そんなの、恋するに決まってる
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:渡辺ことり(ライティング・ゼミ平日コース)
「ここは明るくて可愛い子しか採用しないんだよ。君、それわかってる?」
丸メガネのマネージャーは明らかに苛立っていた。
「えーっと、それは……」
「じゃあ、君のことをアピールしてみて。例えば、そうだな。『私はネクラです』、とかさ」
「え……その……」
緊張に体がこわばり、舌がもつれる。
(帰りたい)
頭の中にはその言葉が渦巻いていた。
今から35年前、17歳だった私はクラスメイトと一緒に、某ハンバーガーショップのバイト面接を受けた。
美人で明るい友人はすぐ採用されたのに、私の面接はかなり長引いた。
マネージャーはテーブルの上に分厚い紙の束を置いた。
「これ、今回来た履歴書。この中で選ばれるのはたった7人。君って、その価値があると思う? さっさと答えて」
周りにいたバイト生たちが、気の毒そうに視線をそらす。
その時、背の高い細面の男性が入ってきた。
他のスタッフとは違う、薄いクリーム色の制服を身につけ、名札には店長と書かれてあった。
すっと伸びた背筋と洗練された立ち振る舞いに、一見して地元の人じゃない、 とわかる。
店長は不穏な空気を察したらしく
「ん? なんや?」
と大阪弁でマネージャーに尋ねた。
「いや、この子がうちに入りたいって」
店長は履歴書にざっと目を通し、顔を上げて今度は私の顔をじーっと見た。
長い時間が経過し、私の顔に血が上っていく。
やがて店長は一言、こういった。
「ええんやない?」
マネージャーと私が同時に「は?」というような顔になる。
こうして私のバイト生活がスタートした。
数日間の研修を経て、カウンターデビューの日が訪れる。
「うん。2人ともすごく可愛いね。いい笑顔」
マネージャーは右側にいるバイト生たちに満面の笑みを向けた後、怒ったような顔で私を見た。
「……貧相なのが1人いるね。みんなの足だけは引っ張らないようにね」
心臓が冷たい手で、ギュッと掴まれたような気分になった時、フロアに店長が現れた。
「お、渡辺、今日からか」
そう言うと店長は、またじーっと顔を近づけて私を凝視した。
「渡辺は大人しゅうて赤面症なんやな。そんなの、ここでバイトしたらすぐ治る」
冷え切っていた心臓に、熱が戻ってきた。
勇気を取り戻した私は、苦手なスマイルを必死に浮かべ、なんとかカウンターデビューを乗り切った。
それからというもの、店長はマネージャーにいじられる私を、さりげなくサポートしてくれた。
そのおかげもあり、私は店の中で少しずつ居場所を作っていった。
ある時、私は友人の秋山香(仮名)から、バイトを休みたいのでそのことを店長に伝えて欲しいと頼まれた。
ドタキャンになってしまうので、自分の口からは言いにくい。
何かのついでにお願い、と懇願され、断りきれなかった私は、家から店に電話をかけた。
しかし店長は受けつけてくれなかった。
「何で秋山の休みを渡辺が報告してくるんや。緊張せんでもええから、なんでこうなったか、ゆっくり話してみ?」
しどろもどろな私に、店長はこう続けた。
「まあ、渡辺は秋山と仲がええもんな。友情で引き受けてしもたんやろ。けどそれが秋山のためになるか? 店長が今からあいつに電話するわ。自分のことは自分でやれって」
店長の言うことは、正論だった。
私は友人の要求を飲むことで、結局彼女を面倒な立場に追い込んでしまった。
「私が電話します。すみませんでした」
私がそう言うと、店長は少し黙った後、
「渡辺はいっつも謝りよるな。悪いことしとらんのなら、胸はっとれ。渡辺にはええとこ、ようけあるんやから」
笑うように言って、電話を切った。
ツーツーという通信音が鼓膜に響く。
その音に混じって、たった今聞いたばかりの店長の声が、頭の中に渦巻いていた。
いいところがあるって、確かに言われた。
よく似た言葉をかけられたことがある。
あれは、そう。面接の時だ。
私に向かって店長は言った。
「ええんやない?」って。
その瞬間、私は恋に落ちたんだった。
泉の蓋が開くように、思いがこみ上げてきた。
やっぱり、そうだ。私は店長が好きなんだ。
初めて会ったときから、目が合った瞬間から、声を聞いた時から好きだった。
過去のほのかな恋話を、35年ぶりに思い出したのは、アニメ「恋は雨上がりのように」を見たからだ。
ファミレスの店長である近藤に「雨はそのうち上がりますよ」と声をかけられ、恋に落ちてしまった17歳のあきら。
挫折を抱えていたあきらには、何気ないその言葉が、心の雨を払う魔法の言葉に聞こえたのだ。
近藤を思い、頬を染めるあきらの姿が、かつての私自身と重なった。
幼少期から男の子達にいじめられ、中学時代は「ミス不細工」のあだ名をつけられ、元々男性が怖かった私にとって、面接でのマネージャーの態度は、過去のトラウマを思い出させるものだった。
可愛らしい制服を着て、仲良しの友人と一緒にカウンターに立つ。
そんな姿を夢見ていた身の程知らずな自分を呪いながら、心の中で泣いていた。
そんな私に店長は「ええんやない?」と言ってくれた。
その言葉が、私には「生きててもいいよ」という意味に聞こえた。
店長は私にとっての近藤だった。
涙の雨を吹き飛ばしてくれる、魔法の言葉を持つ人だった。
17歳の少女が出会った、年上のメンター。
そんなの好きにならない方がおかしい。
マネージャーは確かに無礼だったし、私の容姿をからかう人は、その後も次々に現れた。
しかし私自身も、その人たちとの対話から逃げていた。
ちゃんと自分から相手に向き合えば、物事はきっと変わったはずだ。
店長はいろんな言葉で、それを私に伝えていてくれた。
あきらを導き続けた近藤みたいに。
春になり、店長はいきなりカウンターに立つ私に向かってこう言った。
「渡辺、店長と結婚せえへんか。次男で家持ち、お買い得やで」
周りには人がいっぱいいたし、いつもの軽口だとわかっていたけれど、心臓が爆発しそうに高鳴って、私はゆでダコみたいに赤くなり、うつむくことしかできなかった。
人生はドラマみたいにうまくいかない。
近藤との恋でトラウマを克服したあきらと違い、私がまともに人と向き合うようになれるのは、まだまだ先の話だった。
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