来年の手帳
記事:中川原 竜一(ライティング・ラボ)
2015年、平成27年ももう9月である。
残すところ3ケ月余り。
来年の手帳の販売がはじまっている。
かつて使ったこともある「ほぼ日刊イトイ新聞」の「ほぼ日手帳」をはじめ数多くの手帳が既に発売されている。
今年は手帳を使ったことが一度でもあったろうか。
手帳は買ってはいる。
吉川弘文館の歴史手帳である。
少しだけ深めに歴史をかじった人ならば知らないものはいない歴史関係の書籍を出版している吉川弘文館の「歴史手帳」。
教科書でおなじみの山川出版社ほどのネームバリューはないが江戸時代の末いまから約160年前の創業。井伊直弼が大老として政治の実権を握っていたころだ。
巻末の歴史付録はついつい引き込まれるほどの情報量である。なにしろ手帳全体の半分が付録ゆえ、それぞれについて語るだけでも日が暮れる。
なぜ使っていないのか考えてみる。
使えないのではなく、使っていないわけを。
昨年の手帳は違う手帳で、日記を書く頻度は年々減っている。
手帳とは何のために使うのか、今さらながら調べてみる。
Wikipediaでは、手帳とは何かについて「手の中に納まるような小さな記録本のこと。現代では、主な用途としては、予定管理や行動の記録、メモなどに使用される」と記されている。
主たる用途としての予定管理や行動の記録、メモすべてにおいてスマートフォン搭載のアプリで可能なものだ。
それで事足りるのであれば、手帳を買うことは無駄なのだ。
それなのに、毎年手帳を買っている理由は何なのか。
新村出の「広辞苑」などの古くからある辞書をひも解くと手帳の項目にはこういう言葉が記されている。
「心覚えに雑事や必要事項を記す小さな帳面」
心覚え。
例文としては「心覚えがない」。
わたしが小さい頃、国会での証人喚問で「記憶にございません」という証言を連発して注目された人がいた。
記憶であれば、現代に記録媒体は紙で無くとも支障はなくなっている。
それなのに手帳を買っている。
その現代、ひとはいまだ手帳を買い、記録を記す。
心覚えにはもうひとつの意味がある。
「記憶のしるしとするもの」
記憶のマーキングである。
人生最後のあかしを手帳に記して人生を終える人はデジタルデバイスが普及したいまも少なくはない。
「気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けてください。誰か助けてください」と書いていなくなったひともいた。
呪いである。
そういうことばかりマーキングしては精神的によろしくない。
この数年、正直なところ余りいいことはなかった。
眠れぬ夜も少なくはなかった。
そんななかに迎えたことしの夏、東京に住む古くからの知人が面白い書店があったとフェイスブックに書いていた。
その書店の催事が福岡であるという。
福岡市在住の人からみると、線路こそつながってはいるのだがどこにあるやらわからない場所に住み、街角にはたまにぶっそうなものがたまに落ちているというフィールドにいるわたしもまばゆい光と芳しい香りをかぎたくもなるときがある。
ひょいと顔を出してみた。
参加している人に日常ではあまり見かけなかったみょうに明るい光があった。
その書店の支店は今年の九月に開店するのだという。
福岡天狼院。
なにやら妙に面白そうな匂いがした。
池袋演芸場には落語を聴きに何度も行ったが、同じ池袋にある天狼院書店に行ったことはないわたしがそんなことをいうのはおかしなものだ。
しかし、何かが新たに始まるときに立ち会うのは妙にわくわくする。
わくわくするのはいいことだ。
残りの3カ月、そんなわくわくすることを多く手帳に記したいものだ。
来年の手帳をそうした空間の中で買うことができたならば、さらに言うことはない。
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