プロフェッショナル・ゼミ

ペットのお葬式をする人なんて、たぶん頭がどうかしている《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)

「明日、火葬してあげてください」

動物病院の先生は、白い段ボール箱に猫の亡骸を入れてくれた。お腹のところに保冷剤がわりに凍らせた水パックを当て、白いタオルもかけてくれた。お世話になりましたとお礼を言って、病院を出た。

その日は、朝から何か嫌な感じがしていた。
私の猫は二ヶ月ほど前に「リンパ腫」と診断されていたが、治療を開始してひと月ほどの間はプレドニン(ステロイド)の作用で元気な様子だった。しかしこの二週間ほどは、ピエロにもらって喜んだ風船が日ごとにしぼむように、少しずつ元気がなくなり食も細くなってきていた。その朝は、もう何をあげても食べてくれなかったので、大好物の海苔をちぎってあげた。でも、やはり匂いを嗅いだ後、私を見上げるだけで食べてはくれなかった。

もう、長くない。

今度こそ覚悟しなくては。強制給餌をしたって、病気の進行が止まるわけではない。お腹の調子もあまり良くないようで、錠剤を飲ませるためにこじ開けた口からは、以前と違う口臭がした。プレドニンは溶けるのが早く、とても苦いのだそうだ。だから毎回投薬を嫌がったが、この朝はもう抵抗しなくなっていた。

猫は、場所を変えながら横になっていた。風呂場や廊下、テーブルの下。まるで真夏の暑い時のように、ひんやりした場所を選んでいた。低体温症状が起きているのだと思った。体温が下がると「暑い」と勘違いするのだそうだ。猫は、撫でようとする私を嫌がるように場所を変えた。だからベッドの下に移動した後は、そっとしておいた。

人と会う約束があったので、それが終わってから病院に連れて行くことにした。出かける準備をして、ベッドの下の猫に声をかけた。
「ピュアさーん。ちょっと行ってくるね」
返事はなかった。もう鳴き声も出なくなっていたのだ。手前の衣装ケースを引っ張り出して猫の姿を見た。薄暗がりから、こっちを見ている。もう一度呼んだ。
「ピュアさーん」
猫は尻尾で返事をする。しかし尻尾の先が動かない。顔も床につけたままで微動だにしない。声は出なくても、鳴こうとはしてくれるはずなのに。そこまで確認してやっと気がついた。

……意識が、ない。

目を開けているが、もう意識がないのだ。手前の荷物やスチールラックを急いでずらし、ベッドの下に手を伸ばした。届かない。ベッドの下には体が入らない。左手でベッド自体を持ち上げ、右手を伸ばす。指先が猫の前足を捕まえた。そのままつまんで引っ張り、猫を引きずり出した。まるで脱ぎ捨てた衣服のように手応えが無かった。

私は、何か叫び声のようなものを上げながら猫を抱いた。手が震えて力が入らなかったが、それでも落とさないように力を込めて、猫の名前を呼び続けた。猫は、ハッハッハッと短く浅い呼吸をしている。心臓が動いているか確かめようとしたが、自分の鼓動がうるさくて聞こえない。猫の目は半分開いているが、もう何も見ていない。そして体は完全に弛緩している。

決断しなければ。このまま、こうやって最後を迎えるのか、それとも一縷の望みに賭けて、病院に駆け込むのか。パニックになっている場合ではない。すると猫が動いた。体をのけぞらせ、口を大きく開け、聞いたこともない鳴き声をあげた。
ろおぉぉぉ……ろおぉぉぉぉ!
私の悲鳴がそれをかき消した。ダメだ、冷静になれ。まだ、生きている。苦しんでいるけれど、まだ生きている。そう自分に言い聞かせ、電話を手に取った。

まず、約束している友人にキャンセルの連絡をしなくてはならない。でも指が痺れてうまく動かない。何とかスマホを操作し、電話に出た友人に事情を説明しようとしたが、完全に泣きじゃくっている私の口から出たのは「猫がね、猫がね……もうね……」という情けないものだった。しかし友人はとても頭の回転が早かった。
「いいですいいです、分かりました、時間を大切にして下さい」
と、すぐに電話を切ろうとしてくれた。ごめんねごめんねと謝って電話を切った。ものすごくみっともなかったが、そんなことはどうでもよかった。

猫はまだ短く浅い息を続けていた。あいにく動物病院は昼休みの時間だったが、電話をすると繋がった。危篤状態を伝えると、すぐ診てくれるという。キャリーに猫を入れ、病院まで走った。途中の赤信号が、やたらと長く感じた。

病院に着くと先生はもう診察室で待っていた。
「いつからこの状態ですか?」
正確にはわからない。もしかしたら一時間以上前から意識がなかったのかもしれない。私はそれに気付かず放っておいたことになる。まず、レントゲンを撮ることになった。リンパ腫が進行すると、肺に水が溜まることがある。その場合、水を抜けば呼吸が楽になり、酸素飽和度が回復すれば意識が戻るかも知れない。しかし、撮影した画像に異常はなく、対処治療の望みは絶たれた。

効果は保証できないが注射をしてくれるという。先生が注射の準備で診察室を出ている間、猫の脇腹を撫でた。緑色の診察台に横たわる猫は、溶けたように薄く平たくなっているが、まだ、息をしてくれている。

膝の上に抱きたかったが、それだと姿勢が苦しいだろうか。だったらこのまま、横になっていた方がいいだろうか。手のひらで猫の顔を撫でた。すると、猫が大きく息を吸い「ぉぉ……」と小さく鳴いた。
それから少しだけ体を伸ばし、そして静かに呼吸をやめた。

今度は声が出なかった。戻って来た先生は持っていた注射器を放ると、慌ただしく猫を抱え処置室へ連れて行った。私は後悔し始めていた。もう手遅れなのに、こうやっていじくりまわされるのは苦痛なだけじゃないか。それに最後を迎えるのは、こんな冷たい診療台の上じゃなく、せめて柔らかいベッドの上の方が良かったのではないか。それに私の希望だけで言えば、私の膝の上に居てくれた方が良かった。もう何もかも遅いけれど。

先生に呼ばれて処置室に行くと、猫に呼吸器が付けられていた。心電図は心臓の鼓動を拾っていたが、それはもう変則的になろうとしていた。
「自発呼吸はもう出来なくなってます。心臓はまだ動いてますが、もうそれも……」
黄緑色に表示される心拍数は、だんだんと数値を下げて行った。私はそれを見るのをやめて、猫のお腹を撫でた。先生も、看護師さんもそして私も無言だった。心電計の音が次第にテンポを落とし、途切れ途切れになり、最後には鳴らなくなった。心電図がフラットになっても、ドラマのようにピーーッとは鳴らなかった。そして先生が、言いにくそうに時刻を告げた。

先生は、白い段ボール箱に猫の亡骸を入れてくれた。お腹のところに保冷剤がわりに凍らせた水パックを当て、白いタオルもかけてくれた。お世話になりましたとお礼を言って、病院を出た。

外は腹が立つくらい天気が良くて、とても暖かかった。道すがら、白い段ボール箱を抱えて歩く私を何人かの人が見たが、みな一様にすぐに目をそらした。

家に帰り着くと、とりあえずタバコを吸った。何本も吸った。やらなければならない事があるはずなのに、時々段ボール箱を覗き込んで猫の亡骸を撫でながら、ずっとぐずぐずしていた。だってもう急ぐことは無い。終わってしまったのだから。

「保冷剤を入れているので、すぐにいたんでしまうことはないですが、明日には火葬してあげて下さい」

何度目かに猫を撫でた時、先生に言われたことを思い出した。明日は日曜日だから、火葬施設も混むかもしれない。早めに連絡して手配をしなければ。動物病院の会計の時にもらったペット葬儀社のパンフレットを眺めたが、どれもこれも気に入らなかった。仕方なく、ネットで検索をして近郊のペット火葬業者を探し、数件電話をしてみた。

ぐずぐずしている場合じゃなかった。やはり火葬業者は混んでいた。空いているところもあったが「合同火葬」という、他のペットと一緒に火葬するものだった。それは嫌だった。だってうちの猫はとても人見知りだから。ただの亡骸になっているからそんなこと関係ないのは分かっている。私が、嫌なのだ。

そんな中「ちょっと苦手かも」と思って避けた所にも連絡してみた。
「ペットは家族と同じ存在だから」
そんな謳い文句だった。人とペットは同じ存在でだから、人と同じように葬儀を行いますとあった。綺麗な施設だったが、ちょっと大げさだと思った。ペットはペットだ。人じゃ無い。ペットのお葬式なんて、そんなのいくら何でもどうかしている。私は火葬さえちゃんと出来たらそれでいい。

仕方なく連絡してみると、そこなら「個別火葬」で、まだ空きがあった。しかし、送迎の対応が出来ない時間帯だった。私は車を持っていない。どのペット火葬業者も、車なしで行けるようなところには無い。一任火葬という、引き取りに来てもらい火葬を任せて翌日お骨で返してもらう方法もあったが、私はどうしても立ち会いたかった。猫はもう動かなくなってしまったけれど、一秒でも長く一緒に居たかったし、知らない人に私の猫を任せるなんてありえなかった。

少し考えて、車を出してくれそうな友人に電話をかけた。きちんと事情を説明してお願いしようとしたが、またも私の口から出たのは「ピュアさんがね、ピュアさんがね……今日ね……」という情けないものだった。猫という単語、または猫の名前を言うと全自動で泣いてしまうので、ほとんど何を言っているか分からないような電話だったが、なぜかみんなすぐ分かってくれた。そして三人目に連絡した友人が、乗るはずだった新幹線の時間を変更して付き合ってくれる事になった。普段は私の都合で人の予定を変えさせたりしない。でも今回に限ってはわがままを通させてもらった。

無事に個別火葬の予約が出来たので、お通夜をすることにした。お通夜といってもコンビニで買って来た安い線香を焚いて、一人でビールを飲むだけだった。時々、段ボール箱を覗き込んで、猫を撫でた。体躯は死後硬直で硬くなっているけれど、被毛は相変わらず柔らかかった。客観的に見ると私は「死んだ猫を肴に酒を飲む女」だった。誰かに言いたくなったが、どう考えても笑ってくれなさそうなのでやめた。

翌日、友人が迎えに来てくれるまでの間、猫を撫でたり、猫がまだ生きているかのような記事を書いてSNSに投稿したり、猫の写真をアップしたりした。まるで情緒不安定な人みたいだと思ったが、それしかやりたい事がなかった。そしてその合間、時々段ボール箱に添い寝した。迎えに来た友人は、スーツを着てお念珠まで持って来てくれた。私はきったない格好だったが、もう服装に構う気はなかった。

福岡市の南、那珂川町の山あいを抜けたところにペット葬儀社はあった。
すぐそばにゴルフ場があって、鳥が鳴いていて、綺麗な小川が流れていた。庭にはテラステーブルが置かれ、傾き書けた日差しが新緑を鮮やかに照らしている。私の育った田舎の山によく似ていた。

まず、控え室に通された。控え室の冷蔵庫には冷たいお茶や水、ポットの脇にはコーヒーや昆布茶、カップラーメンやお菓子があった。人間の葬儀場の控え室と変わらなかった。膝の上に段ボール箱を乗せたまま、お茶をいただいた。そしてその日一日、ほとんど水分を取ってなかったことに気がついた。

「この度は本当にお疲れ様でございます。担当させていただきます坪田と申します」

担当してくれた坪田さんという女性は、とても丁寧だった。私は火葬さえしてくれたらよかったのだが、そこでは本当に人間の葬儀と変わらないセレモニーを行った。宗教の制約がないだけで、全くもって人の葬儀と同じだった。通された「お別れの部屋」の祭壇には白いマリア像があり、その御前に猫の亡骸を安置した。いくつもの蝋燭の灯りに浮かぶマリア様は、無神論者の私にとってさえ、ありがたいお姿と慈愛に満ちたお顔をしていた。そして、焼香台があって線香を焚いた。日本人らしい、宗教の折衷具合だった。

「動物に宗教はありません。ですが、天国の象徴としてのマリア様にピュアちゃんが向こうに行ってからのことをマリア様にお願いしてあげて下さい」

天国なんかないけどね、と思いつつ、とてもたっぷりとお願いをしてしまった。もう苦しくありませんように。知らないところに行って怖くありませんように。抱っこは嫌いなので、膝の上に乗せてあげて下さい。そしていつかまたピュアさんがこっちに来る事があったら、なんとかして私のところへお願いします。

室内にはシューベルトのアヴェ・マリアがかかっていて、そのまんまじゃないか と思ったが、それでもその旋律はとても美しく、ピュアさんにふさわしかった。席に座ろうとすると、坪田さんが言った。

「この後、もう少しお話しさせていただきますが、抱っこ、されますか?」

私が頷くと、マリア様の前に寝かせていた猫を、私の膝の上に乗せてくれた。実は心残りだったのだ。病院であまりにもきちんと支度をしてくれたため死後硬直が早く、家に戻ってから膝の上に抱いてなかった。体は硬くなっていたが尻尾は硬直しておらず、しなやかなままだった。付き添ってくれた友人も、尻尾を触ってくれた。少し短めだけど、まっすぐな尻尾。かわいい。そして、この重みを膝に感じるのは、これが最後なのだと思った。そして坪田さんは、素敵なストーリーを話してくれた。

「あなたがどれだけ愛情を注いでくれたのか、ピュアちゃんは知っています。だから、向こうに行ってもピュアちゃんがあなたを忘れることはありません。今この時、旅立つピュアちゃんに、一緒にいてくれてありがとうと、伝えてあげて下さい」

「ピュアちゃん」じゃなくて「ピュアさん」なんだけどなと思いつつ、言われた通りにした。ありがとね、ごめんね、ありがとね。感謝を伝えるはずが、だんだんごめんねの分量が増えて来た。仕方がない。ありがとうとごめんなさいの境目は曖昧だ。

「差し支えなければ、般若心経というお経を唱えさせていただきたいと思いますが」

当然お願いした。これもやりすぎじゃない? と思いつつも、出来ることはなんでもやって欲しかった。マリア様と般若心経。カオスだ。でも、お経の前後に鳴らす御鈴(おりん)の澄んだ高い音は、不思議とそのカオスをどうでもよくしてくれた。

いよいよ、猫を炉に入れる時間になった。仕組みはやはり人間と同じ。スライドオープンの台座に、亡骸を乗せる。生前好きだったものを、そばに置く。人間と違うのは、棺に入れず、そのまま寝かせる事。お供えのフードは持って来ていたが、大好物の海苔を持って来ていなかった事は少し後悔した。

最後に脇腹を撫でた後、坪田さんが台座を押して炉の中に収めた。ガラガラと重い音がした。姿を見るのもこれが最後だ、今、見ておかないと。そう思うと、目から出続ける水が邪魔でしょうがなかった。薄暗がりに横たわっている猫は、半開きの目でなんとなくこっちを見ているようだった。私が「ピュアさん、ちょっと行って来るね」と言った時に机の下で見せた、いつもの姿みたいだった。だから、いつもみたいに「ばいばい」と言ってしまった。そして、炉の分厚い蓋は降ろされた。

1時間と少し後、クリーム色の骨になった猫を骨壷に納め、骨壷袋の「なまえ」のところには「ピュアさん」と書いた。友人に運転してもらって家に帰り着く頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。「帰って来たよ」と言ってみたけれど、部屋の中はものすごく静かだった。

あれから何週間か経った。あの大げさなペット葬儀社と坪田さんにはとてもとても良くして頂いた。行ってよかったし、とても感謝している。でも、今でもやっぱりペットのお葬式なんてやりすぎだと思うし、どうかしてると思う。

そう、どうかしてるのだ。

未だに猫という単語と、猫の名前を口にすると全自動で泣いてしまう。コンビニのおにぎりの海苔を見て泣いてしまう。Amazonの「もう一度買う」に並ぶ「花王ニャンとも清潔トイレ」のパッケージを見て泣いてしまう。本当に、どうかしてるのだ。

「どうかしてる人」が、ペットのお葬式なんて「どうかしてる事」をやるのは至極当然なのだ。猫だろうが犬だろうがウサギだろうがオカメインコだろうが、お葬式くらいするだろう。どうかしてるんだから。

何年か前に書いた戯曲の中で、葬儀屋の女にこんな台詞を書いた事がある。
「お葬式は亡くなった方のためにするんじゃない。残った者のためにするんだ」
こんなことを役者に言わせておきながら、私は全然分かっていなかった。

私は、きっと私のために葬儀をあげた。もしかしたら、私の一部の葬儀をあげたのかも知れない。残っている私は地獄に落ちたって構わないけれど、どうかピュアさんの分だけは、虹の橋の向こうの楽しい世界へ行っていて欲しいと、かなり本気で思っている。天国も地獄もないと思ってるくせに、それこそどうかしてる、とは思うけれど。

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