子どものころ福岡に7年間住んでいた【空港編】
担当:Mizuho Yamamoto(ライティング・ラボ)
雑餉隈に住んでいた頃、すぐ近くに空港があった。板付空港。その頃、福岡空港という呼び方はしていなかった。長崎空港は、大村空港だったし、大阪空港は、伊丹空港だった。羽田空港だけは、今でも東京空港と呼ばれないのはなぜだろう。
小倉に住む従妹は、我が家に来ると庭で空を仰いで、轟音とともに飛ぶ飛行機を見て、
「ここの飛行機大きいねぇ」
と、地面に後ろ向けに倒れるのではないかと心配になるくらい体をそらして、観察するのが常だった。確かに彼女の小倉のアパートの上空を飛ぶ飛行機は、豆粒ほどの大きさだった。
板付空港の周りには、ホットドック屋が並び飛行機を眺めに来た人々の、高揚した気分をあおっていた。ホットドックをほおばりながら見る飛行機の離発着は、その味と音と共に記憶の襞にまだ存在している。ただし、潔癖症の母がいると、
「車の中で作っているんだから、お野菜は洗ってないはずよ。一人で作って売っているから、お金を触った手で、パンを触るのよ」
つまりは、衛生上よろしくないと買ってもらえないので、従妹が泊まりに来た日の父と3人でのドライブの時限定の楽しみだった。
特に夜の板付空港は、青や緑のライトが美しく、夜空に浮かぶ白い機体は夢の世界の乗り物のようだった。どんな人が飛行機に乗るのかなぁ? 大人になったら、飛行機に乗れる人になれるのかなぁ? 家に帰ると従妹と枕を並べて、そんなことを語り合った。
その頃の博多のお菓子と言えば、和菓子は「ひよこ」、洋菓子は「チロリアン」。普段食べる駄菓子とはちょっと違う、1クラス上の特別なお菓子。その食べ方を、子どもたちは研究した。
まず「ひよこ」は、頭を食べて「靴」の形にして、可愛い生き物を模したその形をごまかす。お尻から食べて顔を残すのは、可哀相だと女子には不評だった。
「チロリアン」は真ん中のクリームを中心に、薄く焼いたゴーフレットにくるまれたお菓子で、くるんだゴーフレットをうまく前歯ではがしながら、クリームを巻いている部分を一重にして、一気にクリームと共に食べるのがよしとされていた。そうやって長く持たせて食べることが、お菓子の食べ方の本質であり、1個1個を味わって食べるのが昭和の小学生の楽しみだった。
私の息子たちの世代になると、飛行機に乗ることも、どんなお菓子を食べることも、特別なことではなくなった。
初めて乗った飛行機が、海外旅行だった次男は、その後に乗った羽田行きの飛行機の中で、
「キナイショクはまだ? 」
と、テーブルを出して準備万端。食事が出ないことを話すとしょんぼりしてしまった。
そんな彼に博多銘菓の「ひよこ」を手渡すといきなり「ひよこ」ののど元にガブリとかみついて、食べた。その食べっぷりに、形を愛で、恐る恐る口にした昭和の子どものためらいはなかった。
今、福岡空港は滑走路を増やし、ターミナルビルを建て替えるための大工事に入っている。「ひよこ」や「チロリアン」の看板を目にしながら、新しい空港の完成時の自分を想像する。
完成まであと7年。
「おばあちゃま!」
孫の出迎えに、この場所に立つことになるといいのだけれど……。
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