気の抜けたコーラと親の「老い」
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記事:野田藤(ライティング・ゼミ特講)
「その顔、どうしたの?」
数日間、東京に戻った父が、また怪我をして帰ってきた。これで何回目だろう?
幼い頃の私にとって、父はなんでも出来る人だった。
食事を作ったり、洗濯をしたりといった、普通なら母が担うであっただろう家事ほとんどを、実際には父がこなしていた。
ピアノの発表会で着る余所行きの華やかなドレスをミシンで作ってくれたのも、父だった。
おまけに、高校受験を控えた中三の秋、一番の苦手科目だった物理の勉強を見てくれたのもそう。それ迄、地を這っていた偏差値がみるみると上昇し、センター試験で98点もの高得点を取れたのも、間違いなく父のおかげたった。
子供が親に抱くであろう信頼と尊敬を、私も父に感じていたし、それはずっと続くだろうと思っていたのに。
最近、私が父に対して抱く感情は、どれもその時のものとはかけ離れたものばかりになっていた。
私も大人になって、それなりに生活の歯車の担い手になっていたとはいえ、それでも家の中心には父が居たし、歯車の統率者は父だったはず。
それなのに……私が名古屋に嫁ぎ、生活を別にする様になってからの父の生活は、少なからず私に衝撃を与えた。
たまに電話で話すと、明らかに酔った呂律の回らない返答が返ってくる。いや、元から大変な酒豪ではあったけれど、こんなに締まりのない物言いを、昼間からする人ではなかった。
さらには、私の新居に遊びに来る度に、そして私たちが帰省する度に、額やら、肘やら、脛やらに擦り傷が絶えない。聞くと、自転車で転んだと言う。
加齢による身体能力の低下、ではない。要は先の電話での応答然り。自転車の飲酒運転に他ならない。
程なくして、父は名古屋で月のほとんどの時間を一緒に生活するようになった。
高齢の父を独りにしていた私の心配も減り、父のすることがなくてお酒に費やしていた時間も減り、一安心となるかと思いきや。
そう上手くいかない現実が、待ち受けているとは……。
父は、明らかに「老いて」いた。
その現実を目の当たりにする度に、心がざわつく。意思に反して無性にイライラしてしまう。そして、そう感じる、感じてしまう自分に対するなんとも言えないざらざらした気持ち。
義務教育を終えてから、さらに倍以上の時間を生き、年齢的には十分に大人であるはずの自分。
愛おしい自らの子供を持って、すでに私自身が親になっているのに。
父の前では、子供のままで成長していない一面を、この歳になってまざまざと感じさせられる日常がそこにはあった。
これではまるで、気の抜けたコーラを前に、駄々をこねている子供ではないか。
「冷たくって、しゅわしゅわしてるのが良い!」
「炭酸が抜けたのなんて、コーラじゃない!」
時間が経てば、大好きなコーラの炭酸が抜けて、ベタベタした甘ったるい別物になって行くのは避けられないし、時間を巻き戻すことも不可能。
人間の老いも然り。誰にでも平等に訪れるし、避けられない。
そんなこと、頭ではわかっている。でも、感情が追いつかない。
どうしようも無いことに、駄々をこね、泣きじゃくる我が子の姿に、自分の想いが重なって見える。
でも……。いや、だからこそ。
そこに希望があるのではないだろうか。
「先生にプレゼントする!」
と、登園前に我が子が、意気揚々と折り始めた折り紙。
それが途中でうまくいかなくなり、大泣きを始めた幼子を、半ば祈るような気持ちで、そして半ばうんざりした気持ちで宥めたのは、今朝のこと。
いつもの出発時刻が、5分後に迫った時のことである。
普段は30分は泣き止まず、手のつけようがなくなることが多々あったのに。
できるだけ穏やかに、そして気持ちを汲み取りつつ、諭しながらも、実は半分以上諦めていた私に向かって
「明日、持っていくことにする」
と、拙いながら消え入りそうな声で返答があった時の、その驚愕たるや!!
こんな幼い子供ですら、気持ちの折り合いの付けたを学んでいる。
その日々の成長。
親の私が、その姿から学ばずしてどうする?!
そう思わされる出来事だった。
人は、時を経て成長する。
それは、幾つになっても可能なこと。
親の老いゆく姿を受け入れるには、まだ少し時間が必要かもしれない。
でも、それは延いては自らの「老い」に対する気持ちの在りようも示してくれるのではないか。
そう思って、時間をかけてじっくり向き合っていきたいと思う。
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