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妻を連れてあの国へ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:佐藤城人(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
結婚して5年。まだ妻を新婚旅行に連れて行っていない。
 
私はかつて、旅人だった。
ガイドブックにもまだ紹介されていない国。やっと独立したばかりの若い国など、さまざまな国や地域を訪ね歩いた。それぞれの国に、その土地の暮らしがあり、その土地ならではの匂いがあった。バックパック1個背負っての気ままな旅は、酒を酌み交わしたり、踊りを一緒に踊ったり、ときには危ない目にも遭ったけれど、多くの経験が私を大人にしてくれた。
 
妻に出会って間もないころ、そんな昔の思い出話の中、妻が聞いてきた。
「好きな国は、どこ?」
妻の言葉が終わらないうちに、被せるような勢いで、私は即答したらしい。
半ばあっけに取られながら、「どこ、それ?」と妻。
 
「顔がパッと華やいで、キラキラした目で『大好き!』って。まるで、大好きなおもちゃのことを力説する子どもみたいだったよね」
そう言いながら妻は、今でも嬉しそうに笑う。
 
「幸福のアラビア」と呼ばれるその国は、サウジアラビアとは陸続きで、アラビア半島の南端に位置する。古代から、海のシルクロードの交易で栄えた土地。香料や絹など、東西の品々が行き交った場所でもある。水をたたえたオアシスも多く、ラクダを先頭に遊牧民たちも自由に移動していた。文字通り、幸せに満ちた人々が暮らしていたことだろう。
アラブの各地で石油が採れるまでは。
 
20世紀、石油がアラブの人々の生活を一変させる。産油国では、病院も学校も、ほとんどが無料。石油が国に富みをもたらし、国民はその恩恵に浸る。オイルマネーは、砂漠に巨大なビル群をも作り出す。
しかし、すべての国や地域で石油が採れるわけではない。また、油田の奪い合いによる内紛が起こるなど、新たな紛争の火種ともなっている。国家という結びつきよりも、古くからの部族の結びつきが優先されるため、根本的な解決にはなかなか至らない。
 
妻を連れていきたい土地。そこは、石油が採れない。そのためアラブの最貧国とも呼ばれている。しかし、その反面、昔ながらのアラブの生活や文化が色濃く残っている。
男性は「ジャンビア」と呼ばれる短い剣を腰から下げる。家は、太陽でカラカラに乾燥させたレンガを積み上げる。町や集落は、高い城壁でグルリと囲まれ、さながら中世の要塞を彷彿させる。その町中をラクダやロバが所狭しと行き交う。まさに「アラビアンナイト」、千夜一夜物語の世界なのだ。
 
あるとき、旅の途中でクルマがエンスト。炎天下の砂漠のど真ん中、ポツンと一人。どうすることもできない。日本だと直ぐにJAFを呼ぶなど、何かしら対応ができるが、そこは異国。見渡す限り360度の砂漠の世界。灼熱の陽射しが容赦なく体に降り注ぐ。
一本の道が遠くまで続き、どこまでも砂しか見えない。喉がカラカラになっても、汗はダラダラ流れていく。だんだん体がしぼんでいく感覚。気持ちばかりが焦り、オロオロするが、それとともに、体力も考える力も萎えていく。そして、次第に、意識が遠のいていく。
 
孤独や絶望を通り越すと、人は感覚がマヒしてくるようだ。フワフワと体が軽くなり、柔らかな光に包まれていくような……。
そんな中、遠くにラクダの一群が見えた。乾ききって、へばりついた喉から、どうしてあんな大声を出せたのだろうか。
(「必死」ってこのことか!) この状況で、こんな余計なことを思う自分が、おかしい。
ラクダから降りた男のごつい手に触れた瞬間、全身の力が抜け、へなへなと砂の大地にへたり込んだ。
 
「助かった」
絞り出すように呟き、ぐちゃぐちゃに涙が流れた。
 
生きてるだけで幸せだった。
つい先ほどまでは、絶望に見えた青空が、今は潤う水のように鮮やかだ。ラクダの背に揺られながら、いつまでもスカイブルーの空を見上げていた。
 
オイルマネーで潤う国であれば、道路も車も整備され、何台も車が行き交うことだろう。あのエンストの際も、直ぐに救出されたはずだ。でも、灼熱のカゲロウや砂漠に高級車は似合わない。旅人の勝手な望みであることはわかっているが、大自然に人工の造物は似合わないのだ。もちろん、私たちは少しでも便利な社会、豊かな社会を目指すし、それが達成されたときに、幸せを感じる。
 
でも、と私は思う。
なぜか私はその土地に魅せられ、その後も何度か足を運んでいる。
 
アラブの人々の朝は早い。早朝「アザーン」と呼ばれる、礼拝を促す声が響く。
スピーカーが生まれる前の時代は、張りがあり、遠くまで響く声の持ち主が、毎朝塔の上から発していた。アザーンに促され、人々がモスクに集まる。そして、一斉に祈りが始まる。大人も子どもも、一心不乱に祈りを捧げる。
 
その際、祈る内容は自由なのだそうだ。私を救ってくれた、ラクダの男性が語ってくれた。
「みんな何を祈ってもいい。家族や友人の健康を祈ることが多い。もちろん仕事の成功を祈ることもある。でも、成功と幸せは同じじゃない。幸せだから成功が舞い込んでくる。そして、幸せの基本は、自分も含め、周りのみんなの健康にある。だから僕たちは、皆が健やかであることを祈るんだ」
そう語る彼の顔に、最貧国の卑屈さは無い。
「ジャンビア、この剣は形や飾りが部族によって異なるんだよ。代々伝わるものもある。だから我々は血のつながりを重んじ、部族としての誇りを持っている。ジャンビアはただの短剣じゃないんだ」
江戸時代までの、武士と刀の関係に近いのかもしれない。
 
「じゃあ、最初に連れて行ってもらう海外はそこね。決まり!」
妻との二人の暮らしを夢見て語り合った日から、数年後。私の大好きな国、イエメンは、突然、渡航禁止となった。2011年、内戦が勃発したためだ。現在、イエメンの日本大使館も一時閉鎖中だ。
 
あのラクダの家族は、どうしているだろうか。
ちゃんと健やかな暮らしを続けているだろうか。
遠い異国の人々ではあったが、彼らは私を歓待してくれた。遊牧民である彼らベドウィンは、固定の家を持たない。ラクダやヤギと共に暮らし、男の家長のもと、女性も子どもたちも、力を合わせ働く。彼らには、その生活がすべてであり、それ以外はない。
 
妻をイエメンに新婚旅行に連れて行くという私の夢は、まだ実現していない。ただ、こうして昔の記憶を辿り、生き生きと妻に語ることはできる。
 
「願えば叶う」という。
引き寄せと呼ばれるものが、本当にあるのならば、心から願おう、彼らの無事を。
もしかすると、私が妻に見せたいのは、イエメンという国家ではなく、彼らの屈託のない暮らしや考え方なのかもしれない。「幸福のアラビア」、そのものを色濃く残している人々の笑顔や、あの世界を。
 
「新婚旅行に行きたい!」という私たちのシンプルな願いは、アラブの平和に、そして世界の平和に直結だ。
 
モカマタリが飲めるイエメン専門のカフェが、日本に一軒だけある。
それまではこのカフェで、妻と二人、珈琲を飲んでいよう。時々彼らを思い出しながら。
 
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2019-02-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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