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「大事な話」から気づいた家族の形


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:岡 志津(ライティング・ゼミ5月開講通信限定コース)
 
 
青天の霹靂だった。
まさか、自分が養子だとは思ってもみなかった。
 
従兄姉(いとこ)が結婚すると決まった時、いつも家族で食事をしていたダイニングで。
全く予想もしないタイミングで、大事な話があると切り出された。
今から15年前、私が23歳の時だった。
 
実の父と母だと思っていた両親が、養父母だったのだ。
 
母方の叔父と叔母だと思っていた人が、本当は実父母だった。
従兄姉だと思っていた4歳上のお姉ちゃんと2歳上のお兄ちゃんが、実の姉と兄だった。
 
両親(養親)になかなか子供ができず、母の弟夫婦に3人目ができたらうちに……ということだったそうだ。
生まれてすぐ、生後1ヶ月で私は養子となった。
母(養母)が38歳、父(養父)が44歳の時だった。
 
この「大事な話」を聞いた時、とにかく驚いた。
喜怒哀楽のどの感情よりもまず、「驚き」だった。
驚き以外に思ったことは、ただ、私を産んでくれた叔母は辛かっただろうなということだ。
だが、このタイミングで言うと両親を傷つけてしまう気がして、言葉には出さなかった。
 
驚きながらも、今まで養子だと感じる出来事はあったか?と頭を高速回転していた。
 
実親の家族とは、よく一緒に旅行に行ったり、車で1時間程度の互いの家を行き来していた。
父方よりも実親である母方の叔父夫婦と会う機会の方が圧倒的に多かったが、一般的にも母方の親戚の方が交流が多いと言われているので、不思議には思わなかった。
小学校の授業で習った血液型も、A型の父とB型の母で私がO型。何も問題はなかった。
それっぽいことを親戚からも近所の人からも言われたこともなかった。
 
ぐるぐると考えたが、やはり心当たりはなかった。
本当に100%知らなかった。疑ったこともなかった。
 
子供に養子だと伝えることを真実告知と言うらしい。
最近では真実告知を子供の頃から行っていくことが勧められているらしいが、私が生まれた1982年当時、子供の頃に真実告知するのは一般的ではなかった。
その頃は、養子=かわいそうと考える人も多く、またどんなことがあっても生みの親が育てるのが幸せだと考えている人も多かった。(もしかすると今でもそうかもしれない)
 
そのため、両親と叔父叔母、両祖父母で話し合い、隠しておくことを決めたそうだ。
私だけでなく、実の姉と兄にあたる従兄姉にも、私が妹であるということは知らされていなかった。
 
戸籍には養子であることが表記されている。
つまり、戸籍を動かすことになる従兄姉の結婚のタイミングで、私が妹だということが分かるのだ。
 
だから、この機会に真実告知をしよう。
もう子供たちも二十歳を超え、大人になった。
きっと受け入れられるだろう。と。
そして、冒頭のダイニングでの「大事な話」となった……。
二つの家族がそれぞれの家で、同日に真実告知をしたのだった。
 
最近子供が生まれた私に、母が母子手帳を送ってくれた。
「母の氏名」の欄には叔母の名前、「保護者の氏名」の欄には父と母の名前が書かれていた。
15年前の真実告知の時には、事実を伝えて受け止めるだけで、親も子もお互い精一杯。
思いの部分はほとんど聞けなかった。
この母子手帳を見て、当時の想いを知りたいという気持ちが強くなった。
 
先日、秋彼岸で母が叔父の家に行っていると聞き、電話をかけてみた。
なぜ養子という決断をしたのか、なぜ隠していたのか、改めて聞いてみた。
 
母はこう言っていた……
養子ということは知らず、何事もなく穏やかに過ごして欲しかった。
親の勝手な意向で戸籍を動かしたことは悪いと思っている。私のわがままだね。
あなたから親になる人生を与えてもらった。
パパは子供が大好きだったからとても幸せだったと思う。
 
叔父はこうだ……
姉(母(養母))に子供ができなくて苦しんでいることは知っていたし、自分の子供として3人育てるよりも、大企業で働いている義兄の夫婦に育ててもらった方が、裕福で幸せに暮らせるんじゃないかと思った。
戦後の貧しい経験をしているからこそ、子供に経済的な苦労をさせたくないと強く思っていた。
義兄も子供が大好きなのは知っていたから、安心だった。
 
ここにいないのは、養父である父と実母である叔母だ。
父は認知症でホームで暮らしている。
叔母は数年前に病気で亡くなった。まだ60代だった。
一番葛藤が大きかったはずの叔母と父からは、もう聞くことはできない。
 
それでもとにかく分かったことは、子供が欲しい夫婦がいて、養子という判断をした。
その上で、みんなが私のことを思ってやってくれたことだということだ。
 
「大事な話」を聞いた当時も、アイデンティティが崩れる感覚はなく、むしろ思っていたよりたくさんの愛情に囲まれていたんだと感じた。
今までにもらった愛がウソだなんて、これっぽっちも思わなかった。
 
これもひとえに、養親である両親がとてつもなくビッグな愛情を持って育ててくれたおかげだ。
「あなたはパパとママの宝物だよ」いつもそう言って育ててくれた。
その言葉にウソを感じたことは今までに一度もない。
 
弟の子になるので血の繋がりはある母はもちろん、全く血の繋がらない父もそうだ。
父はずーっと財布の中に私の写真を入れて肌身離さず持ち歩いていたし、帰省して実家から東京の家に戻るときにはいつも半泣きで駅まで送ってくれた。
小さい頃はよく、一緒にお風呂で世界の国の首都を覚えたんだ。懐かしいな。
私はとにかくラッキーだ。愛情を2倍もらえた、そう思える。
 
私は一人っ子でしかも両親が歳をとっていたので、早く死んじゃうんじゃないか、一人になっちゃうんじゃないかと思っていた。
特に父はよくおじいちゃんに間違えられた。
だから、それが本当になった時に悲しくないように、頭の中でシミュレーションしてみたこともあった。
「大事な話」を聞き、一人ぼっちにならなくて済むんだとちょっとホッとした。
 
家族が拡大したような感覚だ。
血の繋がりとか自分で産んだとか産まないとか、関係ない。
他の人とはちょっと違うかもしれないけど、それが私の家族の形だ。
いろんな形があっていい。
 
最後に、当時辛い想いをしたかもしれない叔母。
子供を育てたいという両親の夢を叶えてくれた天国の叔母のためにも、私は幸せに暮らそうと思う。
というか、これまでも今も幸せに暮らしているから、安心してね。
 
 
 
 
***
 
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2020-09-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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