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運命の女神の前髪を掴め……物理で!《週刊READING LIFE Vol.78「運」は自分で掴め》


記事:記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
一度だけ、「運」を物理的に掴んだことがある。
 
ウンはウンでもウンチでした、なんてしょうもないオチではない。あれはFortuneだとかDestinyだとかの「運」といって差し支えないだろう。高校二年の頃に所属していた吹奏楽部では、コンクール本番に備え、区民ホールを借りて一日練習するのが慣例だった。通称ホール練だ。指導して下さるOB・OGの先輩方や先生がホールの音響での演奏を確認して、全体的なバランスを調整してより完成度を高めるのだ。ホール練はコンクール予選の一ヶ月~二週間ほど前、だいたい7月半ばに行われる。事前に区民ホールに利用の申し込みに行くのだが、希望者多数の場合は抽選となるのだ。その時の抽選で、私は物理的に「運」を掴んだ。
 
「ホール練の抽選、明日なんだ……」
 
コンクールが間近に迫る中、部長のユウが不安そうな顔で呟いた。楽器だらけの狭い部室で、部長と副部長の私、もう一人の副部長のリカ、あと学生指揮者、略して学指揮の二人がいたような気がする。いつも堂々としているユウがこんな様子なのは、誰が抽選に行くか決めなければいけないからだ。希望者が何人だろうと、当選は一人。期末試験とコンクール予選日からみて、日程を前後させるのは難しい。この抽選が通らなければ、今年はホール練なしでコンクールに挑まなければならない。一演奏者としてホール練なしでコンクールに挑むことの不安もさることながら、ユウは部長としての責任をひしひしと感じているからこそ不安そうなのだと、私は痛いほど分かった。
 
「誰か、抽選に……」
 
その先の言葉を紡げないユウ。リカも、残りの二人も、みんな口をつぐむ。そりゃ誰だって自分が抽選係になるのは嫌だろう。外れたら部員全員から恨まれることになるのだ。今年はあの人のせいでホール練がなかった、だからコンクールの成績もよくなかった──抽選に挑んだ人に悪気がある筈もないのだが、理不尽を前に誰かを恨んでしまうのは致し方ないことなのかもしれない。そもそも抽選になるということは、少なくとも二人以上の申込があるということで、どんなによくても確率は50%だ。人数がもっと多ければ更に確率は下がる。そんな大博打、自分から進んでやりたがらなくて当然だった。ユウ大変だな、くらいに思っていた私の口から、するりと言葉が飛び出した。
 
「いいよ、私、行く」
 
え、私今何言った? 反芻する前に、ユウの顔が輝き、リカが信じられないものを見た目で私を振り仰ぐ。学指揮の二人も呆然としている。え、え、ちょっと待って。
 
「私、結構くじ運いいからさ。外れたらごめんね」
 
私の意志とは裏腹に、次の言葉がつるつると滑り出る。もう全員ありがとうありがとうとお礼を言いまくりで、ごめん気の迷いだった、とはもはや言えない雰囲気だ。ユウはすぐさま私に区民ホール申込用紙の控えと、抽選のお知らせの紙を渡してきた。リカも残りの二人も、よかったよかった、なんて帰り支度を始めている。え、これもう断れない。なんで私こんなこと言っちゃってるの? なんでなんでなんで。ストレスで胃が痛くなるがそれ以上の言葉が出てくることはなく、くじ係はつつがなく私に決定してしまった。
 
「抽選、けいちゃんがいくの?」
「うん、なんか行くことになった」
 
会議が終わるのを待っててくれた友達に、自分から立候補したとはなんとなく言えなかった。偉いね、頑張ってね、とみんなが声をかけてくれて、その一つ一つがプレッシャーになって鞄の中に詰め込まれていくようだった。あー、なんであんなこと言っちゃったんだろう。そんな気持ちがぐるぐる渦巻いたが、嫌だとか、後悔だとか、マイナスの気持ちには不思議とならなかった。ホール練はきっとできる、そんな気がする。私は当たりを引けるような気がする。そうしたら私はヒーローだ、みんなめっちゃ褒めてくれるだろうな。何の根拠もない安直な希望的見解が、むしろ私を高揚させた。
 
そう、なんとなく、自分はくじ運がいいような気がしていたのだ。
 
小学生になるかならないかの頃、パンダ物語という映画が大ヒットして、猫も杓子もパンダ、パンダ、という時期があった。私の家の近所の紳士服店が客寄せにパンダのぬいぐるみが当たるくじ券をチラシにつけていて、兄と一緒に毎週のようにくじを引きに行っていた。ある日曜日も、紳士服店のチラシにくじ開催のお知らせとくじ券がついていて、兄と連れ立って開店早々乗り込んだ。チラシを握りしめた幼い兄弟が日曜の朝に「パンダのくじお願いします!」なんて飛び込んできたのだから、応対した若いお兄さんもニコニコしながら案内してくれた。一等のパンダは、子供の目線にはスイカより大きい、抱えきれないような大きさのぬいぐるみだった。一番ビリッケツは六等、キーホルダーにつけるのがちょうどよさそうなサイズ。兄は先週くじ引きして六等を当てたので、今週は私の番だった。ワクワクしながらくじ箱に手を突っ込んで、三角くじをお兄さんに渡した。六等は嫌だな、せめて三等くらいがいいな。
 
くじを破いて中身を確認するお兄さんの顔色が、さっと変わった。
 
「……一等だ」
 
一等は、スイカよりも大きい、抱えきれないような大きさのパンダ。
 
「えっ、一等!? ほんとに!?」
「ええー!?」
 
子供二人、甲高い声で大騒ぎした。私は興奮して店内を何周も走り回ったような記憶がある。まだ午前中の開店直後、それも日曜なので、店内には私達しか客がいなかった。紳士服店としてはそれこそ客寄せパンダで、ついでにシャツでも買ってくれればという狙いだったのだろうが、子供二人、何も買わずに客寄せパンダだけ連れていってしまうのだ、先ほどはニコニコしていたお兄さんは、帰り際は浮かない顔をしていた。家に帰って母に報告すると仰天し、私を連れて紳士服店に戻り、何度も頭を下げながら父の靴下を買っていた。今思い返すとその辺りは古き良き昭和だなと思う。
 
その他にも、子供のころはおみくじを引くと必ず大吉だった。大吉以外が出たのは大学生になってからで、とても驚いたのを覚えている。近所のスーパーで秋の味覚抽選会があった時も、一等のマツタケが当選した。パンダの時は六等だった兄も、おもちゃ屋さんのくじ引きで一等を出し、お相撲さんかとおもうようなバカでかい犬のぬいぐるみを担いで帰ることになった。兄もまあまあくじ運が良かったのだ。だが勢い込んで宝くじを買っても、連番で下一桁の賞くらいしか当たらない。何でもかんでもいいわけではなく、ふとした時に思いがけないものが当たる、そんなくじ運なのだなと理解していた。
 
私はくじ運がいい。
だから多分、ホール練の抽選は当たるだろう。
 
確証のない確信を胸に、翌日私は自転車で区民ホールに向かった。吹奏楽部のみんなは練習している時間だ。全員の期待を背負っていても、初夏の空気を切り裂いていくのは心地良い。くじはどんな形式なんだろうな。箱の中にいれる方式かな。紐とか棒を引っ張るタイプかな。まさか区民ホールにガラガラポンはないよな。くじ引きの順番はどうやって決めるんだろう……。
 
区民ホールにつく頃にはさすがに汗だくだった。凍らせた麦茶のペットボトルで水分補給をして、汗も気持ちも落ち着ける。ひんやりと冷房の効いた建物内に入り、手続き申込カウンターに行くと、既に何人もの人が所在なげにたむろしていた。抽選開始まであと十分ほど。もしかしてこの人たち全員抽選の人? どう数えても十人以上いる。ちょっと想定外だ。なんとなく五、六人じゃないかなと思い込んでいて、五人なら20%なのでくじ運が良ければ何とかなるような気がしていたのだ。十人だと10%。それ以上だと確率は一桁になる。苦手な数学で習ったばかりの確率の公式を思い出して、心臓が縮みあがるのを感じた。
 
だ、大丈夫かな。
くじ運いいなんて言うんじゃなかった。
 
「では、七月十八日の区民ホール利用の抽選を始めます」
 
私の後にも何人か訪れて、最終的な人数は十七人になった。いちわるじゅうなな、ええと、二十なら5%になるはずだから、ええと……。説明を上の空で聞きながら暗算しようとしても、緊張して指先がじっとりとして、とても答えを出せそうにはなかった。抽選係の担当者は線の細いおじさんで、受付カウンターの横に私たちを集め、ぼそぼそした声で説明し始めた。どうやら抽選の順番は申込順のようだ。一番目、どこそこ。二番目、だれそれ。小さな声を聞き漏らすまいと耳を澄ましていくと、集中も緊張も一気に高まっていく。
 
「川和高校吹奏楽部様、五番目」
 
五番目、五番目だ。十七人中五番目、いいのか悪いのか分からない。早い方が良かったのか? いや遅い方が残り物には福があるっていう。いやいや、数学の授業で、くじ引きの場合は最初でも最後でも確率は変わらないって言ってた。五番目でも問題ない、大丈夫。あ、でも四番目までの人が当たりを引いちゃったら、どれだけ私のくじ運が良くても意味がなくなっちゃう! わあ、それなら早い順番の方が良かった! でもでも、残り三本とかの方が、自分で引けるという点ではよかったのかな!? どっち、どっちだ!? とにかく私は五番目だ……!
 
誰もが考えることは同じようで、くじ引きの順番が発表された後、集まった十七人は皆どこかそわそわしていた。どこかのカルチャースクールの代表のようなご婦人や紳士もいたし、私とは違う高校の制服の女の子もいた。あの子も吹奏楽部で、ホール練の場所とりに来たんだろうか。お互い大変だね、でも譲るわけにはいかないんだ。
 
「今日は十七人いらっしゃいますので、こちらの棒を十七本用意しました。ここには今十六本入っています」
 
担当のおじさんが、大きめの茶筒のような缶に、菜箸のような棒をたくさん入れた。長さ的には菜箸だが、先端まで同じ太さ。きっとくじ引き専用の棒を買ったか、細い棒を東急ハンズあたりで買ってきたんだろう。
「これが当たり棒です」
 
出た、当たり棒!
 
先端に、黄色い印がついた棒。他は残りの棒と何ら変わりはない。あの棒、あの当たり棒、あれを絶対に引き当てなくちゃ! 十七人が全神経を注いで担当のおじさんの手元を見つめる。おじさんも熱気にあてられて、少し震えた指先で、当たり棒を缶の中に入れた。あれだ、あの棒、あれが当たり棒だ……。
 
「混ぜます」
 
おじさんの頼りない声。震える手でおじさんが缶を振ると、じゃっ、じゃっ、と棒どうしがぶつかり合う音がする。あれだ、あの棒、あれが当たり棒。私は目が爆発するんじゃないかというほど力を込めて、混ぜ合わされる当たり棒の行方を必死に追っていく。あれ、あれだ、あれが当たり棒……! 見逃すもんか、絶対、絶対に当てて見せる……!
 
おじさんが缶を振る手が止まった。
 
……あれ。
 
「混ざりました」
 
……混ざったの?
 
私は戸惑った。私の目線は、未だ当たり棒を捉えていた。おじさんが缶を振る前、缶は斜めになっていて、当然外れ棒は缶の下側に寄っていた。当たり棒は外れ棒が積み重なる上のところにそっと置かれたが、おじさんが缶を振るにつれ、当たり棒はだんだん端により、今は束の一番下のところにあったのだ。食い入るように見つめ続けていたから間違いない。え、これで混ざったの? 私が見て分かるんだから、他の人も分かってるんじゃないの? そしたら一番の人が有利じゃない? 見えないところで混ぜた方がいいんじゃない? みんな、私と同じように必死に缶を見つめていたに決まっているんだから……。そのままじゃ当たり棒が分かっちゃいますよって、言った方がいいのかな……。
 
「では、一番目の○○ソサエティさん」
 
言うべきか、言わざるべきか、迷っている間に、一番目の人が呼ばれてしまった。ああ、もうだめだ、あの人にとられてしまう! 社会人サークルなのだろうか、スーツ姿のロングヘアのお姉さんがおじさんのところに進み出た。細い指先を戸惑いながら缶の方に伸ばす。一番下のあの棒、あれを取るに違いない、だってあれが当たりなんだから。もうだめだ、ごめん、みんな、ごめん!
 
お姉さんは、上の方から一本引き抜いた。
 
「ハズレです」
 
お姉さんはがっくりとうなだれて、先ほどまでの立ち位置に戻っていく。私はその様子が信じられなかった。私には未だに当たり棒がどれなのかはっきり見て分かる。お姉さんの様子も気にしていたけど、当たり棒から一秒たりとも目を逸らしていない。なんなら今は少し光っているようにさえ見える。でもお姉さんはその当たり棒を引かなかった。お姉さんには当たりがどれなのか分からなかったのだ。
 
見てなかったんだ、あんなにはっきり分かるのに!
 
(……神様!)
 
これは、当たりが引ける! 私のところまで順番が来さえすれば!
 
ただ待っているだけの時間がこれほど長かったことがあっただろうか。女子高生が目をギラギラに見開いて、鼻息を荒くして、おじさんの手元をじっと見つめている。他の申込者も多少なりともドキドキしていたのだろうが、私はとにかく、当たり棒から目を離さないことと、どうかあと三人が当たり棒の位置が分かっていないことを祈り続けた。もしくは偶然当たり棒を引いてしまうのも勘弁してほしい!
 
二人目、真ん中あたりを引いてハズレ。
三人目、右の方から引いてハズレ。
 
頼む、頼むよ、どうか私のところまで。
 
四人目、また上の方から引いてハズレ。
 
「五番目、川和高校吹奏楽部様」
 
よ、よ、呼ばれた! 私の番だ! ここまで来た、当たり棒はまだ残ってる! 動悸が激しすぎて、立っているところからおじさんのところまで歩いていくのも辛い。当たり棒と私の距離がぐっと縮まる。みんな本当に分かってないのかな。私の後の人で、当たり棒が分かってる人はいたのかな。これで私が当たり棒を引いたら、当たり棒がずっと見えてたからやり直してくださいとか言わないかな。え、そもそも当たり棒、これだよね、この一番下の、これだよね?
 
ずっと見つめ続けた当たり棒を、震える指先でつまむ。
棒の先に燦然と現れた、黄色い当たりのしるし。
 
「……当たりです」
 
おじさんの、どこか安堵したような声。
 
「当たり……」
 
今、私、運を掴んだ。
そんな確信で全身が満たされて、ブルッと武者震いする。
 
「当たったぁ!」
 
自分の素っ頓狂な声と、あちこちから悲嘆のため息が聞こえてきた。ああ、とられた! どうしよう、外れちゃった。残された人たちの声、一歩間違えればあれは私だったのかもしれない。そう思うと心臓のドキドキはくじを引く前以上に激しく、顔はニヤニヤ笑いが止まらなかった。十七分の一、なんて確率だろう! 10%もない当選確率から、確信をもって当たりを引けるなんて、間違いなく今運命が私の味方をしている! こりゃコンクールもいい線までいくに違いない、間違いない……。おじさんが手続きの説明をしている間も上の空で、跳ぶようにして自転車を漕ぎ、学校に、みんなが待つ部室に帰った。部室めがけて爆走する私の姿を見て、部長のユウが真っ先に駆け寄ってきた。
 
「どうだった!?」
 
あれほど晴れやかな気持ちでしたVサインは、今までもこれからももうないかもしれない。

 

 

 

今思えば、くじ引きに行くよ、と返事をした時点で、私は運を掴み、当たりを引き寄せていたのだと思う。それを幸運や直感というのかもしれないが、どちらでも構わない。運がいい人というのは、他人から見ると理解不能な確信に満ちた様子で、信じられないような幸運を引き寄せていく。そういう人たちもきっと、私が当たり棒はあれだと確信できたように、その出来事が起こるのは当然のような感覚で、選ぶべきものを選ぶべくして選び取っているのだろう。それは、私でいうくじを引く瞬間に起きているのではなくて、もっともっと前から始まっているのだ。その予兆を感じ、その時点でしっかり掴み取れる人こそが「運のいい人」なのではないか。かのレオナルド・ダ・ヴィンチが「運命の女神は前髪しかないのでしっかり掴め」と言ったらしいが、彼女の前髪を掴む瞬間は、凡人が思うよりずっと早い時に訪れているのだろう。もしちゃんと運命の女神の前髪を掴むことが出来たら、私が当たり棒を引いた瞬間のように、「運を掴んだ!」という物理的な手応えが後からやって来るに違いない。
 
ちなみに今の私はおみくじは大吉はあまり出ないし、抽選会でもティッシュか洗剤くらいしか当たらない。先日息子と一緒に行こうと思ったファミリーコンサートのチケットの抽選は、当選したと思ったら新型ウィルスのせいで公演が中止になった。だから運の良さとしては凡人極まりない状態ではないだろうか。
 
それでも、いつかまた「運」が目の前に来たら、がっしりと掴み取ってやりたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company

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2020-05-04 | Posted in 記事, 週刊READING LIFE vol.78

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