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【きっと読んだら嫌いになる】わたしの大嫌いな人の話《こつこメモ》


わたしのおばあちゃんの話を聞いてほしい。

おばあちゃんは、一度使ったものをもう一度使うのが好きだ。プラスチックのトレイや、発砲スチロール、綺麗なお菓子の入った箱から、風邪薬の箱も、一度使ったストローやコンビニのスプーンもとっておきたがる。わたしはそれがすっごく嫌だった。

不衛生だからだ。汚いものは、汚いのだ。どんな神経で綿棒の入ってた丸いプラスチックケースで花を生けるのかわからない。

次に嫌なのは、色々な物を取っておくくせに、平気でテーブルの上に食べかけの果物とかを置くところ。皮の剥かれたりんごが置かれてたりするのも本当に嫌。

二年間、寮に入って、同い年の女の子たちと暮らしてから余計、嫌になった。大学生の女の子でもそんなことするやついないよ。

夏休み、寮に食べ物の仕送りをしてきてくれたところまではよかったけど、その中に「ミスタードーナツ」の包みが入っていた時は驚愕した。

「なんでそんなことするの! 汚いからやめてよ!」

そんなわけで、わたしは怒らずにはいられない。

でも、こうやって怒ると、おばあちゃんは

「わたしゃ貧しい戦争時代を生きてきたんだからしょうがない」

とか言い始める。定番の言い訳だ。

戦時中は物も食べ物も少なかった。なにからなにまで需要が供給を一飲みしてった。戦争中は綺麗なものの方がきっと少なかった。手づかみで食べ物を食べたり、皿もなかったのかもしれない。

おばあちゃんは戦争中、お寺に預けられてお寺で育ったって言ってた。普通、お寺とかって作法とか厳しいんじゃないかな? と思ったけど、とりあえずいくら言っても若干の認知症も働き、絶対治してくれない。

第二位の言い訳が「お年寄りは子供と一緒なのよ」だ。

これを言われるとほんっとうに腹が立つ。歳を武器にするのって、間違ってると思うのだ。

同じ話を何度も何度もしてくるのも、嫌だ。

その戦時中に世話になった寺では、千と千尋さながらに雑巾がけをしていた思い出しか話さない。

そんなお寺で修行僧みたいなことしてた人は、なぜか早稲田大学の政治経済学部に入った。わけがわからなかった。どうやって入ったのか教えてほしいけど、いつも「コネじゃん?」としか言わない。どこにそんなコネがあるっていうんだ。こんな適当なところも嫌だ。

一年でなぜかフランス語の勉強がしたくなってフランス語の学科に入り直したことも聞き飽きた。修行僧だったおばあちゃんは、デモみたいなことをしていた五つ年上のおじいちゃんと結婚した後にパリへ行く。そしてフランス人の冷たさに涙目になりながら帰国する。これも何度、聞かされただろう。

念願の映画会社で働けたのは、本当に嬉しかったんだろう。あまりにも若い時の北大路欣也が美少年だってうるさいから、思わずネットで調べちゃったじゃん。確かに美少年だったよ。

あと嫌なのは、わたしが太るから嫌だって言ってるのに「これ食べる?」「これ飲む?」って、色々薦めてくるところ。「いらない」「食べろ、飲め」「いらない」互いに口が酸っぱくなるほどの応酬。

お菓子を買う時にギフト用のお菓子を買うのも、うちは貧乏なんだからやめて。いつも一緒にいる家族に、なんで他人様にあげるギフト用のお菓子を買うの? 別にわたしは感謝されるようなことをなにもしてない。いきなり阿蘇のソーセージとか、どっかの毛蟹とかうなぎを注文するのもやめて。

「なつこが社会に出た時に恥ずかしくないように」

とか

「良いもの食べとけ」

とか。だからってどうかしてるよ。

よりにもよって毛蟹を朝ごはんにしなくたっていいじゃん。おかげで学校遅刻したよ。

お金もそう。何度もいらないって言ってるのに、いつも交通費とか言ってお札をわたしの枕元に置いていくの嫌なの。そしてわたしはそれを怒ってまた返すんだ。寮に居た時の手紙も嫌だった。一週間に二通は来るから、寮母さんに心配されたぐらいだ。そしてその封の中にもお札が入ってるんだ。なんで二ヶ月に一度しかもらえない大切な年金をこんな惜しまずに平気で渡すの? 自分のことに使いなよ、ずっと苦労してきたんだから。

映画会社の仕事に力を入れていたおばあちゃんは、子供をおろした。そんなおばあちゃんが、やっと産もうと、大切にしていこうと決意した大切な娘の誕生日は予定日とは全く違う日だった。まだ片目ができあがってなかったのに、生まれてきた娘に、おばあちゃんはどんな気持ちでいたのだろうか。その時とそれからの日々を想像するたびに、わたしの胸は苦しくなる。

二十五年以上経って、そんな娘に子供が生まれた。孫は、二つの目を持って生まれてきた。孫は娘と違って、その目をたくさんのところに向けて、たくさんのものに興味を持った。世界が怖くて引っ込み思案な娘と違って、孫は対照的で、小坊主のようにうるさかった。お人形遊びやシルバニアファミリーで女の子と遊んだ思い出は、孫には皆無だった。ブロックや剣がお気に入りだった。

だが、物心つくにつれ、ブロックや剣よりも、本の楽しさに気づき始めた。文字を読むことがままならなかった娘の代わりに、孫は本が読めた。しかも、本を好きになった。きっと、おばあちゃんは嬉しかったのだろう。でも映画よりも本の方が好きなのは、ちょっと残念に思ったと思う。

孫でも読めるような、歴史や戦争以外の本も買って与えた。最近では朝井リョウや湊かなえ、西加奈子の本が、そっと枕元に置かれていた。わたしはおばあちゃんがアンカーで温めておいてくれた布団に入って、ぬくぬくしながら置かれていた本を読むと、わけもなく泣きそうになる。二年間、寮に入ってさみしい思いをさせて、帰ってきて久しぶりにかつてと変わらずあったそれらに、胸を締め付けられた。

こたつのある本屋でインターンすると言った時も、おばあちゃんはテレビが友人だから「知ってるよ、すごいじゃない」って言ってくれた。驚いた。なんだかこれだけで天狼院書店でインターンができて良かったって思った。

スポーツができない娘から生まれた子供は、娘が行こうと思うことさえできなかった体育大学に行くことにした。数奇な運命だと思う。おばあちゃんと母は合格して喜んでくれたけど、その喜びの中にどれほど複雑に入り乱れた感情があったか、わたしには推し量れない。

それなのにわたしは、そんなおばあちゃんに上手く優しくできないどころか怒ってしまうし、自慢できるような孫になれていないし、家にあまり居てあげれていない。

お母さんは、もう少し「演技しろ」ってわたしに言う。でも良い意味でも悪い意味でも馬鹿正直だから、わたしは演技できない。悪いものは悪いとはっきり言ってしまうし、怒りの感情もコントロールできない。正直者は馬鹿を見るって自分のことだと思う。

そんな自分が大嫌い。なんで怒らせるのって、思ってしまう自分も嫌い。だったら最初から怒らなければいいのに。

不器用で口下手なわたしは、一回りして、結局大学に行っても広告やキャッチコピーに惹かれたし、レポートを書くのはやっぱり苦ではなかった。文字で魅せる仕事をしたいと改めて思った。

そして文字の前では人はみんな平等だ。みんなの分身であり、いろいろなものをリセットしてくれる。

だからまたこうしてわたしはこんなに大切なことさえも文字にすがってしまう。

ドラえもんにすがるのび太くんみたいに。助けて〜って。

……やっぱり、わたしはわたしが大嫌いなのだ。大好きな人に大好きでいてもらってるのに、素直に、上手に返すことのできない、こんなところでしか表現できない自分が、今日も嫌いだけど、大好きな人のおかげで少し好きだった。

おわり

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