わたしが、コスプレをやめる時。
*この記事は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。
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「楽しめ。血を流しながら」
「趣味に、人生の何パーセントを捧げようか」
「どうしても、好き。そんな幸せな呪いの行方」
これは、アニメや漫画のキャラクターのコスプレを趣味とするコスプレイヤーが題材の漫画『コンプレックス・エイジ』の帯に書かれた言葉です。この漫画は、多くのコスプレイヤーの間で共感を呼び、また痛いところも突き、ネット上で大変話題となりました。この言葉は、コスプレでなくともどんな趣味を持つ人にでも、通じるのではないかと思います。自分が本気になることができる趣味が、あなたには、ありますか?
わたしにとって、そんな趣味は、コスプレです。
だけど、思います。
どんなに本気でも、好きでも、これがわたしの趣味です、と胸を張って言えるようになっても。
コスプレは、自慰行為だ、と。
コスプレ、と聞いて、どんなイメージが膨らみますか? アニメキャラクターに扮することか、エッチな意味で捉えるか、近年メジャーになったハロウィーンイベントのようなものを想像するか……。
コスプレという言葉の意味は年々拡大しています。そもそもコスプレという単語は、「コスチューム・プレイ」が語源となっている和製英語、略してコスプレ、国内での造語でした。造語、だったのですが、なんと現在は、イギリスの辞書に「コスプレ(cosplay)」として載っています。ここでの定義は「映画や本やテレビゲームの、特に日本の漫画やアニメのジャンルの登場人物として着飾ることの実践」だそうです。海外でのコスプレのイメージはある程度固定されてきているのかな、と思えます。日本人にとってのコスプレは、「コスチューム・プレイ」の、「プレイ」の部分が持つ意味次第でイメージが色々と変わりますよね。だけど、どの意味で考えていても、どのイメージにも、間違いはありません。きっと全てのコスプレ行為に共通していることは、どんな意味で考えたところで、日常とはかけ離れた衣服を纏うことで生まれる「楽しいから」という気持ち、一種の快感ではないかな、と思うのです。
わたしが趣味としているコスプレは、アニメや漫画のキャラクターに扮するものです。なので、わたしにとっての「コスチューム・プレイ」の「プレイ」は演劇、お芝居に近しいことになります。「コスチューム・プレイ」、つまり、「衣装劇」です。わたしの場合は、実際に衣装を着てお芝居をする、というわけではないので、写真の中に限られた意味になるのですが。「衣装芸」の方が近いかもしれません。
先日、わたしがコスプレをしている時の写真を、普段のわたししか見たことのない方に見て頂いた際に、「実物の方が、何もしていない時の方がかわいい」とのお言葉を貰いました。この時の気持ちは、一生懸命雑誌を読んでメイクの練習をして、自分では可愛いと思った顔に仕上がったのに、男の人には「すっぴんの方が可愛い」と言われてしまい、すっぴんが可愛いと言われるのは嬉しいけどわたし的には良かれと思ってメイクしているのに、うぅん……なんだか複雑……、という時の気持ち。
では、ないです。わたしの場合は、ですが、
「何もしてない時の方がいい!?
そりゃあ、そうですよねっ! わかります! (笑)」です。
「男の子みたい!!? それ褒め言葉!」です。
だって別に、かわいいと見られることを、一番の目的としているわけではないからです。タカラジェンヌの皆さんだって、舞台メイクをしていない時の方が、きっと日常的には自然な美しさです。
演劇的な意味を持つコスプレの場合は、日常的な目線で見ると、不自然なものが圧倒的に多いと感じます。(写真での見栄えを良くするためにメイクは濃すぎるくらいで仕上げるし、ウィッグの下には輪郭を補正するためにテープとか張りまくりのべたべただし、普通の私服だったらあり得ない長さのスカートも足長に魅せる為には履くし……胸を大きく魅せる為にはシャドウで谷間を書くし……etc.)
そしてこのアニメや漫画のキャラクターに扮するといった意味でのコスプレといっても、人の数だけこだわりの持ち方は様々ですし、楽しみ方は千差万別です。衣装をいちから手作りをしてこだわり抜く人、ウィッグの毛先一本にまでこだわる人、衣装を着て他の人との交流を楽しみたい人、いつもより可愛い自分を楽しみたい人……どこに重点を置くか、自分の譲れない部分はどこなのか。自分が気持ちよくなる為には、何をすれば良いのか、そのポイントを模索していきます。自分が楽しいから、自分の為に、無意識のうちに行動します。前より少しでも良いものにできた時の快感と気持ちの高ぶりが忘れられません。完全に自慰行為です。紛れもなく、自分の為の趣味だからです。
しかし、時には、自慰行為だけじゃ物足りなくなってくることもあります。「楽しい」だけで続けていたことも、「もっと楽しくしたい」と欲求がふつふつ湧いてきます。
わたしが初めてコスプレに興味を持ったのは、高校生の頃でした。ゲームセンターの、コスプレをした店員さんに憧れて、貸し出し衣装を着て、プリクラを撮りました。好きなキャラクターの衣装を着て、写真として残す、それだけのことなのにわくわくして楽しくて、それから何度も学校の帰り道にゲームセンターに寄りました。次第に、もっと本格的にコスプレをしたくなって、バイトをしてお金を貯めて衣装を買って、キャラクターに近いウィッグを作って、一緒に楽しむ友達が欲しくてイベントにも通い始めました。はじめは、写真を撮ってくれる方を見つけるだけでも一苦労でした。続けていくうちに、次第に仲間も友達も増え、写真の閲覧数も増えていき、通い詰めていたゲームセンターではバイトをはじめ、コスプレはわたしにとって当たり前のような趣味になりました。そして、考えるようになったのは、「もっと沢山の人に見てもらいたい」「認められたい」「あの子には負けたくない」といったことが増えていきました。そう思えば思うほど、わたしより後にコスプレをはじめたあの子がわたしより有名になっている、だとか、何でもっとリツイート数が伸びないんだとかフォロワー数が、だとか。
あれ、わたしは何で、コスプレをしているんだっけ?
何で、こんなお金も時間もかかって、仕事や将来にも役に立たなそうなことをやっているんだ?
何故?
楽しく、なくなってしまっていました。楽しいからやりたいはずだったコスプレが、いつしか目的ではなくなってしまっていました。考えれば考える程自分が無駄なことをやっているようにしか思えなくなってきて、わたしは、一度、コスプレをやめました。
だけど、今、またこうして元気にコスプレ活動に勤しむ日々を送っています。それは、離れてみて気づいた本当に大切なもの、というような大変都合の良いものです。コスプレをやめていた期間、それまで使っていたお金の使い道を、旅行に代えてみたところ、それはそれはかけがえのない経験となりました。しかし、海外で沢山の場所を訪れるほど、自分が心から楽しめる、どこにいてもしたいことが、何度もうっすら頭に浮かんで、次第に確信に変わりました。やっぱり、アニメが好きで、漫画が好きで、コスプレがしたい。更に気づいたことは、海外でもコスプレがしたい、自分のこんなにも好きな趣味を、もっと沢山の人に知ってもらいたい、という新しいことでした。そうしてわたしは、再びキャラクターの衣装に袖を通しはじめました。やっぱり、あの楽しさから離れて生活するなんて、わたしには、無理でした。
わたしは、現在美大に通っています。作品を作り、完成した作品を教授がひとつひとつ見て回る授業の回を講評といいます。その中のコメントで度々聞かれる、美大生にとって恐ろしいコメントのひとつは、「君の作品は、単なるオナニーだね」です。大変恐ろしい、それまで時間もかけて一生懸命つくってきたものが、自己満足でしかないと一掃されてしまう瞬間。つくったものに、他者の気持ちが入り込めないということ。社会性が欠落しているということ。それでは、一流のアーティストには、なれないということ。自慰行為は、それ以上のものに発展させる必要がなければ、そのままでいい。だけど、自慰行為にそれ以上の意味を持たせたいのなら、行為を大前提としたうえで、その先の他者との繋がりまで考えに入れ置かなくてはならない。
わたしが、これまで続けてきたコスプレを、もっと楽しくするには、どうしたら良いのか。その答えは、こんなところにあったんです。楽しくて続けるのは、当たり前。だけど、それをまず、絶対に忘れてはならない。そして、その先。本気で続けていくのなら。
冒頭にてあげた漫画の、『コンプレックス・エイジ』は、コスプレが趣味の27歳の派遣社員が、趣味との折り合いの付け方を探していく物語です。漫画ということもあり、かなり過激な部分ばかりがピックアップされているという印象もありますが、多くの共感を呼んでいることから、コスプレイヤーの世界観がとても良くわかる群像劇作品だと思います。最終話のひとつ前の回で、主人公の渚は言います。
「ずっと悩んでいたけど 今日 確信が持てた
これが わたしの夢の形なんだって」
この漫画のなかにも、ひとりの人間が悩み苦しんだ先に、趣味を続けていくのか、やめるのか、はたまた昇華して新しい形を見つけるのか。その答えのひとつがありました。
所詮、趣味なんです。
楽しくなくなったら、やめ時だと思います。
だけど、一度知ってしまった快楽が忘れられなかったら。また、戻ってくればいい。その度に、自分の趣味との新しいつきあい方を見つけていく。
趣味なんだから、自分の為なんだから、それでいいじゃないか、自由じゃないか。都合が良くて、なんぼじゃないか?
コスプレに関しては、いつまでも今のまま続けられるものだとは思っていません。色々な作り込み方ができるとは言っても、見た目を全面に押し出している趣味なので、年齢がどんどん気になってくるのも事実です。
だけど、未来の自分が、コスプレがどうしようもなくやめられないのなら、自分でコスプレをせずともコスプレと関わっていく生き方を見つけているだろうと思います。プロ野球選手を目指していたけれど、後輩を育てる為にコーチになる、といったようなものに近いかもしれません。はたまた、新しい趣味を見つけるか。違う場所で、自分を満たしてくれるものを見つけ出すか。
趣味のあり方が様々なように、趣味とのつきあい方も様々です。
そしてそれは全部、自己責任で、自分の為、でしかないのです。
初めて、その趣味に出会った時のわくわくした気持ちを、感動を。
自慰行為であることは、とっても大事なことだと思うのです。
わたしは、コスプレが、やめられません。
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追記:わたしが初めて天狼院書店を訪れたことも、コスプレを通じて知り合った友人に誘ってもらったことがきっかけです。どんな自分の行動も、全て繋がっていることを痛感します。ここに改めて、その友人と、関わりのある方々に感謝の意を込めます。
参考:佐久間結衣『コンプレックス・エイジ』
http://morning.moae.jp/lineup/280
作者の佐久間結衣さんのデビュー作、「コンプレックス・エイジ」のWEB読み切り版にも、本編とは違ったひとつの答えが描かれています。http://www.moae.jp/comic/complexage/0/1
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
【平日コース開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ2.0《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《6月開講/初回振替講座有/東京・福岡・全国通信対応》
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