メディアグランプリ

「お母さん、玄関の花がキレイだね。捨てて良い?」

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玄関

記事:安達美和さま(ライティング・ゼミ)

実家の玄関に入ると、前は何も置かれていなかった靴箱の上に花瓶があった。

オレンジがかったやわらかなピンクのバラと、それから白いバラ。
形の良い透明なブルーの瓶にそっと入れられている。

この玄関に花が飾られているなんて、もう何年も目にしたことがない。
キレイだなぁ、と思った。とてもキレイだ。

しかし、そんな気持ちとは裏腹に、わたしはこの花を瓶ごと捨ててやりたいとも感じている。

リビングへ入ると母がいて、アイスティーでも飲まないかとナイスな提案をしてくれた。断る理由がありません、いただきます。母とふたり、ぐだぐだと仲良くソファに並んで、美味しいアイスティーを飲む。梅雨ですな、そうですな、と、しなくても良い会話をする。
足元のフローリングに、飼い猫であるヴィトが寝そべっている。こんなにそばにいるくせに、顔は向こうを向いている。

揚げなすみたいだ。

長々と身体を横たえた後ろ姿は、ヘタの部分に大きなふたつの突起が生えたなすのように見える。なぜなすではなくて揚げなすなのかはよく分からない。その方が美味しそうだから、そう思いたいのかもしれない。

猫は不思議だ。まず、なんだってあんなに耳が大きいのか。しかもその耳は三角だ。なんだかふざけているように見える。パーティーの帽子をふたついっぺんにかぶってるみたいだ。

そんなふざけた見た目のくせに、表情はいつも真顔で、例えあやまってゴミ箱に落ちようが、ヒゲにわたぼこりがついていようが、嫌いなお風呂に入れられて全身びっしょびしょだろうが、常にポーカーフェイスだ。わたしはわが家の歴代の猫たちを見てきて、一度は彼らに爆笑させられたことがある。

ヴィトの背中に手を伸ばして、先端がカギのように曲がったしっぽまで一直線になでてやる。毛がぞわっと波打つ。もう一度なでる。また毛が波打つ。でも、その毛には昔のようなツヤがない。

「お母さん、びっくんは今年で何才だっけ」
「多分、お誕生日が2003年の5月だから、13才は超えたんじゃない?」
「わーお」
「そう?」

安達家の歴代の猫たちを思い出す。

黒猫のララは子供が嫌いで大人にだけ懐いていた。ララは人間の自分よりもよほど分別があるように見えたので、逆らわないようにした。彼は5才になる前に車にはねられてしまった。
三毛猫のミケと茶トラのタマ、縞模様が美しく抜群に顔の可愛い太一は、ふと気づいた時には家出してしまっていた。
白黒のモモだけは最期まで生きてくれて、目の前で命を終えた。

あれ、そういえば、モモの享年がちょうど13才だった。
ヴィトはモモの享年までもう生きたってことか。

「玄関の花、すごくキレイだね」
「でしょ」
「もらったの?」
「買ったんだってば」

その後の言葉を言おうとして、少し落ち込んでいる自分に気が付いた。

「もう、あそこまで上れないんだね、ヴィトは」

母は、そうなのよ、と普通に言った。口ぶりからすると、彼があの決して高くはない靴箱の上へジャンプできなくなったのは、最近じゃないらしかった。

もうそんなにジジイなのか、と思った。そうだ、ジジイだ。老いたんだ。
彼が老いていく姿を目のあたりにするのは、正直さみしい。

勤めていた会社の駐車場で母がサバのような柄のちびっこい彼を見つけ、わたしに用があるならこっちへ来なさいと声をかけたら、用があります、とすぐに寄ってきたという。
猫というよりは犬に近い性格の、ちょっとバカな彼。
やたらと炭水化物を好み、ジャガイモをかじりおせんべいをかみ砕き、乾麺の蕎麦をボキボキに折った。
子猫のころトイレを失敗して、姉のお布団のうえで粗相をした時、それでもなぜか手だけは砂をかくような動作を懸命にしていた。

そんな小さかった彼が、人間の年齢で言えば70才間近なのだ。信じられない。おじいさんじゃないか!

彼はわたしよりも確実に早く年を取る。いつまでも子猫のようだと無邪気に思いたいけど、一緒に暮らしていない分、以前よりも彼の老いを肌で感じる。毛づやが悪くなったし、動きも緩慢だ。もう、思わず息をのむようなあの大跳躍は、だいぶ前から見られない。

姉が最近飼い始めた正真正銘のピチピチの子猫が、今年のお正月に実家へ遊びに来た。愕然として、見ていられなかった。いつまでも子猫みたいだと思っていたわが家のヴィトは、本物の子猫を前にして魔法が解かれてしまった。比べれば差はハッキリしていた。

彼が老いていく様を目の当たりにしていると、ただじっと、ゆっくり沈む夕日を見ている気分がする。まぶしくてまともに姿を見られないほどの季節はもうとっくに過ぎて、今はもう、ゆらゆらオレンジ色の輪郭を静かに見つめているしかできない。どんどん沈んでいく。止められない。やがてシンとした夜がやってくることは分かっている。確実に、彼がわたしより先に夜を迎えることは、分かっている。その日を想像すると泣きそうになる。

いや、ウソをついた。泣きそうじゃない、完全に泣く。あんな可愛くて素晴らしい生き物が、いなくなってしまう日がくるなんて。玄関の花を捨ててやりたい。

猫は長ければ20年は生きるというし、何よりヴィトは今の段階では特に病気もけがもなく、前より老いたといっても健康体だ。でも、やっぱり想像したら、悲しいんだよ。だって、あんな靴箱にもう上れないんだから。
メソメソしながらヴィトの耳を触ると、耳はひどく迷惑そうにピルピル震えた。

嬉しいよね、と母が言った。
何がと聞くと、今までのどの猫より長生きしてくれてるもんね、と返された。

「この子を拾って良かったよ」

ああ、そうかと思った。そう考えれば良いのか。
目の前で衰える姿を見せてくれることに、喜びを感じれば良いのか。

確かに、昔、安達家にいた多くの猫たちは、みんな輝くばかりのはつらつとした姿のまま、急にいなくなることが多かった。なんのボロも出さずに、美しいままいってしまった。

ヴィトはどんどん老いる。わたしよりも先にいなくなる。
この先、歯が悪くなるかもしれない。もっとボソボソの毛になるかもしれない。爪が抜けるかもしれない。わたしは、それを見ていよう。見ていられることを喜ぼう。

そして彼が夜を迎える時、そばにいられたら良いと、思う。

 

***
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2016-06-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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