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映画『運び屋』に真の生き様を見た


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:遠藤淳史(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「すいません、前失礼します……」
 
すでに映画の上映が始まった劇場、男性が目の前を横切って私の隣に座る。
その一瞬、スクリーンが視界から消える。
 
映画はその世界観に没入できるかどうかが全てだと思っている私は、それだけでも気が散ってしまい、ちょっぴり嫌な気分になった。
 
「何で遅れるかな……。一つ前の席にすればよかった……」
 
なんてすぐに考えてしまう自分の心の狭さにもがっかり。
 
こういう、些細なことに寛容になれないのは私がまだまだ若造だからなのか。
けれども、嫌なものは嫌だし、その気持ちに無理矢理に蓋をするのは違う気がする。
嫌なものは嫌だと認めた上で、その出来事の裏側まで想像できればいいのだと頭では分かっている。
 
この男性も、もしかするとここに来るまでに道端で倒れている人を助けていたのかもしれない。
もうすぐ奥さんの誕生日だからそのプレゼント選びに時間を忘れるほどに悩んでいたのかもしれない。
 
実際は何も分からないが、少しでもそういう想像を巡らせることで不快な気持ちの高ぶりは抑えられる。
それくらい「裏側」には出来事に説得力を持たせる効果がある。
 
オリンピックのメダリストや甲子園の高校球児たちに私たちが熱狂するのは、
一世一代の大舞台までに、絶え間ない努力を重ねてきたという確かな事実を知っているからだ。

この、本来であれば誰も知る由がない「裏側」を積み重ねることで、その人の「生き様」は出来上がるのかもしれない。
そしてその生き様は、どんな形であれ誰かの心を動かす力を秘めていると、現在公開中の映画『運び屋』を観ながら思った。
 
『運び屋』は、御年88で監督と主演を努めたクリント・イーストウッドの生き様の集大成のような作品だ。
 
その名を知らない人でも『硫黄島からの手紙』の監督だと言えば少しは伝わるだろうか。半世紀以上に渡って数多くの映画に出演。また同時に監督としてもキャリアを築き、過去に2度アカデミー賞を受賞し名実ともにハリウッドを代表する巨匠。
 
その彼が手がける『運び屋』は、90歳で逮捕された実在の麻薬カルテルのドライバーがモデル。
仕事一筋で、家族をないがしろにし続けてきたイーストウッド演じる主人公アール。自宅を差し押さえられ、娘や妻にも突き放された彼は、大金欲しさに麻薬を運ぶドライバー業に手を染めていく。人生の終着点が近づいて初めて抱く後悔にアールはどう向き合うのか、家族と分かり合うことはできるのか……というストーリー。
 
まずそもそもイーストウッドは、2008年に実質的な俳優引退宣言をしている。
ただこれは、完全に監督業に専念するという意味ではなく、のちに「興味を引く役があれば演じる機会があるかもしれない」と、心情が揺れ動く発言を残している。
 
そして彼は今回、自らが監督と主演を努める作品としては、実に10年ぶりにスクリーンに戻ってきた。
 
「この役は自分にしかできない」
 
イーストウッド自らそう語るほどに、掘り下げて伝えたいテーマがあった。
他の俳優ではなく、自分が演じなければ完成しない。
90歳を目前にしても衰えることを知らないその製作意欲に、否が応でも期待せずにはいられなかった。
 
そして鑑賞後の私は、イーストウッドが伝えようとしたメッセージの重みと説得力に、ただただひれ伏すばかりだった。
 
『運び屋』が私たち観客に投げかけるメッセージは、さほど特別なものでもない。
私自身、同じテーマを扱った作品をたくさん観たことがあるし、そのたびに「うんうん、確かにそうだよな」と腑に落ちていた。疑問を抱くこともなく、納得していた。
 
だからまさか、胸のど真ん中に豪速球を投げ込まれたような衝撃を受けるとは思わなかった。
1年目のアマチュアと、その道30年のプロ。同じことを教わるのに、どちらの言葉に重みがあるかは誰の目にも明白だと思うが、それくらいの差があった。
 
「この違いはなんだ……」
「一体どこから、こんな滲み出るような説得力がスクリーンを通して伝わってくるんだろう……」
 
それを考えた時に真っ先に浮かんだのが「生き様」という言葉だった。
 
映画を愛し映画に愛され、映画を創り続けている一人の男。
齢88にして、人生の酸いも甘いも知り尽くしたであろうイーストウッドが、未だハリウッドの最前線に立ち、私たちに作品を届けてくれている奇跡。
 
人は自らの経験からでしか物事を語れない。
誰にとっても、年齢を重ねたからこそ見える景色、話せる言葉、伝えられるメッセージがある。
 
イーストウッドは、私たちに人生の「予習」の機会をたくさん与えてくれていると言ってもいい。
 
学生のころ、勉強は予習復習が大事だよと何度も言われた。そうすればテストで高得点が取れるからと、先生は皆口を揃えて言っていた。
復習はなんとなく分かる。一度習ったことを忘れない為に繰り返し学習する意味は理解できた。
 
けれども、どうしても予習の必要性は分からないままだった。なぜこれから学習する分野を、わざわざ先回りして勉強するのか。「習っていないものが分かるはずがない」というスタンスは、中々払拭されることはなかった。
 
けれども、「分からないからこそ先に触れて学んでおくことで、いざという時の失敗や後悔を防ぐ」ために予習は必要だったのだと、『運び屋』を観てようやく気が付いた。
 
イーストウッドが88年生きて学んだ人生の教訓を、映画というエンターテイメントを通して私たちに訴えかけてくれる。それはどんな教科書も及ばない、鉛玉のような重みがある。
 
だからこそ彼が創る映画は味わい深く、ストレートに私たちの心に突き刺さる。
同時に、一仕事終えた後に飲む一杯のコーヒーのような心地いい余韻を、いつまでも残してくれるのだった。
 
エンドロールが終わり場内が明るくなってから、前を横切って隣に座った男性が非常に高齢なことに気が付いた。
観客皆が帰り仕度を始める中、彼は座りながらしばらくスクリーンを見つめたままだった。
 
イーストウッドと同じように、顔に深く刻まれた皺がそれまでの人生を物語っているようにも見えた。きっと、自らの人生と重ね合わせて余韻に浸っているのだろう。
私なんかよりもうんと長く生きているあの男性の方が、心に突き刺さる部分は多かったに違いない。
そのことを少し羨ましく思いながら、私は劇場を後にした。
 
 
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2019-03-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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