに見た祖母の顔は安らかで、笑っているように見えた。
エンゼルメイクで無理に口角を上げるようなことはしていないとのこと。最期痛みはなかったのかな、と安堵した。
 
小規模で行われた通夜だったが、家族以外にも同じ団地に住む方が数人参列してくださり、その中には小学生くらいの女の子がいた。聞けば、祖母のことが大好きでよく家に遊びに来ていたらしい。
その子は、会場に響き渡るくらいの大きな声で泣いてくれた。ここ最近は、孫である私よりも近くにいた存在。私も泣きながら「来てくれてありがとう」と言った。
 
 
翌日は告別式。お経が終わった後は、お別れの準備をした。
棺桶には、顔が隠れてしまうくらいのお花と、区から贈られたという白寿の賞状。本人がとても喜んでいたので、一緒に入れてあげることになったという。
 
最期は喪主である父の兄、次男である父、妹である伯母の、きょうだい3人を中心に祖母を見送った。
 
精進落しの場で喪主からの挨拶のあと、献杯は父がつとめた。
「宣告を受けた後、2日も心臓を動かしてくれた母。最期まで、99年生きるということはこういうことだと、教えてくれました」
 
久しぶりに父の涙を見て、私ももらい泣きするとともに抱いた感想が「父も誰かの子どもなんだな……」だった。
 
私にとっては親だが、祖母の息子でもあるという当たり前のことが、スッと落ちてきたのだ。
 
祖母と祖父がいて、子どもである父の兄がいて、父がいて、父の妹がいる。
従姉妹がいて、従姉妹の旦那さんがいて、伯母の旦那さんがいて、母がいて、私がいる。
そんなことを考える場ではなかったのかもしれないが、祖母を介して集まったこの人たちは、私の「家族」なんだと、これからもつながっているんだと、強く感じた。
 
 
今、父ときょうだいたちは片付けやいろんな手続きに追われており、私を含め周りの人は日常の生活に戻って仕事をしている。
みんな機械的にやらなければならないことに追われつつも、これはこれとして心のなかにしまっておくことができている、のだと思う。
 
これから少しずつ気持ちの整理をつけて、前を向いて生きていく。
祖母がつないできた家族を、今度は私がつないでいく番だ。
 
 
 
 
***
 
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2023-02-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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