メディアグランプリ

どうかもう胸を締めつけないで



記事:築地 海露穂(ライティング・ゼミ)

「うん、これももういいや」

あー、スッキリした。

着慣れたブラジャーたちを一度に手放したとき、そう思った。

クローゼットの一番上の段はランジェリーが詰まっていたが、すっかり空間が余るようになった。心にも空間ができた気がする。それは「余裕」だろうか。それとも……。

 

2015年の夏、断捨離中だった私はあらゆる服を手放した。不要なものを手放す度に好きなものだけが残る楽しさに夢中になり、ついにパジャマを含めて30着にまで手持ちの服が減るほど断捨離し続けた。

 

そうして断捨離に目覚めた私の前にそれは現れた。無印のセールでパッド付きのキャミソールが売られていたのだ。ランジェリーには手を付けていなかった私は、もしかしてブラジャーまで断捨離できるのではと考えた。そしてすぐに黒のSサイズのパッド付きキャミソールを手に試着室へ向かった。

 

私はそのキャミソールを着て帰ることにした。それから一週間ノーブラで過ごして、私はブラを手放せると確信した。パッド付きということ以外は普通のキャミソールなので、どんな服とも問題なく合わせられた。いつもはブラジャーを着けてからキャミソールを着ていたので、ブラジャーを着けなくていい分着替えは楽になった。

 

断捨離の締めくくりに次々とブラジャーを捨てた。ブラジャーをしない社会人女性がいると思ったことはない。まして、自分がそうなろうとは思いもしなかった。紙袋にブラジャーを詰める私を見かけた姉には、ずいぶんと引かれた。

 

「ヒロちゃんは、性別も一緒に断捨離するの?」

 

心配そうにする姉に向って、ちょっと「女」を捨ててくるわと言い放ち、私は高島屋の白い紙袋を手にゴミ捨て場へと向かった。

 

ノーブラは一度味わったらやめられない。思いっきり息が据えて気持ちがいいからだ。キャミソールのパッドは薄いので、ブラジャーのようにボリュームは出ない。ふと胸元に目を向けて残念そうにする男性もいるが、そんなこと気にならないくらいブラジャーから解放された喜びは大きい。

 

ブラジャーは小学校5年生のときから着け始めた。将来、胸の形が崩れないようにちゃんと着けましょうと新浦安のダイエーでワコールの店員さんに教えてもらった。でも私はパッド付きのキャミソールだけでも、意外と大丈夫だった。将来大きくならなかったからだ。Bカップだと垂れないらしい。

 

恋人がいたら流石にできなかっただろうが、いないから問題ない。無印がセールをしていて、シングルな今がチャンスなのだ。

 

でも、もう着けたくないという気持ちのままにブラジャーを捨てたものの、たった一つだけ捨てられないブラジャーがあった。それは、上品な真紅のブラジャーだ。真っ白な雪の結晶の刺繍に、谷間に金色のチェーンとクリスタルの小さなチャームがついている。一目ぼれだった。ブラジャーが金のネックレスをしているように見えるのだ。

 

それは2014年のクリスマスに向けて買ったものだった。胸元にネックレスをつけるなんてロマンチックではないか。きっと素敵な聖夜になるだろうとその日が待ち切れず、鏡の前で何度もポーズをとった。

 

このブラジャーを捨てられないのは、特別な気持ちを忘れたくないからなのかも知れない。恋する気持ちを忘れたくないとどこかで思っているからなのかも知れない。クリスマスプレゼントの一つとして買ったから、このブラジャーには彼を喜ばせたかった気持ちが詰まっていた。

 

お気に入りのそのブラジャーを買ったとき、年に一度のクリスマスにだけ毎年着けようと思った。結婚して初めてのクリスマスは楽しかった。でも、二度目が来ないまま私たちは別れた。その日が5年間一緒にいて最後のクリスマスとなった。

 

彼にうまく伝わらなかった気持ちは、実家に帰る時ブラジャーと共に持ち帰ることになった。来年も着るつもりだったから奮発したのに。

 

ランジェリーは女性が高いお金をかけて選んでも報われないこともある。女性のランジェリーをあまり気にしない男性もいるからだ。元のパートナーはそう教えてくれた。付き合ったばかりの頃の彼は、私が必死に選んだブラジャーを手に取って、あろうことか中のクッションを抜き取り出した。

 

「こんなもの入れていたのか、ははは」

 

小さい胸に悩む私がブラジャーに詰めていたクッションを発見して大笑いしていた。彼は男子校出身なことなど言い訳にならないくらい無神経な人だった。どう思われるかと緊張していたのに、そんな私の気持ちなどお構いなしだ。通っていた女子高の教室で着替えるときとはわけが違うからと、懸命に選んだのに。

 

彼はそれ以来、毎回私のブラジャーのクッションをチェックして、色んな種類があるのだなと興味津々だった。男性の彼からすれば、ブラジャーなんて中々いじくりまわせない珍しいおもちゃだったのだろう。

 

彼があまりに楽しそうだったので、つい、いろいろと解説してしまった。水のクッションもあるけどすぐ潰れてしまうとか、低反発はすごくフィットしていいとか。

 

色気もへったくれもない。女友達ともこんな話はしないのに。

 

いつも五千円以上支払って笑いのネタを買っているようなものだったが、私はきれいなブラジャーを選ぶのを辞めなかった。少しでも彼の気を引きたかったのだ。次はこのブラジャーを着けている私に惚れ直すかも知れない。毎回そう思って選んだ。

 

離婚してから、せっかくまだ若いうちに別れたんだからまたいい人が見つかるよと、よく家族や友人から慰めてもらった。でももうそんな気になれなかった。期待するのに疲れてしまった。この人ならと期待して傷つく気力がもう残っていなかった。

 

婚活やら恋愛のフィールドから逃げて、ずるずる一年半が経った。ブラジャーを着けない生活にすっかりなじんだ。着替えは早いし胸も苦しくない。わざわざ専用のネットに入れて洗濯もしなくていい。異性の目を気にしないだけで快適な生活ができるようになった。

 

ブラジャーは私の恋心だ。好きな男性だけを思いながら選ぶ特別なものだ。思春期から、ブラジャーと恋は私の胸を締め付けてきた。ブラジャーを着ける苦しさが、恋をする苦しさを連想させる。苦しいものだから、できればこのまま避けて通り続けたい。

 

それなのに、一番上のクローゼットを開くたびに真紅のブラが、自信を無くした私に強気に迫ってくる。次の出番の準備ならできているわよと、一度洗濯されたくらいじゃくたびれない強さを見せる。そんなブラジャーを横目に、今日もパッド付きの無印のキャミソールを手に取る。私はまだ意気地なしのままだ。

 

また恋をするとき、きっと息苦しいブラジャーを着けたくなるのだろう。足りない胸を盛って、好きな人の気を引きたくなるのだろう。もう一度したいけど、したくない。傷つきたくないけど、また夢を見たい気もする。

 

ぼんやりしているうちに、次のクリスマスまで半年を切ってしまった。

心の準備が間に合いそうにない。

 

今年はとりあえず、パス!

 

 

***
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2016-07-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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