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メディアグランプリ

繁華街と坂口安吾


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:田中あかり(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
大学の時、マジでお金がなかった私は水商売のアルバイトをしていた。
小さな繁華街の片隅にある雑居ビルの2階の店だった。店内はいつも煙草の臭いがして憂鬱な空気をかき消すように音楽が爆音で流れていた。
店にお客がいないときは、決まって道端に立ってキャッチをしていた。
バイト初日、お店のママから「キャッチ中に何してるか警察に聞かれたら、人を待ってますって言うのよ」と言われた。
道端でのキャッチは条例違反らしい。私はそれまでの人生で、校則よりもスカートを短くしたり眉毛を整えたりしたことはあっても法に触れたことはなかった。
自分の倫理観や、この一線を越えたらダメだ、という線が少しずつぼやけていくのだろうなとぼんやり思った。
 
繁華街にはありとあらゆる人がいた。若い女性とおじさんのカップルやいまから出勤なのであろう派手な女の人。この界隈を取り仕切っているこわい人。道の真ん中で急に叫びだす人。ホームレスの人。
私はこの仕事をしていることがなんだか後ろめたくて、街角に立ちながらずっと青空文庫のアプリで小説を読んでいた。
今思い返すと、私は「虚構の逃亡」をしていた。
「虚構の逃亡」というのはミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」に出てくるフレーズで、
田舎でウエイトレスの仕事をしているヒロインが、満足の得られない現実から逃れるためにヘンリー・フィールディングやトーマス・マンを読んでいたことを指している。
 
私は、「19歳」「女性」という自分の意思とは無関係に背負わされた記号を消費されることが耐えられないほど嫌で、屈辱だった。私にはもっと独自の価値があると思っていた。
ここは本来私がいるべき場所ではないと思いながら純文学を読むことで、満たされない現実から精神的に逃亡していた。そこで太宰や坂口安吾や谷崎潤一郎たちに出会った。
 
坂口安吾の「私は海をだきしめていたい」はどこか惹かれるものがあって何度も繰り返し読んでいた。
物語全体に漂うものがなしい雰囲気と孤独感。主人公の男も、私と同じで満たされることを諦めきれない。
 
>私はふと 、大きな 、身の丈の何倍もある波が起つて 、やにはに女の姿が呑みこまれ 、消えてしまつたのを見た 。私はその瞬間 、やにはに起つた波が海をかくし 、空の半分をかくしたやうな 、暗い 、大きなうねりを見た 。私は思はず 、心に叫びをあげた 。
 
この一節がとても好きだった。目の前に空想の海を広げていた。
 
あれからもう何年もの月日が過ぎて、最近になってようやく気づいたことがある。
私はいま、あの頃よりは物質的にも精神的にも恵まれた生活をしていると思う。少なくとも、夜中に身を削ってバイトをする必要はもうないし、やりたいと思える仕事ができている。
しかしそれでも、「満たされていない」と感じる。あの煙草臭い部屋からは精神的にだけではなく、物理的にも逃亡できた。それなのに、いまここですら「ここは本来私のいるべき場所ではない」とどこかで思っている。
いまここでない何かに憧れてしまう。それが具体的に何なのかは分からないけれど、「シーズンに1着くらいJIL SANDERの7万円のシャツを買う余裕が欲しい」とか「優しくて全部肯定してくれるし毎日料理を作ってくれる恋人が欲しい」とか思ってしまう。
 
満たされていないと思って、いまここから逃亡を図る。でも結局、逃亡した先でもまた現実がある。
 
午前4時、閉店後。少しずつ朝の気配が店内を侵食していくなか仲間の女の子たちと後片付けをしながらとりとめもない話をする。
半年に一回くらい店にくるトータス松本に似たお客はとても良い人だった。
向かい側の焼き鳥屋の若い主人が時々振る舞ってくれる炊き込みご飯は薄味だけど繊細で美味しかった。
キャッチで立っている場所の隣に小さな小料理屋があって、いつもいい匂いがしていた。おかみさんは私がキャッチで立っていると「風邪引かないようにね」と優しく言ってくれた。
当時のことをちゃんと細部まで思い出してみると、そういうかすかだけど幸せと呼べるようなものがたくさんあった。そういったものをすべて私は見落としていたし、きっとそれは今もそうなんだろうと思う。
 
いつでも、私は満たされない部分ばかり見つめて、いまここにある幸せをぜんぶ受け取りきれていないのだと思う。
 
自分の家の本棚にある本をもう一度読む。毎日出勤するときに通る道に咲いている花を見る。いつも一緒にいてくれる人がかけてくれる言葉をちゃんと噛みしめる。そんなふうにいまを見たいと思っている。
 
 
 
 
***
 
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2020-10-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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