父と母と私の変化
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:薮克実(ライティング・ゼミ木曜コース)
『お父さんが悪性リンパ腫の癌でかなり悪いから帰ってきて欲しいんだけど』
と、母から1本の電話が入った。
当時私は、親元を離れ高校生で寮生活を経てそのまま内部進学で大学へ進み下宿で生活していて久しぶりの実家からの電話だった。
今のように携帯電話がなく下宿のおばさんが電話があったよと伝言をくれて時間がある時に公衆電話にコレクトコールで電話をかけにいく時代だ。
数ヶ月に1度近況報告と、生活に欲しいものを送って欲しいと頼む時だけ親の声を聞くことで事足りていた。
昔も今も大学生から親元を離れるのは珍しく無いだろうが、30年前高校生の時から寮生活は珍しかった。私が中学の時は色んなことをそつなくこなし、几帳面で厳しい母が苦手で大きな喧嘩はなかったが早く親元を離れたいと思い進学をわざわざ寮生活の高校を選んで学校の先生や同級生から驚かれた。
反対に、天真爛漫な性格と個性的な会話が楽しくいつも笑顔の父が大好きで、寮生活をしてから半年に1度逢いに来てくれる時がとても嬉しかった。
その父が癌でかなり悪い状態だと言われ全身に冷たいものが走った。
父は疲れ易くなったのは歳のせいだとしあまり検査もしなかったが、右の首辺りにコブみたいになった塊が出来て痛みは無いが段々と大きくなっていって気になったようだ。
昔から信頼をおいていた内科に行き検査する事になり、データを見た先生から紹介状を書くからこのまま大きな病院へ行って欲しいと言われ、父が怪訝に思い聞くと先生は『念の為』と言われたそうだ。
痛みがないので気楽に思っていたようだが病状は良くはなく、癌といえば新薬の研究段階がまだまだ多く、告知も今のようにオープンな時代ではなかったのだ。
父の病状を医師に聞いた母は、癌のことは父に言わないと決めて父に気も使い仕事もしながら治療が上手くいけば病院と仕事と家の往復をしながらでもなんとかなると思っていたらしい
しかし入院した病院で主治医からかなり悪く覚悟をしていただく必要があると言われたのだ。今は医療が進み新薬でも効く薬が開発されたが、30年前は癌で『かなり悪いです』と主治医から言われたら覚悟をしないといけなかった。
母は主治医から話を聞いた帰り道、道路の脇に車を停めしばらく考え込んでいるうちにそのまま時が経ち、いつの間にか寝てしまったらしい。気がつくと朝になっていて家にいた弟と妹(当時高校生と中学生)は帰りが遅い母をとても心配したと言っていた。
そんな様子の母を見て母の妹たち、私の叔母が黙っていなかった。
『これからのこともあるから克実を呼び戻して協力してもらえばいいじゃない』という叔母
だが母が『あの子も頑張ってるのに学業半ばで帰ってきてとは言えない』と言ったそうだ。
『でもお義兄さんに何かあったらそんなこと言ってられないよ』『……』母がかなりの沈黙を破り『そうだね』とため息にも似た声を出した後、無言になりうつむいたままだったらしい。
その数日後にかけてきた電話だったのだ。
母が『あなたには申し訳ないけど帰ってきて家のことやお父さんの病院にも行ったりしてくれない?』母が子供にお願い事をすることは今までほとんどない、かなり体力的に大変なのがわかった。
そして我が家はそんなに裕福では無い、まだ下には弟や妹もいる。
全ての状態を考えて私は学校には戻れないことを理解した。
『わかった、なるべく早く帰ります』と答えた。すると母の遠慮がちなありがとうという小さな声が聞こえた気がした。
私と母の心の隅にあった小さなわだかまりが消えて関係が変わった瞬間だった。
そこから大忙しだった、あちこち挨拶にまわり手続きをすませ役所にも行き、荷造りをし10日後には実家に戻った。
翌日には父に会いに病院に行きその時は2人部屋だった。
病室で待っていると化学治療にから帰ってきた父は私の顔をみるなり『おいおい』と言いながら満面の笑みで『やっときてくれたか』と言った。
かなり喜んでくれたが私は次の瞬間言葉を失った。
『あのな、ここの病棟な最初大部屋にいた人が2人部屋になって、今度個部屋になったら危ないんだぞ』
『……なんで?』
『今までここにきてから亡くなった人みんなそうだった、母さん言わないけど俺癌なんだろうなぁ』
『そうとは限らないでしょ』
『いや、ここの病院図書館があってな、色々調べたら癌の症状だろうと思う、なんか聞いてないか』
『詳しくはあまり……』
父はすでに気づいていたのだった。色々父に話そうと思っていた楽しい話をすっかり忘れてしまった。
そんなことが最初にあり2日に1度は病院に行っていたがある日事件が起きた。
父の病室の隣のベットが空いていたのだ。先日父と全く同じような状態で同じ治療をしていて父より10歳ほど若い優しそうな隣の男性に挨拶をした。奥さんも来ていて穏やかに会話をしていた。父に聞いたところ子供さんがまだ小さいらしい
その人が昨夜急に体調が悪くなり、個室に移され今朝亡くなったようだった
遠くから女性が泣いている声が聞こえて来た。
父は『かわいそうで、顔を合わせられない』と呟いた。
そのことがあってから父は変わった。父は自分の体の状態を毎日ノートに記録し始めた。
自分の管理は自分でしか出来ない、特に病気になったら原因があるのだから体質も含めて
理解することだ、誰のせいにも出来ないのだからと
心が変わると体も変わる。驚くことに三ヶ月後癌は消えていた。
もちろん父の努力もあった。
ヘビースモーカーだったがタバコは一切辞め、汗をかいたら風邪を引かないようすぐに着替えることをし、手洗いうがいは欠かさず、お風呂はできれば毎日2回入り夜は決まった時間に就寝し食事は肉を食べず煮物中心で、野菜は多めでご飯は少なめにする、今までと全く反対をして生活をした。
体の状態を毎日記録するをあれから30年、今でも続けながら生きている。
あの当時主治医からは奇跡と言われた。
今年父は83歳。まだまだ元気だ
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