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メディアグランプリ

父からの贈り物

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:結城 智里(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
カサッカサッ
落ち葉を踏みしめて、小さな山に続く林の道を父が昇っていく。
3歳の私は父の背中におぶわれている。父の首にしがみついている私の目に入るのは、自分の赤い長靴と、落ち葉の積もった地面。
ふいに父が石を投げた。
「どうしたの?」
「ヘビがカエルを飲み込もうとしてた」
「やだあ」
静岡県の小さな町に住んでいたある日の午後、父が「栗拾いにいくぞ!」といって私を背負い、裏山にでかけたときのことだ。
父の背中から見下ろした落ち葉の道と、姿を見ていないカエルとヘビのことはしっかり覚えているのに、肝心の栗拾いの記憶はない。栗は拾えたのだろうか。拾った栗と食べた記憶もない。
これが父と私が二人ででかけた最も古い思い出ではないかと思う。
 
4人家族で男は父一人。昭和ひとケタ生まれの父は、いばりん坊で、気が短い。すぐ怒鳴る人だった。私はそんな父の怒鳴り声が大嫌い。
「ああ、すぐおこるおとうさんなんて、いやだいやだ。私はムーミンパパみたいなおとうさんがいい」
子供の頃のわたしのあこがれのお父さん像は、大好きだったアニメ「ムーミン」のパパだった。やさしくてゆったりしていて、怒鳴り声などあげない。
 
父がやさしくないわけではない。むしろ、非常に子煩悩だったし、やさしい人だったとおもう。
幼いころ、私も妹もよく抱っこされたり肩車をしてもらった。あぐらをかいている父の膝に良く座ったものだ。大きな安楽椅子に腰かけるような感じで父の膝に座った。
今でも好きだが小さなころ私は「たくあん」が大好きだった。あの黄色くて独特のにおいのある漬物が。そして父はこの漬物が大嫌いだった。できあいのおにぎりやお弁当にたくあんが添えられていて、それがごはんにくっついていたりしたら、たくあんはそものはもとより、その黄色がしみてしまった部分のごはんすら食べるのがいやで、残すほどだった。だが私の大好物だったので食卓には出される。私はにこにこしながら父の膝の上でたくあんををしゃぶる。自分がおいしいと思うものは、おとうさんにもあげたい、というわけで
「おとうさん、たべて」
と父の口元にもっていったようだ。
「それがなあ、苦痛で」
「でも食べないと、泣くんだよ、困ってさ」
「それで食べたふりして後ろに隠した。」
と大人になった私に語ったことがあった。
 
十分やさしい父親ではないか。
しかし、大きくなるにつれ、父親の欠点ばかり目に付くようになってしまうのだ。
相変わらず、すぐ怒鳴るところが気になる。
すぐ人のことを批判する。
お風呂から出ると、生まれたままの姿で家の中を歩き回る。
「やめてよ!」
「下品ね!」
などといおうものなら、
「なにいってんだ、王選手は家族みんな、娘さんも一緒におふろはいるんだぞ!」
と、テレビか雑誌で仕入れた、わけのわからないネタを披露して自分の行為を正当化しようとするのである。
そして、何よりも問題だったのはお酒である。父はお酒が好きだった。毎晩家で晩酌をしながら夕食をとるのだ。酒場で人と一緒に飲むよりは、家で一人でたっぷり飲むのが好きだった。お決まりはサントリーレッドという安いウイスキー。大好きな刺身を肴にこれをたくさん飲み、正体がなくなり、そのまま寝てしまうというあまりよろしくない生活。
怒鳴ることよりもなによりも、こうしたお酒の飲み方がいやで、成長するにつれてよく父とお酒のことで口喧嘩になった。いやな思いもした。
そのたびに
「うるさい!」と怒鳴られた。
そんな父の姿は私の反面教師だった。なるべく怒らないようにしよう、お酒は飲まないようにしよう、と思い続けた。
 
50代前後から、父は飲酒がもとでたびたび体調を崩した。
「お酒は控えた方がいいよ」
「わかってるよ」
と答えはするものの、お酒はやめられないのだ。
そんな父に私はずっと厳しい目をむけていた。
 
私が結婚して家を出てから、数回入院を繰り返し、70歳になる前に寝たきりになった。
そうなってからは、満足に会話をかわすこともできず、実家を訪れても、寝ている姿を見るだけだった。
そんなある日、
「おとうさん、ちさとだよ」
「うんうん、わかるよ」
会話を交わし
「またな」
と帰る私に送り出す言葉をかけてくれた。
「なんだか今までより、ちゃんとしてるね」
「具合がいいみたい」
と母がうれしそうにいった。
 
それから2週間ほどした夏の終わり、父は急に亡くなった。
救急車で病院に運ばれてその日の夜中に。
あまりに急で、わけがわからないうちに、葬儀が終わった。
その間母は泣き続け、憔悴していた。
寝たきりの父の介護は、相当な重荷だったはずである。
「重荷がなくなって、自由になったのでは」などと娘の私は
不謹慎なことを考えたが、母は嘆き続け
「もっと生きて楽しい思いができたかもしれないのに」
とつぶやいている。
私はそんな母の姿に、感動すらおぼえ、
「おとうさんって、とても幸せだったのかもしれない。こんなに思われて」
としみじみ思った。
 
それに対してこの数年間、父にまともに向かい合わず、満足な言葉をかけていなかった私はどうなんだろう。
たくさんの愛情をかけてもらったのに、欠点ばかり目が行って、批判をして、遠ざかる態度をとっていた。そこには娘である私の甘えと、望みがあったからかもしれない。だが批判に満ちた態度で接しても相手に思いは伝わらないのだと思う。父が亡くなってそのことに気づいた。
これは父のくれた大きな贈り物だ。
 
 
 
 
***
 
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2020-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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