肩書がなくなるという決断
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記事:義永 直巳(ライティング・ゼミ2月コース)
「義永さん、退職したら肩書がなくなるんや」
あれは彼此18年ほど前だったか、当時の部長という役職を定年退職した方と退職されて数年後にお会いした時に聞いた言葉だった。
当時は私も30代。退職したらそんなものかとぼんやりと聞き流していた。その方は、仕事を離れ、役職という肩書がなくなるという現実を目の当たりにして、少し寂し気だった。
50歳を過ぎた頃から、その言葉は私にとっても現実味を帯びてきた。
仕事には定年があるという現実だ。仕事を離れ、この先どうするのか。肩書はいずれなくなる。その後、素の「自分」でどう生きていくのか。そんなことを考えるようになった。
40代の頃は、仕事にやりがいがを感じ、毎日が充実していた。そのため朝早くから夜遅くまで働き、自分のことよりも仕事を優先するようになっていた。経済的には安定していて、生活は何不自由なかった。買い物をすると、夢が広がり、テンションが上がった。特に、服やバッグなどは手に入れた時にはとても幸福感に包まれた。しかし、買ったモノは、使う時間もなく放置されることが多かった。それを繰り返しているうちに、家のクローゼットは服でいっぱいになり、入りきらなくなった。家はモノで溢れていた。流石に外にはみ出すほどのことはなかったが、押し入れやクローゼットなど収納スペースにはモノがぎっしり詰まっていた。片付けることも億劫になるほど、モノが増えていった。
50歳を目前にして、「私が望んでいた生活はこんなものだったのか?」とふと立ち止まって考えた。ただ、その悪循環のループからどのようにして脱却するかわからないままだった。
そんなことを考えていた時に断捨離に出会い、モノを減らせば家が片付くことを知った。モノを減らしていくうちに、空間のゆとりだけでなく、気持ちにも余裕ができた。これをしなければ、という切迫感や焦燥感で仕事をしていたことにも気づいた。充実していたと思っていたが、それは、焦りや不安を埋めようとしていただけだったのかもしれない。
仕事のやり方も変わった。あれもこれもと予定を詰め込むのではなく、優先順位の高いものを優先するようになり、やらなくていいことをやらない決断をするようになった。
仕事を減らせば余裕が生まれ、本当に大切なことに焦点を当てることを考えるようになる。すると、焦りや不安ではなく、仕事の本質的なところが面白いと思うようになったのだ。
私たちは足し算が好きだ。足したり、手に入れたりすると安心する。ただ、それを繰り返していると、空間や時間に余裕がなくなり、イライラする気持ちが増してくる。
私は、買い物でストレスの解消をするのをやめ、不要なものを手放すという、モノを引き算するということを徹底して実践した。モノが減り、空間に余裕ができると、不思議なことに時間にも余裕ができ、気持ちに余裕ができてきた。空間の余裕、時間の余裕そのものが、幸福感につながった。もう買い物でテンションをあげる必要はなかった。
職場では、仕事をこなすことや少しでも多くの仕事をしようとするよりも、仕事の中身を考えるようになった。仕事の量よりも質を考えて、いちばん効果的な方法を考えるようになった。すると、時間外に仕事をすることもなくなり、自分の時間を確保することができるようになった。
管理職になってからは、リーダーになる後輩の育成に集中した。人事評価では、その人の良いところを評価した。すると、職場に会話と笑顔が増えていった。職場に笑顔が増えると、多少の困難も乗り切れる組織になっていくことがわかった。
後輩が育っていくことはとても心強かった。私がいなくても、彼らがきっとやってくれるという信頼感や安心感もある。もう、私がいなくても大丈夫だと思った。
50代半ばを過ぎた頃、私にとって仕事をすることの目的は、肩書でも収入でもなく、誰かの笑顔を増やすことだということに行き着いた。そして、自分でそういう仕事をしていきたいと考えるようになった。次にする仕事は何かを考え、ついに自分の歩みたいと思う道を見つけた。そして、私は、それまでいた組織から離れる決断をした。
定年を目前に仕事を辞めることは、多くの人から「何で辞めるんですか?」と言われた。
その質問に一言で答えることは難しい。いろいろな理由があり、自分にとって最善、最良の選択をした結果と言いたいところだが、あえて一言でいうならば、「やりたいことが見つかった」ということだろう。
私はこの春、そのやりたいことをするために、長年勤めた組織を離れた。組織からの卒業だ。卒業というより退学というべきなのだろうか。
何かを始めると必ず終わりはくるものだ。満開の桜が散るように、人との出会いも、趣味も、仕事も、終わりがくる。その時期は、その人によって違う。終わりがくるのを待つ人もいれば、私のように、終わらせる人もいるだろう。
私は終わりを自分で決めた。今が、私にとって、長年お世話になった仕事から離れるベストのタイミング。一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎず、その時だったのだ。
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