週刊READING LIFE vol.139

「怒り」の炎を燃やし続けて生きる《週刊READING LIFE vol.139「怒り」との付き合い方》

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2021/08/16/公開
記事:垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
「なんでお前らが俺の代わりに舞台に上がってるねん!!
 
そのスポットライト…… 拍手喝采…… それ全部、俺のものだったのに……
 
くそーっ!!」
 
どうしようもない怒りと、悔しさで、涙が溢れて零れ落ちた。
大学の部活は最後の最後に大怪我をして終わってしまった。

 

 

 

1992年11月、卒業まであと4ヶ月。
 
母校京都産業大学にこの年新しく完成した「神山ホール」が最後の舞台となるはずだった。
学祭の恒例イベントのひとつとして行われてきた武道祭がこのホールの舞台で開催されることになった。
 
合気道部の主将として、この舞台で披露する演武で引退。
全てを出し切って、四年間悔いなし! と胸を張って笑顔で締め括る。
そのために、最後の最後まで全力で稽古に打ち込んでいた。
 
「この4年間の集大成、俺がやってきたことを全部見せるからな!!」
 
一年生の頃から怪我が多くて、他の部員に比べて満足に稽古ができない時間が多かった私は、4年間何度となく悔しい思いをしてきた。
 
膝を痛めてしまい、皆と同じ稽古ができない。
3年生の時には腰を悪くし、半年近く何もできなかった。
 
悔しくてもできないのだからどうしようもなくて、ずっとイライラしていた。
やけになって部活を辞めようと思ったことも何度もあった。
 
それでも、先輩は辞めることを許してくれなかった。
「それでもできることはあるはずだろう。逃げるな。自分に負けるな」
何度もそう言って励ましてくださった。
 
後輩ができても、思うように稽古ができないことは負い目となった。
後輩が必死に頑張っているのに、それを横で見ているだけの時間が恨めしかった。
 
できることと言ったら、誰よりも一番声を出して場を盛り上げることくらいだった。
そうでもしないとサボっていると思われるようで怖かったし、自己嫌悪に陥ってしまい、モチベーションを維持することができなかった。
 
それでも、合気道が大好きで、技では誰にも負けたくなかったから、怪我をしている時は、数少ない稽古を補うように全部員の動きを追い続け、重心がずれている、肩に力が入りすぎている、間合いが悪いなど、見取稽古では見る目を鍛え、自分が技を稽古できるチャンスには、その一本を大切にして技を磨いていった。
 
負い目はあったけれど、客観的な目線で全体の稽古を見て気付いたことは遠慮なく先輩にも意見を言った。
 
稽古量が少なくても、技術と知識では絶対に負けない!! と、自分にできることを精一杯やって、幹部となった年には主将を務めることができた。

 

 

 

私は怪我のせいで、一度も流派の全国大会のメンバーになることができなかった。
合気道は試合がないため、インカレのようなものはなく、学生連盟や流派の演武大会が日頃の稽古の成果を披露できるチャンスだ。
一番の大舞台は流派の大会だったが、これには一度も出ることができなかった。
 
自分より下手なやつが代表として出場するのが悔しくてたまらなかった。
でも、怪我はどうしようもない、とずっと我慢をしていた。
 
「今年の武道祭は神山ホールで開催する」という連絡を受けたのは実質的にはもう引退して部活の指揮権は後輩に委ねた後だったけれど、最後だから出させてくれと半ば強引に主将権限を振りかざして演武のトリを務めることにしたのだ。
 
自分自身にも、受けを務める後輩にも、レベルの高い内容の演武を目指して稽古を積んでいったのだが、一番頼りにしていた後輩が私の技に対応しきれず怪我をしてしまった。
 
この時点で思い描いた理想の演武はもう無理だったのだが、「最後だから、一度くらいはお前の受けを取らせてくれないか」と同期が代役を務めたいと申し出てくれた。
受けのレベルは数段落ちるけれど、その気持ちもありがたかったので、諦めずに演武を完成させようとした矢先、大事故が起こってしまった。
 
投げ技を放った直後、激痛とともに道場が90度傾いたのだ。
突き抜けるような痛みと共に視界に映ったのは誰のものかわからない足だった。
 
私は右に崩れ落ち、誰かの足の上に倒れこんでいた。
何が起こったのだろう? これは誰の足だろう? とその足を見てみると、私のものだった。
右ひざが真横に、180度反対の方向に向いてしまっていた。
 
受けを取り損ねて、私の膝の上に落ちてしまい、曲がらない方向に強い圧がかかり靭帯を損傷、膝から下があり得ない方向を向いていた。
 
一瞬、何が起こったのか理解できず、咄嗟にやったことは足の位置をあるべき位置に直すことだった。
痛みは無い。今のはなんだったのだろう? と思いながら立ち上がろうとしたら……
またもや膝が真横に折れたのだった。
 
「あれ??? もしかして……終わった……のかな……?」
 
目の前に迫っていた最後の舞台は、目前でスルリと零れ落ちて消えてしまった。
 
「救急車呼びましょうか」
「いや、いいわ。 なんとか歩けるから……このまま病院行くわ。 ごめんやけど、あとは頼むな……」
 
受けを失敗した相手よりも、怪我をしてしまった自分が許せなくて、悔しくて悔しくて後輩たちの前で平静を保つことなんてできないと思ったし、傍に誰かいたら、感情が壊れてしまいそうだったから、泣いてしまう前に独りで道場を後にした。
 
いつもなら10分かからずに着くバイク置き場まで1時間近くかかって足を引きずりながら歩いた道は真っ暗だった。
これが最後の舞台、になるはずだったのに、一瞬先に待っていたのは「闇」だった。

 

 

 

スポーツの怪我は、どんなに注意していても起きる時は起きてしまう。
どれだけ一流の選手でも、どれだけ設備が整った環境でも、どれだけ注意していても、完全に避けることができない。
 
そして、一瞬でこれまでの努力を吹き飛ばしてしまう。
 
必死に向き合っていればいるほど、その絶望感は大きくて、後に残されるのはどうしようもない「怒り」だ。
誰が悪い訳でもないから、その怒りを抱えたまま、どうしようも無くなってしまうのだ。
 
最後まで努力を続け、結果として目標に届かなくても、それはそれで納得できることもあるが、怪我で断念せざるを得ない、というのは実に悔しいものだ。

 

 

 

怪我の処置を終えた。
膝を固定し松葉杖の生活だ。
私の代役で武道祭に出場する部員の稽古を見てやらなければならない。
本当はもう関わりたくも無かったけれど、立場上そうもいかない。
悔しさは押し殺して、部員を指導する。
どうしても自分と比べてしまい、悪い所ばかりを見つけてしまう自分が嫌だった。
 
迎えた当日は、どんな気持ちになるかわからなかったけれど、皆で一緒に笑顔で見れるとは思えなかったので独り離れたところで観戦した。

 

 

 

思い描いた理想に辿り着ける者なんて、実はほとんどいない。
特に勝負の世界は勝者はたった一人で、後の全員は敗者だ。
オリンピックでも高校野球でも、どんな競技でもたった一人を除いて、全員が負ける。
 
ほとんど全員が理想に手が届かないのが現実だ。
 
「負け」をどう受け止めるか? によって、その後は大きく変わってくる。
 
負けを認めて受け入れて、きれいさっぱり諦めて去っていく者、悔しさに押し潰されて立ち上がることができないままになる者、悔しさと向き合い、乗り越えようとする者。
現実を受け入れられずに目を背けたままになってしまう者もいる。
 
どんな形であれ、敗者が向き合うことを避けられないのは「怒り」だ。
 
強く執着していればいるほど、どうしようもないとわかっていても、勝てなかったこと、やり遂げられなかったことを責めてしまう。
 
いつか、どこかで折り合いをつけなければならないのだが、それには時間がかかるものだ。
 
私の大学合気道は、突然の事故で呆気なく終わってしまった。
でも、あれから30年近く経った今も私は合気道を続けていて、指導者の資格を取得して25年目になる。
 
もし怪我をせずに、理想通りの最後を迎えていたらどうなっていただろうか?
きっと、あの日で燃え尽きてすっかり満足して終わっていたのだろう。
たった4年ほど合気道を経験しただけで満足して終わり。
 
しかし、怪我をして最後の舞台に上がれなかった悔しさが原動力となって、今もずっと合気道を続けていられるし、生涯かけてあの日やるはずだった演武を越える演武をやりたい、と思う気持ちを持ち続けることができている。
 
仕事でも趣味でも人間関係でも、いろんなところで「怒り」を感じることはある。
それは当たり前のことだ。
喜怒哀楽、どんな感情も当たり前に持っているのだから、感じて当然だ。
 
でも、それらの感情と真っ直ぐに向き合うことができているか? というと必ずしもそうとは言えない。
 
特に、「怒り」は敬遠しがちだ。
 
その中でも、悔しさから生まれる「怒り」は上手に付き合うことができれば大きなエネルギーになるのだが、負けから生まれるエネルギーなだけに扱いが難しくて、さっさと手放してしまうことも多いのが実際だろう。
 
勝てなかった、目標に届かなかった、認められなかった、失敗した、チャンスを手にすることができなかった、など悔しさを感じる場面は日常生活にいくらでもある。
 
そんな時に、なにくそ!! と思えたら、今を乗り越えて更なる高みに届くエネルギーに変えることができるのだ。
 
私は、今もあの日の悔しさをずっと忘れずにいる。
だからこそ、どれだけ上達してもいつかあの日を越えてやる!! という気持ちが消えないし、あの日生まれた「怒り」を心の奥でずっと燃やし続けることができているのだと思う。
 
怒りに負ける、怒りに屈する、怒りを受け入れる、潔く負けを認めるのも悪いことではないし、その時感じた怒りを手放すことも悪いことではない。
 
でも、どうしても諦められないことって、生きていればひとつやふたつあってもいいと思う。
 
その怒りに負けずに、ずっと持ち続けることができたら、その怒りは無限にエネルギーを供給し続けてくれる発電所のような存在にもなりうるのだ。
 
私はあの日、怪我で一旦は目標を見失ったし、自暴自棄にもなった。
相手を恨んだし、自分のこともそれ以上に責めた。
どうにもできずに、燃え残った思いにずっと火を灯し続けることができているのは、皮肉なことにあの日の「怒り」のお陰だ。
 
今となっては、合気道を生涯求め続けていこうと思えているのは、あの日の怪我のお陰、だと思っている。
 
怒りは、扱い方を間違ってしまうと人生を大きく狂わせてしまうような大きなエネルギーを持っているくせに、とても身近にあって日々感じる感情だ。
 
扱いにくいけれど、上手に取り込むことができれば、大きな困難に挑んだり、ずっと諦めずに挑戦し続けるエネルギー源にもなるような感情でもある。
 
せっかくなら、感じた怒りを上手に力に変えて活かすことができた方がいい。
活かすために必要なこと、それは諦めないこと。
 
「怒り」は上質なエネルギー源だと実体験を踏まえて言える人は少ないかもしれないが、実体験を踏まえて断言できる。
 
諦めなければ、取り込んだ「怒り」の炎は消えることなく心の中で燃え続けるのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

兵庫県生まれ。
2020年5月開講ライティングゼミ、2020年12月開講ライティングゼミ受講を経て2021年3月よりライターズ俱楽部に参加。
「誰かへのエール」をテーマに、自身の経験を踏まえて前向きに生きる、生きることの支えになるような文章を綴れるようになりたいと思っています。

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2021-08-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.139

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