ゴルフ未経験の私が、百貨店のゴルフ売場に立った日
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高林忠正(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
20代の頃、ゴルフは好きではなかった。
百貨店に入社した私にとって、「ゴルフをプレイする=握る=賭ける」というネガティブイメージが染み付いていたからである。
もちろん、ゴルフをプレイしたこともないし、ゴルフクラブを握ったことすらなかった。
休日を前にゴルフの約束をしている先輩たちを見て、自分には声がかからないようにといつも思っていた。
入社して最初に配属されたセクションは紳士アパレルのバーゲン会場。
1枚1000円の紳士セーターや、3足1,000円の紳士靴下セットをワゴンサービスで販売していた。
そんなある日、人事異動の辞令を受けた。
異動先はスポーツ用品のコーナー。初めての異動である。
未知の仕事に対していささか緊張した。
異動の挨拶に行った私は配属先を聞いて目の前が真っ暗になった。
あれほど好きではないゴルフ用品売場だったからである。
「私、ゴルフってしたことないんです」と告白した私に、スポーツ用品売場の部長さんは笑うだけだった。
「だいじょうぶ。なんとかなるから」と。
ほんとになんとなるんだろうか?
考えれば考えるほど、気持ちは沈んでいくばかりだった。
「宮仕えはイエスマンになること」
先輩から常々言われてきたことである。
ゴルフ売場に決まったことで、自分の感情を押し殺して働くしかないのかと、半ば絶望感を感じていた。
ゴルフ売場初日、緊張感満載で店頭に立つことになった。
「いやだなぁ」と思ったところで列車は走り始めている。
飛び乗るしかなかった。
午前10時、開店早々のゴルフ売場は閑散としていた。
前の仕事バーゲン会場は、朝からご婦人をはじめお客さまがひっきりなしだったのにもかかわらず意外だった。
ゴルフ売場の最初は、先輩のレクチャーから始まった。
なにしろ、素人の私に対して、初歩の初歩の説明である。
1番ウッドがドライバー、3番ウッドはスプーン。
アイアンは、金属でできているもので、いわゆるアプローチショットに使うもの。3番から9番まであって、それ以外にピッチングウェッジとサンドウェッジがある。
パッティングはパターで打つ。
ゴルフクラブを入れるキャディバッグから、ゴルフボールにティーなどなど。
少なくとも30分間、ゴルフをプレイする際の用具についての説明を受けた。
午前11時を過ぎても、お客さまはどなたもいらっしゃらなかった。
このままの状態が続くのだろうか?と不安になってきた。
そんなときである。背後からいきなり声がかかった。
40代の男性だった。
「飛ぶゴルフボールのおすすめは?」
いきなり聞かれたことで面食らった。先輩のレクチャーには飛ぶゴルフボールの説明はなかったからだった。
そのときである。販促用のPOPの文字が目に留まった。
《飛距離は従来の20パーセント増し!》
B社のゴルフボールだった。
この際、これを勧めることにした。
「今話題になっているのが、このB社のNというボールなんです」
お客さまの瞳が開いたのが分かった。
「これかぁ!!」という声。それ以上の説明は不要だった。
ゴルフ売場での初めての販売だった。
ホッと胸をなでおろしたものの、12時に近づくにつれて、次第に男性サラリーマンが増えてきた。
季節は4月。昼時ということで店頭はワイシャツ姿のサラリーマンであふれていた。
昼食帰りに立ち寄った風の人たちばかりである。1時間前の閑散はいったい何だったのか不思議な感じがした。
気がつくと、20代から上は60代までだろうか。ゴルフ売場はサラリーマンの殿堂と化していた。
(どうしよう。説明を求められたら……)
不安が増してきた。
よく見ると、お客さまはその日新発売されたドライバー(1番ウッド)に殺到している。
手に取って感触を味わう人もいれば、サンプルの試打用のクラブを練習スペースで振っていいる人もいる。
1つ言えることは、皆さん一心にゴルフクラブに触れているのである。
ふと、この風景にはなにか見覚えがあるような気がした。
私の無意識から過去のシーンが下りてきた。
(そうだ。子どもが好きなおもちゃを手にしたとき、こんな表情をしたよな)
まさに、大人にとってこよなく愛する「おもちゃ」を手にしているようなシチュエーションである。
そのときである。
「ちょっといいかな?」
正面の50代のお客さまから説明を求められた。
「私の場合、ロフト角度は何度がいいかな?」
とっさに聞かれたことであせった。
ロフト角度とは、クラブのフェース面の傾斜角度のこと。
角度が大きいほどスピン量も多くなり上に上がりやすくなる。
反対に角度が小さいほど遠くへ飛ばしやすくなる。
ただし、なんと説明してよいやら分からない。
「少々お待ち下さい」
備品を取りに行くふりをして、近くにいた先輩にさりげなく聞いてみた。
すると、なにも言わずに走り書きしたメモ用紙を手渡された。
12度>11度
カンタン
正直言って、ゴルフクラブのことは、私よりもお客さまのほうがご存知である。
この際、先輩のおっしゃるとおりに伝えるしかない。
「はい、お待たせいたしました。あえて申し上げるとすれば、12度のほうがよりスイングしやすいと存じます」
「やっぱりなぁ、そうだよな。さっきから手にしている感じがどうも12度のほうがしっくりくるみたいなんだ」
お客さまは満面の笑みである。
ご自身で感じたことを、私に意見を求めてきたのだった。
「これいただくね」
金額は単価88,000円。サラリーマンにとって、決して安いとはいえない買い物である。
「ありがとうございます」
専用のケースに入れて手渡すとお客さまは心からご満足された表情で言った。
「次はスプーン(3番ウッド)かな。また、寄せてもらうね」
この方のうれしそうな後ろ姿を見ながら、(こんなにまで喜んでくださるんだ)と驚きを隠せなかった。
ゴルフのプレイ経験はゼロでも、販売員としてお客さまにご満足いただけることがこの上ない喜びに変換した瞬間だった。
ゴルフ売場に在籍した期間は3ヶ月だった。
しかしその間、ゴルフ素人の私は、初心者の視点でお客さまに接客し、品物を提案することを心がけた。
それは、お客さまのお話を聞きながら、お客さまと一緒に最適な品物をお選びいただく日々だった。
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