ありさのスケッチブック

世界を変えるために自己紹介の練習をしよう。《ありさのスケッチブック》


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「じゃあ、次はありさの番ね」

どきん。

高鳴る心臓を抑えながら辺りを見渡す。
ああ、本当にわたしの番なんだな……

わたしは、自分の順番を来るのをずっと待っていた。
わくわくしていた。それと同時にどきどきしていた。
期待と緊張の入り混じった気持ちでいた。

わたしは注射を打つ前の子供のようにそわそわしっぱなしだった。
意味もなく目の前にあるお皿の向きを変えてみたり、
箸をきれいに整えたり、
麦茶の入ったコップに何度も口をつけたりした。

他の人の話も聞いているが、ちゃんと聞いていられない。
自分のことを考えるのに精いっぱいだった。

どんなことを話そうか。
上手くできるだろうか。
面白いって思ってもらえるだろうか。
つっかえずに話せるだろうか。

気がついたら、私は心配ばかりしていた。
わくわくしているなんて、ただの強がりだ。
わたしはきっと……不安なんだ。

わたしが不安を認めたその時、
わくわくしていていた気持ちは一気に消え去った。
その代わりにやってきたのは
わたしを押しつぶすような得体のしれない感情だった。

不安というのは、怖いものである。
やってきたと思ったら一瞬でわたしから気力を奪い去る。
視線の先には光が見えない。
そこに見えるのは、何もない真っ暗な闇だ。
どこに向かっているのかということですらわからなくなってしまう。

こんな中で強気になれと言われたって無理だ。
楽しむなんてもってのほかだ。
ただでさえ暗いところが苦手なわたしだ。
光の無い暗闇の中なんて、どう頑張っても縮こまってしまう。

今回もこの不安の闇に飲まれるものかと抵抗しているうちに、
自分の順番になってしまった。

この日、わたしは普段からお世話になっている方の家にお邪魔していた。
初めて会うような人もいたので、それでは自己紹介を、という流れになったのだった。

年上の先輩から自己紹介が始まり、
メンバーの半分以上が自己紹介した後にやってきた、わたしの順番。

やってきてしまったものはもうどうしようもない。
もう、腹をくくるしかない。
ええい、どうにでもなれ!

「ええ、私の番ですね。それでは自己紹介しますね……」

動揺している心を隠せているだろうか。
わたしは、笑えているだろうか。

……なんだか熱くなってきた。
手からも額からもじわりと汗が出る。
頬も紅潮しているに違いない。

わたしはちゃんと話せているんだろうか。
そんなこともよくわからなくなってきた。
口がパクパク動いているから話せてはいるのだろう。
火照った身体とは裏腹に、頭は冷静だった。
焦っている自分がまるで他人のように感じた。

これだから、話す役割というのは嫌だ。
わたしは、聞いているだけでも楽しいのに。
そう心の中で愚痴った。

自分が話すという役割にここまで嫌悪を感じてしまうのは、
会話というものは自分が話さなくても成り立つものだ、
と思っていた期間があまりにも長すぎたからだ。

以前記事にも書いたように、わたしはある出来事がきっかけで口を閉ざすことが多くなった。
(思うように、ことばにできないあなたへ~もし、ヒトに取扱い説明書がついていたら~《ありさのスケッチブック》 http://tenro-in.com/articles/team/16477)

しかし、わたしはこうなる以前から他の人に比べたら口数の少ないこどもだった。
もともと口数の少ないわたしがもっと話す回数が減ったのだから、
どうコミュニケーションをとっていたのだろうと思われるかもしれない。

ずっとわたしは、口数が少なくても一応はやっていけたのだ。
わたしの周りには「話し手」が必ずいたからだ。

小学校の頃一緒に登校していた友達もおしゃべりな子だ。
知り合いの近所のおじさんが一方的に話しかけられているわたしの姿を見て、
わたしがいじめられているんじゃないかと心配していた、なんて話を聞くほどだった。

そもそも、小学校から高校まで、何人かのメンバーで一緒にいることが多かった。
わたしが話さなくても誰かしらが話していた。
自ら話を切り出さなくても面白い話がどんどん出てくる。
会話が成り立つためには、そして楽しむためには聞き役で十分だったのだ。
だからわたしは長い間、自分から話す努力をあまりしてこなかった。
わたしが話さなくても「会話」というものは回るものだ、という思い込みを疑わなかった。

しかし、それは間違っていた。
いつもいる「おしゃべりなひと」ではない人とふたりになることがあった。
何人かのメンバーで集まっていても「わたしが話す」ように振られることがあった。
このような状況下でいつものように相手が話してくれるのを待っても、空虚な時間が過ぎるだけ。
会話は生まれなかった。

確かに、会話をするには聞き手も必要な役割だ。
わたしが聞いているだけでも、他の人が話せば会話は成り立つ。
しかし、大勢の中だとわたしが話さないどころか、「いなくても」会話は成り立ってしまうのだ。

その事実にわたしは気づいてしまった。
いなくても変わらないなんて、存在する意味がないようなものだ。
そんなのは、淋しすぎる。
だから、わたしは「話し手」になろうとした。

焦った。
わたしは、あの「おしゃべりなひと」にならなくてはいけないのか。
わたしは、「話しを切り出すこと」を求められているのか。
わたしは、「面白いこと」を言わなければならないのか。

わたしは、「楽しい会話の責任者」にならなくてはいけないのか!!!!!

ぷしゅー。

どう考えたって、無理だった。
存在をアピールするには話し手になればいいと簡単に考えていたが、
面白い話をするのは、そう簡単にできることじゃない。
ずっとわたしは、楽しい会話の聞き手という、「消費者」だったのだ。
そのわたしが、楽しい会話を提供する、「生産者」になれっこない。
そうやって責任を回避しようとしたが、逃げ切れないところにきてしまった。

「じゃあ、次はありさの番ね」
そうやって渡されたのは、「2017年卒 就職活動」と書かれた切符だった。

そう、大学生3年生であるわたしは、就職活動をする順番になったのだった。
いつかその順番は回って来ると知りつつも、まだまだ先だと思っていた。
しかし、生産者となるべき時期がもう目前になったのだ。

言うまでもなく、わたしは今までずっと消費者だった。
買い物をする。
ご飯を食べる。
テーマパークに出かける。
旅行に行く。
映画を観る。
意識せずとも、一日のほとんどを消費活動に充てていた。
それが、当然のことのように感じていた。

ずっとわたしが聞き手のままでも会話は成り立つと思っていたように、
ずっとわたしが消費し続けていても世界は成り立つものだと思っていた。

しかし、人生そんなに甘くはなかった。
大学を卒業すれば、やってくる就職という道。

あらゆるものの消費者だったわたしが、今度は生産者にならなくてはならない。
その事実を突きつけられた時、これからの自分がどんなことをするのか全く想像できなかった。

自信がなかった。
「わたしはこんなことができます!」
「わたしは御社にこんな価値を提供できます!」
「わたしは、今の状況をもっと良くできると思うのです!」
こんなことを堂々と言えるだけの人間だと思えなかった。

わたしは、あの「生産者」にならなくてはいけないのか。
わたしは、「世の中に求められているモノを作り出すこと」を求められているのか。
わたしは、「成果の出すことができる価値ある人間」でなくてはならないのか。

わたしは、「世界を変える責任者」だと証明しなければならないのか!!!!!

……無理だ。
今のわたしには、世界を変える力なんてない。
どうすればいいのかわからなかった。
来る日も来る日も答えを探し続けたが、答えは出なかった。
「まだ何にも決まってないんだよね~」
そんな言葉を口にするばかりで、むなしくなるばかりだった。

あの日のわたしは、何かにすがるような思いでお世話になった方の家へ向かったのだった。

わたしは、どうしたら世界を変えられますか……
わたしは、価値のある人間でしょうか……
わたしは、成果を出すことができるでしょうか……

全ての不安を解決してもらおうとしていた。

「……ということです」
わたしの自己紹介が終わった。
え、それって……?
さっそく質問が出た。わたしは上手く話せてなかったのだろう。

しかし、うーんと考えて、その質問に堂々と答える自分がいた。
それを、うんうん、と周りのひとも聞いてくれていた。

あれ……?
わたし、面白い話なんて、ひとつもしてない。
それでも、全員がこちらに目を向けて聞いてくれている。
面白くもなんともないわたしのはなしを受け入れてくれる。

そこでやっと気づいた。
「話し手になる」ということは、「面白い話し手になる」のとは別物だ、ということを。
面白い話ができなくたって、話し手という生産者にはなれるのだ。
たとえ下手な話し方でも、オチの無い話しかできなくても、
相手に伝えようという気持ちを持ち、思っていることを伝えれば受け止めてもらえるのだ。

ああ、そうだったのか。
わたしは、世界を変えようとしたから生産者になるのは無理だと思ってしまったんだ。
今の力で世界なんて変えられるわけがない。それは紛れもない事実だ。
じゃあ、なんのために職を得て、生産者となるのか。

いつか、世界を変える存在になるためだ。
もっと良い世界を変えるには、今以上に得なければならないものがたくさんある。
知識、経験、人脈、資金……
挙げていったら今の自分の非力さに悲しくなってしまうほどである。

でも、それでいい。
それだけ自分の力を伸ばせる余地がある、ということじゃないか。
これからもっと自分の力が伸びると思ったら楽しみでしかたない。

今すぐに自分の手で世界を変えられなくったって、
ひとつひとつの小さな「生産者」としての仕事でも、
世界が動くための「何か」に繋がっているはずだ。
それなら、立派な「生産者」といえるじゃないか。

きっと、焦らなくてもそう簡単に世界は変わらない。
いつか自分が世界を変えられる力を得る、その日を夢見て、気長に努力を重ねよう。
日々できることを一つでも二つでも増やしていけば、きっとたどり着くはずだから。

さて、世界を変えるためには、まず生産者としての資格を得なければならない。
自分がこれから一緒に働くであろう方へ自分の思いを伝える練習が必要だ。

それならば。
世界を変えるための努力の第一歩として、自己紹介を練習しようじゃないか。
「自分」という商品を売る練習、それが自己紹介なのだから。


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