プロフェッショナル・ゼミ

どうやら私は「おばさん」にさえなれないのかもしれない。《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)

「ねぇねぇ、来週から3課に新人さん入るらしいよ! それもさ19歳の男の子だって!」

隣席の山田さんは、なかなかのテンションで話しかけて来た。私は何と答えたらいいのか分からなかった。新人さんが入ることは分かった。でも、山田さんがハイテンションな理由が最初分からなかった。なので、そうなんですか? と答えてみた。すると彼女は続けた。

「19歳かぁ。なんか、あれよね。もう息子でもおかしくない歳よねぇ」

確かに。しかしまだ、彼女が何を言いたいのか分からなかった。山田さんは50歳手前。19歳の息子がいたって何にもおかしくない。何を当たり前のことを言っているのだ。しかし彼女の真意はどうやらそこじゃない。数秒、頭を巡らせてもしかして、と思い当たった。

どうやら彼女は「19歳の男の子」というものに期待感を持っているのだ。もっと言えばときめいているのだ。
なぜ? なぜ容姿も人柄も確認していない相手にときめく?

「ここってほら、おじさんばっかりじゃない? いや、あたしだっておばさんやけど」

はい。私だって立派なおばさんですが。そんなにいいもんですか? 若い男の子って。あまり興味がなさそうな私をつまらないと思ったのか、そこで会話は終わった。そして私はその事自体を忘れてしまった。
しかし翌週、山田さんは手首のスナップで「ちょっとちょっと!」を表現しながら駆け寄って来た。

「ダンガリーシャツ!」
「はい?」
「ダンガリーシャツ着てた」
「誰がですか」
「新人さん! 3課の!」
「あぁ」
「普通さ、最初くらいスーツ着てくるやん? でもダンガリーシャツやった!」
「あら。派遣会社の人がそう言わなかったんですかね」
「ねぇ。ちゃんと教えてあげたらいいのに。あ、もしかしたらスーツ持ってないんかもしれんね」
「ですかねぇ」

いや、スーツ持ってないってことはないだろう。と言うより、オフィスカジュアルの会社なのに最初だけスーツを着てくるなんて無駄な慣習自体、どうかと思うけど。

「なんかね、今日まで座学で、明日からデスクに来るらしいよ」

なぜだ。なぜそんなに詳しい。どこで情報を仕入れて来る。しかもその情報に全くもって興味が湧かない。しかし山田さんは嬉しそうだった。課の島が違うと、彼女とも私とも話す機会すらなく、何の影響もないはずなのに。はっきり言ってどうでもいいが、山田さんは楽しそうにしているので、それはそれでいいかと思っていた。

そうか、彼女にとって「若い男の子」は、良いものなのかもしれない。つまらない職場に「楽しみ」を見出すことは、生きるための知恵でもあるし。そんなふうに冷めて考えていた。

ところが、この現象は休憩室でも化粧室でも起きていた。ダンガリーシャツの彼は、至る所で話題に上っていた。「歳が娘と同じだわ」とか「ジャニーズの誰それくんに似てる」とか、だから何だ? としか思えない内容だったが、私が小耳に挟んだだけでも至る所で口の端に上っていることは間違いなかった。

翌日、私が見たダンガリーシャツの彼は、小柄で高校生くらいにさえ見えた。顔立ちは普通すぎて似顔絵も描けない感じだ。この何かのサンプルのような男の子は、フロアの隠れた人気者になっていった。やれ、ヤクルトさんが来た時に「ジョア」を買っていただの、お弁当屋さんで大盛りを頼んでいただの、トピックは相変わらずどうでもいい内容だった。しかし、その話をするおばさん達はとても楽しそうなのだ。そうか、山田さんだけじゃなく、一般的なおばさんにとって「若い男の子」は良いものなのか。

そうなると、だんだん不安になって来る。以前から感じていた違和感が頭をもたげ始めた。
もしかして、私はちょっとおかしいのじゃないだろうか。

全く、共感できないのだ。

以前から思っていた。私は女子がキャーキャー言う「○○さんかっこいい」とか「△△くんかわいい」とかに全く共感できないのだ。だって世に中に、かっこいい男子なんか滅多にいないし、ましてイケメンと呼んでいいレベルの人なんて近隣には皆無に近い。いわゆるいい男なら存在するが、彼女達のようにルックスのみで判断するなら対象からは外れてしまう。しかも相手は子供じゃないか。

そして共感できないだけならまだしも、厄介なのは「嫌悪感」があると言うことだ。

嫌悪感の原体験は、中学生の頃までさかのぼる。
私が通っていた中学校はとても小さかったが、図書室に司書教諭の女の先生が居た。彼女は生徒に対し、とても丁寧な指導をした。蔵書の扱い方、掃除の仕方、挨拶のお辞儀の角度。よく言えば厳格、悪く言えば口うるさい人だった。

冬の寒い日だった。その日、図書室掃除の担当だった私たちは床の雑巾がけをしていた。掃除当番の中で図書室は人気がある。ストーブがあって、掃除の時には消してあるものの、他の教室より暖かいのだ。しかし、その掃除の仕方に指導が入った。

「バケツはね、雑巾を濡らすためにあるわけじゃないの。雑巾を洗うためにあるの。そんな風に汚れたままの雑巾で拭いたって、汚れを広げてるだけじゃない。雑巾はちゃんとこまめに洗って。バケツの水が汚れたら取り替えなさい」

水が冷たくて、雑巾がけはとても嫌だった。でも言われた通りにした。同級生は、彼女に見えないように舌を出したが、誰も言い返したりしなかった。手がかじかんで力が入らない。

「ほら、そんなにびしょ濡れで拭いたら乾かなくて危ないでしょう」

厳しい指導は続いた。「家で掃除なんかしてないんでしょうねぇ」と言うセリフにはカチンと来たが、黙って従った。基本的には正しいことを言っているから。

しかし翌週、廊下のモップがけをしていると、耳を疑うような図書室での会話が聞こえて来た。

「バケツの水は冷たいでしょう。お湯を足してあげる」
「やったー」

はい? 図書室を覗くと、先生はストーブに載せていたヤカンからバケツにお湯を足していた。掃除当番は男子だけだった。そして先生は楽しそうに一緒に掃除をしていた。待遇が、全然違う。同級生が耳打ちして来た。

「男子には優しいとよ、あの人。見て、ストーブ」

私たちが掃除した時と違い、ストーブは消されておらず赤い火が灯っていた。そんなことするのかあの人。中学生の私は、何とも嫌な気持ちになった。大人がえこひいきをする事も許せないし、その理由がどうやら「異性」であることなのがなんとも気色悪かった。

その後も、司書教諭の先生は男子には甘かった。私らがストーブの近くに行くと「これは生徒が使うためにあるんじゃありません」と追い返されるのに、男子とはそのまま談笑していた。私が飴を舐めていたら咎めるのに、男子にはおやつを分けていた。やることがあからさまだった。

当然おやつの件は口止めしていたようだが、バカ男子がそんなこと守るわけがない。そしてそれは教頭先生の耳にも入ったようだった。

同級生によると、司書の先生は教頭先生から注意を受けたそうだ。戻ってきた先生からの女子への風当たりは益々強くなった。どうやら私たちがチクったと思ったようだ。私たちは、掃除当番の時以外は図書室に行かなくなった。先生を介さないと本を借りることができないため、貸出して読書をすることも無くなった。この頃に読書の習慣がなくなってしまったのは人生の大ダメージだったのがわかるのは、この10年は後だったが。

中学生の私には「いい歳をしたおばさんが、異性にいい顔をしている」のがなんともみっともなく思えた。今思えば、司書教諭の彼女はそんなに悪くなかったと思う。生意気で辛辣な女子中学生より、バカな男子中学生の方がそりゃかわいいだろう。人間らしい、正直な対応だっただけだ。

しかしこの頃から、年下の男性に対してやたらと興味を示す女性への嫌悪感が消えない。それは、原体験のせいだけなのか、私個人の癖なのかはわからない。さて困った。本当に困った。なぜ困るのか。

だってもう、年下を対象にしないと、市場のπがないのだ。

さすがに19歳は論外だとして、年下の男子にときめいたって誰にも迷惑がかかるわけじゃない。しかし、どうにも食指が動かない。せめて、一般的なおばさん並に、ちょっと良さげな男子にときめくくらいにならないと立派なおばさんいなれない。絆創膏と輪ゴムをすぐ出せるのだけが、おばさんの要件ではないのだ。

おかしいな。これが女子なら全然いけるんだけど。私は若い女の子が大好きだ。クソ生意気だったり、世間知らずだったり、感情のコントロールができなかったり。そんな未熟なところまで含めて、女子は可愛いと思う。

だから世の中のおっさんが、若い女の子に甘いのは至極当然だと思う。だって可愛いんだから。別に美人じゃ無くたって構わない。若い女の子というのは、全おっさんにとって、ただ純粋にいいものなのだ。仕事にも甘くなるだろうし、ご飯はご馳走したいだろうし、出張に行ったらお土産くらい買いたいはずだ。そんなおっさんすら可愛いと思う。

このおっさん理論を応用すると、おばさんが若い男の子に甘い、または歓喜するのも当然なのだろう。特に、若者が少ない変化のない職場で、十代の男子なんてネタはきっと楽しいに違いない。

違いないはずなのだが……待て待て、やっぱりおかしい。共感できない。
どう考えても、私の思考は完全におっさんの方だ。私はおばさんになりたいだけなのに。ほんの普通のおばさんに。

薄々気づいてはいた。自分はおばさんじゃなくて、おっさんなんじゃないかと。いつからこうなったのかはもう思い出せないが、おそらく歳をとると性別がなくなってくるので、ちょっと人より早く「おっさん化」してしまったのではないだろうか。だって、「おばさん化」したおっさんも世の中には多く存在するじゃないか。

しょうがない。なってしまったものはしょうがない。
私は立派なおばさんにはなれないが「おっさんおばさん」として生きていくことにする。

大丈夫、恋愛対象ではないのなら、女子を愛でる方が圧倒的に楽しいはずだから。
なんだか少し寂しいような気がしないでもないけれど。

***

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