メディアグランプリ

ギラギラは、運命を変えるか


記事:Den (ライティング・ゼミ)

「みなさん、ギラギラしてくださぁぁい!」

元ローカルFMのDJという女性講師が東京競馬場のVIPルームに集まった競馬初心者たちを煽る。

「みなさんね、今はシラっとしておられますが、この初心者教室から万馬券を当てて、札束を紙袋に入れて帰った方もいるんですよっ。気合い入れましょうよ!」

新聞社とJRAが共催する、初心者に無料で競馬の基礎を教えてくれる教室。結構な競争率だったようで、二度目の応募で当選。VIPルームに招き入れられた。

馬に興味がある訳でもないし、賭けごとにも興味はない。ただ、先日亡くなった漫画家の吉野朔実氏が、馬を見るのも当てるのも楽しい、とマンガでのエッセイに描いていたのをずっと覚えていて、一度は行きたかった。馬券の仕組みがわからないし、敷居が高いな、と思っていたところに教室のお知らせがネットで流れてきたので応募して、当選。

競馬や馬券の仕組みについて説明を受けたあと、わずかな金額で初めての馬券購入。
VIPルームのバルコニーからスタートを見守る。広いなぁ。確かに馬、きれいだなぁ。芝生の緑もいいなぁ。景色広い。VIPルーム、すげー。おおっ、ちょびっと儲かった! 

何でも最初は新鮮だ。教えられたばかりのわずかな知識で配られた厚い競馬新聞の暗号のような記述を読み解く。うーん、次はこれかな。あ、スタートだ。バルコニーから見なくっちゃ。

何レース分か、発券機とバルコニーとを行ったり、来たり。勝負は買ったり、負けたり。プラマイゼロという水準で推移。もちろん金額はごく些少。

そのうち、生でレースを見ることに飽きてきた。買っても負けても多寡が知れた金額だし、感動も落胆もわずかなもの。何より自分はそんなに馬、好きなわけじゃないんだな、とわかる。競技としての競馬にもそんなにハラハラしない。
新鮮な競馬場の景色もだんだん単調に見えてくる。冬の風も吹いて来て、毎回バルコニーに出るのも辛くなってきた。
レースの帰趨や自分の勝敗もそんなに気にならなくなってくる。開始から1時間ほどで、ちょっと、いや、かなり飽きてきた。

講師が、受講生に気合いを入れたのは、このタイミングだった。

「ギラギラしてくださぁい」の台詞を聞いたときには、正直、ひいた。
「それはないよ。そこまで煽って、ギャンブル狂いが生まれたらどうするのよ」と。

とはいえ、一応、VIPルームで学ばせて頂いている手前、ずっと椅子に座ってぼんやりしている訳にもいかない。ギラギラはできないけど惰性的に何度か馬券を買いに外に出る。

発券機までの廊下では他の本物のVIPルーム利用者の皆さんを垣間見ることができる。
隣の部屋から馬主さんの関係者なのかごく淑やかな女性陣が穏やかな会話をしながら出て来るかと思うと、別の部屋からは「一代で会社作ったぜ」的精力的な社長さんに連れられた若い社員たちが買ったばかりのサイズの合わないドレスシャツを思いっきり腕まくりしして、上気した表情で出てくる。なるほど、これがギラギラか。こちらは小銭を数えているのに若者たちは大声で自分の予想を口にしながら、札を機械にぶちこんでいる。

私はそのうち何も考えずに馬、というより数字、を選び、すぐ目前で展開されているレースも見ず、VIPルームの壁に何台も組み込まれた大型ディスプレイの中継(クローズアップも見られる)にすら目もくれず、レースの着順だけをディプレイで確認するようになっていた。レースという肝心のプロセスを無視して、ディスプレイに映る数字と手元の馬券上の数字とを見合わせる。あ、当たってるとか、今回は全部外れ、とか。

ふと、これはもはや競馬じゃないな、と気づく。

サイコロ転がしているのと同じだ。現実のレースは馬の素質、調子、馬場といった様々の要素の結果で決まるのだろう。それを分析して、統合して、読むのが競馬の醍醐味なんだとも思う。

しかし、こういった要素に興味が持てない者にとっては、レースの予想はランダムに数字やその組み合わせを選ぶ行為にすぎない。完璧なサイコロをふる行為と違わない。

レースの勝負に結び付く要素を読む努力と楽しみ、そしてレース自体を見ることを放棄した私にとって、馬券を買うことは各レース数百円をまったくの偶然、確率にお任せしているのと同じだ。

でも、府中に集まっている数千人の観客の殆どはパドックで馬の様子を見たり、新聞で勝歴を調べたり、馬場をチェックしたり、念を送ったりして、偶然に影響を与え、確率を少しでも、あるいは大きく変えようとしている。自分の選んだ数字が「出る」「来る」ように心を働かせ、行動を起こしている。パーセンテージで表現される確率を現実の事象に変えるための努力をしている。

競馬だけじゃないな、と思った。どう頑張っても動かせない、偶然や必然という顔でやってくることもある運命。でも、それを読み解き、分析し、行動することで、ちょっと運命が変わったり、読めたりすることがある。競馬ファンがやっているのは、そんな運命への小さな挑戦ではないか。
他方で、2-3とか5-4とかいうレースの結果が数字にしか見えず、その奥に広がる無限の要素の連鎖を読みとれない私は、競馬のレースに関する運命を読むことも、まして、変えることもできない。
あれ、心の持ちようひとつで、レース結果の見え方が、こんなに大きく変わる?

犯罪者は宿命的に犯罪者なのか、という議論がある。犯罪に手を染める者は、素質と環境の支配のもとに必然的に犯罪に陥らざるをえない宿命的、決定的な存在なのか、つまり犯罪者となるのは彼、彼女の運命なのか、あるいは、自らの自由意思で犯罪を選びとる存在なのか、という争い。刑法学者の間では、犯罪者は素質と環境に拘束されつつも、みずから素質にも環境にも働きかけ、これらを是正しうる可能性をもつ者というところに落ち着いているようだ。(大塚仁 刑法概説 総論)

ここでも、運命を認めつつ、そこには人の働きで変えられる部分もあるという発想が見てとれる。完全に運命を操ることはできないにしても。

「ギラギラしてくださぁい!」

あそこで聞いたときには、煽りにしか聞こえなかったけれど、こうして思い起こしてみると、シラーっとして、最後までギラギラしなかった私は、東京競馬場にいる間、完全に運命、偶然に身をゆだねていた。彼女は「運命や偶然に将来を握らせてはだめなんですよー」と呼びかけてくれたんだな。

ギラギラしない穏やかな冬の夕日を浴びながら帰途についたあの日の勝負は往復の交通費分だけブラス。金銭という基準で見ると儲けは出ていないけれども、運命は変わることを教えてもらった。運命とギラギラへの想像は今も広がり続ける。

今は、あぁ、これが自分の運命かな、と思った時にもkira kiraくらいはしてみることにしている。

 

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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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