熊本弁にマインドフルネスを教えてもらう
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:しんがき 佐世(さよ)(ライティング・ゼミ9月コース)
※この記事はフィクションです
熊本へ行ってきた。
遊園地と温泉、遊ぶぞ。めいっぱい。
「行ってきます」
机の上のノートパソコンに声をかけて、部屋のドアを閉めた。
パソコンも資料も仕事道具一式を置いていくため、二日分の仕事をどうにか終わらせた。
寝不足で肌も髪もボロボロだが、気持ちは軽い。
パソコンや資料が入っていないと、いつもと同じリュックなのに軽い。
一泊二日のプランはゆったり組んでいる。
遊園地と温泉、以上。
まずは、子どもが行きたがっていた遊園地で一日中遊んだ。
ジェットコースターに乗りたいと熱望していたもんな、よかったね!
結果、家族の誰よりも遊園地で遊んだのは私だった。
スマホも時刻を見る以外に手に取らない。いい調子だった。
人気のジェットコースターの待ち行列で、私の前にスマホを焦った手つきで操作する若い女性が2人いた。
オロオロした背の高い女性が、小柄なほうの女性に、諭されている。
「あとで送ればいいじゃない」
「だって先方から連絡きちゃったから」
「ここで修正するの?」
「不安なんだもん」
背を丸めて仕事の話をする二人は、同僚だろうか。
もれ聞こえる話だと取引先に資料を修正して送りたいらしく、スマホ画面をせわしなくタップしている。
行列が縮まり、彼女たちと同じコースターに乗ることに。
二人は手荷物とスマホをカゴに入れ、私の一つ前の席の安全バーを下ろした。
チラッと見えた不安そうな表情の引き金は、絶叫マシンか取引先か。
容赦なく私たちをぶん回すジェットコースター。
あー怖かった楽しかった。
私が大きく息をついて座席から降りると、直前までスマホで仕事していた背の高い女性が「ぎぼぢわるい」とよろけてもう一人に背中をさすられていた。
遊園地で遊んだ後、近くの宿に一泊。
宿の自慢の100%掛け流しの温泉は空いていた。
内湯と露天風呂をへだてる扉に、熊本弁で張り紙が貼られている。
「あとぜきしましょう」
「あとぜき」は、熊本弁で「開けた扉は閉めましょう」を意味する。
内風呂の室温が下がらないよう、開けたら閉めましょう。はい。
引き戸を閉めて露天風呂に浸かった。
中途半端な仕事のことが、ぽんっと浮かんだ。
家のこと、気になっていたこと、ぽぽぽぽぽ。
のんびりしようと決めていたのに、いろんな考えが頭をよぎりだす。
仕事道具をぜんぶ置いてきても、油断すると脳内が仕事モード、タスクこなしモードになっている。
いつからこうなった? 思考ぐるぐるしていると、さっきの女性が二人露天にやってきた。
お湯はぷかぷかなのに二人の表情は浮かない。
「私にあの案件キツすぎ。迷惑かけちゃった。ああ、引き受けなきゃよかった」
背が高い方の女性が仕事で失敗したらしく、落ち込んでいる。
後悔の言葉を口にする彼女に、もう一人の小柄の女性が慰めている。
話題を変えようとしたのか今度は、小柄の女性が帰路について話しはじめた。
「早くここ出ないと帰りの渋滞にハマるかな。明日仕事かぁ、やだなぁ」
さっき来たばかりで、まだ太陽も高いのに、もう帰りの話をしている。
仕事のこと、プライベートのこと、過去の反省や不安で尽きない二人の話を聞いていた。
ぬるい湯でふやけた頭に、二人の会話はまるで私の脳内のようだった。
混んだ遊園地でなぜかあの二人が印象に残ったのは、自分を見ているようだったからかもしれない。
何かしていないといけない気がする。
未来を「心配する」のも、過去を「反省する」のも思考で、何かをしている状態。
何かをするのが習い性になってしまって、何もしない時間が落ち着かない。
「ただ、今にいる」ことがいつからこんなに難しくなったんだろう?
二人の声を聞きながら、ぼんやりとした頭で考えていた。
いろいろあっても、遊園地や温泉に来たんだよね。おつかれさま。
「過去にも未来にもいない」のは、落ち着かないよね。
二人の目に、目の前の山の緑が風に揺れるさまは見えているだろうか。
二人の耳に、源泉があふれてちょろちょろ流れる小さな音は届いているだろうか。
どちらも今ここにあるのに。
うたた寝から目を開けると、露天風呂には誰もいなかった。
私たちはつい未来や過去に、意識を飛ばしてしまう。
「これからどうしよう」とか「あのときどうすればよかっただろう」とか。
過去に対する反省も、未来へ抱く不安も、今を生きていないときに生まれる。
反省や不安が役立つ場面はあるだろう。
けれど、今を大事にしない理由にはならない。
彼女たちの姿はまるで自分だった。
首をめぐらせると、張り紙が目に入った。
「あとぜきしましょう」
流れ込む過去と未来を「せき」止めよう。
マインドフルネス、「今、ここ」にいること。
「今」以外をせき止める。
実際のところ、今ここにしか私たちはいられない。
熊本弁にうながされて、過去の後悔と未来の不安をせき止めてみた。
「今だけ」で満たしてみよう。
パソコンが置かれた自分の部屋を想像した。たしかドアは閉めてきた。
気がかりは、過去や未来にいくらでもあるけれど今、ここにはない。
トンボの模型が、木の枝先で揺れている。
さっきより気温が下がって秋風が涼しくなってきた。
「今、ここ」にいれば、これほどいろいろ受け取れる。
とろみのあるお湯を肌に感じた。やわらかい。温かい。
深呼吸してあごを上げたら、落ちた木の葉が露天風呂の縁に止まった。
***
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