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「不惑」に寄せて


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記事:でこりよ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「不惑。四十にして惑わず」
孔子が残した言葉だ。
 
10代、20代、30代……。10年という一括りに無理矢理入場させられる気分を少なからず味わってきた。そして40代。孔子が言ったように、もう人生に迷ってられない年代を迎えてしまった。
 
昭和から平成に時代が進んだ1989年。親の目を盗んで小学5年生で深夜番組をチェックしていた私は、画面に映ったきわどい衣装に身を包み、フワフワの扇子をヒラヒラとさせながらクネクネと腰を振りながら踊る大人の女性たちを見ながら、大人とはこういうものなのか、とドキドキした。大人になるまで後少し。20歳になった暁には大人という自由を謳歌するぞ、と意気込んでいた。
 
しかし、月日は流れ2001年。私を待っていたのは就職氷河期だった。
 
「あれ? 思っていたのと違う?」
 
20歳を迎えて大人になったら何でも出来ると信じていた。しかし、大学を卒業しても就職先は見つからない。大人たちは混乱し、元気がない。もちろん、あのヒラヒラした大人たちは忽然と姿を消し、原色で彩られていた社会は、魔法にかかったかのように沈黙した。
 
世の中は変わった。思っていた世の中とも違っていた。
しかし、一番驚いたのは、何も変わっていない自分だった。
 
当然といえば当然だ。
20歳になったからといって、ロールプレイングゲームのように勇ましいファンファーレとともにその訪れを告げてくれるものではない。
平等に与えられた時間の経過を無自覚のまま受け入れるだけだ。
 
「20歳。若いってすばらしいわね。これから何だってできるわよ」
という人生の先輩方からの賛辞も、その本当に意味を理解することができるのは残念ながら20年後だ。人は同じ台詞を口走る時に、その意味を知る悲しい生き物なんだな、と痛感することも加えておく。
 
振り返ると、私の20代はあまりにもフワフワしていた。
 
働き始めたら大人になれるのか
結婚したら大人になれるのか。
子供が生まれたら大人になれるのか。
大切なものを失ったら大人になれるのか。
 
無計画なままに進んだ私の人生は、予め用意されたかのように様々な出来事が待ち構えていたが、なぜかいつも他人事のように思えた。大人になった、という満足感は得られず、満たされない。
やり場のない不満と不安を常に抱えていた。
30歳になろうとしているのに、何者にもなれていない。何かを全うしたこともない。
 
大人って何だ? 何がしたいんだ? 
大人であったらすぐに答えられる問いにも答えられない自分が惨めで情けなかった。若さという専売特許も活かせていない状況にも腹がたった。
 
そして30代。
同じだった。何も変わっていない。
変わった事は、2010年に20代前半から始まった結婚生活にピリオドを打ったことだ。それでも変わらなかった。
 
しかし、段々と気づき始めた自分もいた。もしかしたら、このままでは何も変わらない。いや、もしかしたら、変わることを拒否していたのかもしれない、と。
 
そのことを認めていくと、ちょっとだけ心に隙間ができた。身体が軽くなったような気がした。すると、あえて20代、つまり結婚していた時にはやらなかったことをやろうと思い立ち、髪を染め、ピアスを開け、ロックコンサートに一人で通い、生命保険に入り、空手を始めた。支離滅裂な行動だったけれども、どれも自分が選んで体験して、身体と心で感じることができた。
 
「もしかしたら、私は自分の人生を生きようとしていなかったのかもしれない」
 
こうあるべき姿、つまり大人とはこういうものだ、ということに囚われすぎて、全く行動できていなかった。だから満たされなかった。だから不満でいっぱいだった。変わるとか変わらないとかじゃない。動いてみて、失敗し、怪我をして、休んで、また行動する。そのすべては、誰の命令でもなく、自分で選択するということ。他人事じゃない。
 
そう気づいた時、私の中で歯車が噛み合い始めた。
20代を取り戻すかのように我武者羅に動いた。大人とか、変わるとか、何者とか、そんなことは考えずに、とにかく体を動かしてみた。
動いた結果、かけがえのないたくさんの素敵な人に出会うことができた。連絡が途絶えていた人とも再会できた。自分の意思で行動することによって出会えた人々から、私は人が好きなんだな、ということを教えられた。そして、心が満たされていることに気がついた。
 
30代が終わりに差し掛かった頃、20代に考えていたある夢を思い出した。人に関わる研究者になる夢を。フワフワとしていたあの頃の自分が、結婚と同時に諦めた夢だった。人のためになる研究をしたい。そう自分で決意した私は、社会学を学ぶために大学院に入る決心をした。
 
そして40代。研究者の道は始まったばかりだ。しかも、この先どうなるかなんてわからない。自分がどういう方向に向かっているかもわからない。迷ってばかりで、研究も上手くいくかわからない。しかし、私は自分で迷うことを選んだのだ。
 
私は今、孔子の言う「不惑」とは一番遠いところにいるのかもしれない。大人にもなりきれてないのかもしれない。しかし、私の心は満たされている。これからも迷って迷って彷徨い続けよう。それが私の「不惑」なのだと、確信したのだから。

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2018-06-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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