跳ね上がる鼓動 つめたい深夜の書店の床で
記事:白井コダルマさま (ライティング・ゼミ)
目の前に横たわる女性。
その首筋を見つめ、息を止めてシャッターを切る。
指先に軽い振動が走るたび、心拍数があがっていくのがわかる。
片ひざをついて、女性の指先をカメラで追う。
むき出しの私のひざに、コンクリートの冷たさが心地よい。
確認した画面に、思いもよらない表情が写っている。
――なんて、きれいなの。
ひときわ大きく、心臓が跳ねる。
ふと我に返って目を上げると、周囲360度を本に見下ろされていた。
時刻は午前2時。
見慣れた書店の一番底で、座り込む私と寝そべる女性。
黒い床に敷かれた白いシーツ。
私はふたたびカメラを覗きこむ。
私は、写真を撮ることがごく身近になった、最初の世代だと思う。
小学生の時「写ルンです」が登場した。
それまでカメラといえば大仰な装置であり、高価な大人の持ち物だったのが、ここで初めて、ふつうの子供にも手が届くかもしれないリアルな存在になった。
中学・高校時代には、レンズ付きフィルム(通称使い捨てカメラ)は、安いものなら千円を切るようになり、当時多くの女子の通学カバンには常にカメラが入っていた。
特別な時でなく、日常の記録としての写真。
休み時間のお弁当。
夕空に浮かぶ丸い雲。
こっそり塗ったマニキュアの爪。
シャッターは、かしこまった笑顔を撮るだけのものじゃない。
これは大人の知らない、新しい遊びなんだ。
高校生の狭い世界の中で、なんでもないものを撮り続けた。
自分だけの秘密を閉じ込めるように、次々にシャッターを切った。
ポスターカラーで落書きしたカメラで、レンズにリップクリームや色を塗ったりして、世界を思い通りに切り取ることに夢中になっていた。
(レンズにリップクリームを塗ると、視界がボヤけて写真が幻想的な仕上がりになる)
しかしその後、携帯電話にカメラがつき、デジカメもどんどん安くなり、気付けば「日常の記録」としての写真撮影はすっかり王道になっていた。
綺麗なものだけでなく、とりあえず記録しておきたいものを、なんでも「撮っておく」のが持ち歩きカメラの仕事になった。
子供のPTAの話合いの日程。
夕御飯の買い物メモ。
もちろん子供の面白い仕草や笑顔など。
メモ帳のかわりにカメラを取り出す。
カメラを取り出しシャッターを切ることは、ごく普通の、日常的な行為になった。
そして特別な時にカメラを持って行っても、撮りながら特別感を覚えることは、なくなっていた。
――初めての頃って、こんなにドキドキしたっけ?
それが今、私はシャッターボタンを押すたびにみるみる上昇する心拍数を感じている。
目の前の女性は、ほんの数時間前、初めて出会ったばかりの人だ。
挨拶しながら、まだ固い空気の中で撮った彼女の笑顔を再生ボタンで呼び出してみると、随分ぎこちなく、よそよそしい。
今、ここでなめらかにポーズを変えている彼女とは、目線ひとつとってもまるで別人だ。
もっと撮りたい。
私の手の中に、もっと新しい表情を、呼吸を、動きを閉じ込めたい。
そんな欲求を自覚したのは初めてで、戸惑いながらも、心地よくて私は身を任せてしまう。
ふと、撮られている彼女が口を開いた。
「楽しい。こんなにいいものなんですねぇ……」
ぽつりと、純粋な驚きとともにこぼれた言葉だった。
シャッター音が響くたびに、初めての思いに包まれていたのは、撮っている私だけではなかったのだ。
女性ばかりが真夜中の書店に集い、思い切り自分を解放する夜。
初めて会う人ばかりなのに、気付けばあちこちで始まっていた。
30年以上生きてきて、これまで一度も自覚しなかった、自分の新しい感情との出会いが。
22時に始まった密やかな会は、真夜中24時を超えた頃から一気に燃え上がった。
それぞれが、自分の欲するところに気付きかけて、その尻尾をつかもうと必死になり、行為に夢中になると時間はぜんぜん足りなくなった。
――もうすぐ夜が明けてしまう。
――はやく、この思いを消費しなければ。
撮ることで、女性の変化をとらえることの楽しさを。
撮られることで、初めて知った自分の解放を。
翌日、私はいつものように朝から仕事に行った。
危惧した眠気は、まったく訪れなかった。
奇妙に明るい気分と、疲れているはずなのに軽い軽い体を抱え、その日1日、高揚感は続いていた。
今の願いは、もう一度あの鼓動を感じることだ。
あの夜、私が感じた、強烈な高鳴りは、なんだったのか。
おそらくそれは、机の上の花を撮って感じられるものではない。
撮られる彼女たちの欲求と撮る私(たち)の欲求が、誰のことも気にせず解放していいという場所を得てぶつかって混ざってはじめて、ふたたび感じられるのだと確信している。
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