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ずっと母親でいたいなら、山に登ってはいけない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:秦笑子(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「お母さん、もう家に帰ろうよ」
つまらなそうな声で4歳の息子が言った。
黄色いポンチョ型のレインコートを着て、フードをかぶっている姿はてるてる坊主のように可愛いが、不機嫌のため口はへの字に曲がり、眉間にシワができている。

そう言いたくなるのもわかる。
私と息子、そして小学3年生の娘は、夏休みを利用して親子ハイキングのツアーに申し込み、長野県の北アルプスにある高原に来ていた。
ゴンドラとロープウェイを乗り継いで標高1,900メートルに上がり、そこに保全されている自然園の湿原を歩いている。
晴れていれば、残雪の残る雄大な北アルプスの山々を眺めながら、美しい高山植物の花の中を楽しく歩けるはずだった。

そう、晴れていれば。

あいにく、昨晩から雨が降り続いていた。様子を見ながら行けるところまで行きましょう、というガイドの判断で出発し、最短ルートで湿原を回ることになった。

標高が上がるほど、気温は下がる。100メートル上がるごとに約0.6度下がると言われているので、私たちの歩いている標高1,900メートルは、地上よりも11度以上気温が低い。
おまけに雨だ。真夏だというのに、長袖を着なければ耐えられないほど寒かった。

息子のレインコートはびしょびしょに濡れて、上からフードを見ると髪の毛が透けて見えていた。アウトドアブランドのもので、普段も雨の日に使っているコートだが、さすがに2時間も雨の中を歩いていると浸透してしまったのかもしれない。
レインコートの中に手を差し込んで息子の服を触ると、Tシャツも少ししっとりしていた。汗なのか、雨なのか。いずれにせよ、早く着替えないと寒いだろう。

雨具は必須だと事前に言われていたのに、準備が甘かったなと後悔する。レインコートではなく、上下セットのアウトドア用レインウェアを子供たちに買ってあげれば良かったのに。

(先月アウトドアショップに行った時、帽子や下着や靴下は買えたんだけどなあ……)

ブランドにもよるが、アウトドア用品は機能製品なのでそれなりに値段が高い。
おまけに子供はすぐ成長してサイズが変わってしまうから、親の懐事情としては、必要最低限のグッズに絞りたかった。

2年ほど前から子供たちを連れて山に登るようになり、少しずつ買い足してきたものの、雨具の買い替えは後回しにしてきた。一度だけ雨の低山に登ったことがあったが、子供も嫌がるし面倒だったので、自分で連れて行く時は、確実に天気の良い日しか登らない。リュックに入れるものの、いつも使わずに帰ってくる雨具よりも、買いたいものが沢山あった。

しかし今日は、そんな自分の判断を深く後悔することとなった。
ケチな母ちゃんでごめんよ、息子。

風邪を引かないうちに帰りたいなと私も思うが、すでに引き返すよりは先に進んだ方が早い距離まで来ている。湿原の中の木道をグループで歩いているので、後ろから他のメンバーも来る。

早く早く、と焦って、息子の背中をチョイとつついてしまう。

「お母さん、押さないでよ!」
息子の不機嫌がさらに高まり、怒りに変わる。

「だって早く行かないと……」
「もうお母さん、嫌い! 話しかけないで! 嫌いの嫌い!」

嫌いの嫌いは好きじゃないの? とからかうが、一度腹を立てた息子はなかなかおさまらない。
こっちも雨の中、少しでも負担を軽くしてあげようと、子供たちの荷物を引き受けて背負っている分、疲れている。
面倒になって、「だったらもう話しかけないから、勝手にしなさい」と突き放してしまう。

雨の湿原は、霧がかって幻想的だった。
晴天であればもちろん、ガイドブックの写真のように美しい光景が楽しめただろうが、雨は雨で、この時しか見られない景色の味わいがある。

そんな情緒はどこへやら、「お母さんは来ないで!」と連呼する息子の背中を見ながら、「1人で来れば、もっと楽だったかな」という思いがよぎる。

子供たちと山に登るのはトータルとして楽しいが、こうやって喧嘩になることもしばしばだ。
夫は土日も仕事が入るので、今回のように、母子3人だけで山に行く回数の方が多い。大人1人しかいないと、よほど緊急の時以外は子供をおんぶや抱っこすることが難しい。「歩きたくない」「疲れた」と言われても自分の足で歩いてもらうしかないし、子供の希望どおりに休憩してしまうと全くペースが上がらず進まない。「あと10分頑張れ」と励まし、下り坂を走るな、大声を出すな、谷側を歩くな、といちいち注意しているうちに、自己嫌悪にかられる。

せっかく自然の中に連れて来たって、自分は怒ってばかりじゃないか。

私は本当に子供たちをのびのび育てられているのかな?

自分の趣味に子供を付き合わせて、不自由な思いをさせているだけではないのかな?

子供に合わせてあげられるのが、良い母親なんじゃないのか……?

モヤモヤしながら山道を歩いているうちに、いつも、だんだんと、どうでもよくなるのだ。

山の景色、見えない生き物の気配、降って来る雨の感触。
五感を通じて入ってくるものの中で、私の小さな考えは隅に追いやられていく。

「生きなきゃ」と身体が思うからかもしれない。
人間以外の生物の気配が強くなる自然の中で、かつて野獣に怯えながら暮らしていた原始の時代の生存本能が強くなるのかもしれない。
自分の心身を使って、子供たちと生きて帰らなければならないという大命題の前に、「自分は良い母親かどうか」という思考は重要性がなくなり、どこかに消えていく。

湿原の出口にようやく到着した。
「寒い」という息子を慌てて着替えさせる。
が、服をそのままリュックに詰めていたので、着替えの服も大半が濡れてしまっていた。なんとかあり合わせで着替えさせ、登山ガイドブックのパッキングに関するページをいつも読み飛ばしていた自分を再び反省した。

翌日は、なんとか雨が上がり、曇り空ではあったが、今度は標高2,000メートルを超える山に向かった。
ゴンドラとリフトを利用して、1,800メートルまで一気に上がり、そこから登山道である。

山道ですれ違う大人たちが、私たちのグループにいる子供たちに「頑張っているね」「すごいね」と声をかけてくれる。

かと思えば、疲れた子供のグズる声を聞いて、「連れて来たいのは親だけだからね」とささやく人も一部にはいる。子供は山で泣いたり笑ったりはしゃいだりと忙しく変わるのだが、泣いている場面だけを見ると、子供が気の毒に思えるのだろう。

山登りであってもなくても、何かをやろうとすれば、承認する人も批判する人もいる。それが子連れであると、「子供がいるのに頑張ってエラい」「子供がいるのにやるなんて」という表現が多くなる。

私も子供がいるので、同じように「母親」という役割のある人と関わることが多い。日本は「子育て=母親」の図式が強いのだろう、子供に関する責任を全て自分が背負っているように感じてしまう母親は多い。子供がいるのに、子供がいるから、子供のために、という言葉は母親の責任感を強く刺激し、そこから行動を決めてしまう。

だけど何が子供のためかなんて、正解は結局わからないものだ。

アウトドアは子供の発達にプラスだ、という人もいる。
それはそうだと思う。アウトドアとは制約を楽しむことだ。
クリックひとつで欲しいものが届き、オンデマンドで見たい番組が見られる時代の子供たちにとって、アウトドアで不便な環境に置かれることは、普段の家では味わえない体験となる。
自分の身体と、持っている限られたアイテムでなんとかしのぎ、山頂にゴールして「自力でやりきった」感覚を味わうことは、その思い出を大人になって忘れてしまっても、きっと子供のどこかに残るだろう。
大人の言いつけを守らず、転んだり落ちそうになったり、少々の怪我やヒヤリとした体験をすることも、ルールの意味を体感できる。

だからといってスパルタ式に無理矢理登らせるのが良いとは思わないが、付き添う大人が適切にリスクをコントロールできるなら、アウトドアは子供にとって、学びの宝庫になり得る。

では、だから私が子供たちを山に連れて行くのか、と言われると、それは違う。
母親としての「子供のために」とは違う、「私」の気持ちがある。

息子が生まれるまでは、アウトドアはどちらかというと、夫が主導する世界だった。
山登りにしても、キャンプにしても、子供を連れて行きたいなら、夫が一緒でなければ無理だと思っていた。
夫が会社員からフリーランスに転身し、土日の仕事が多くなると、せっかく休日にどこか出かけようと思っても、私1人で子供たちを連れて行けるのは、せいぜい近所の公園か、子供向けの設備が整ったショッピングモールだけだった。

「子供がいるから」
「夫が忙しいから」
本当に行きたい場所に行けなくても、今は我慢しなければいけないんだ。と思い込んでいた私を誘ってくれたのが、今回の親子ハイキングの主催者でもある友人たちだった。

夫が一緒に行ける時も行けない時もあったが、彼女たちのハイキングイベントに参加して、何度か近郊のハイキングコースを歩くうちに、もっと新しい場所に行ってみたくなった。

調べてみれば、子連れでハイキングに行くためのガイドブックをはじめ、山に関する情報サイトも沢山あった。安全性を高めてくれる子供用のアウトドア用品も売られていた。

「我慢しなければいけない」「無理だ」と思っていた私の目に入らなかっただけで、選択肢は他にもあったのだ。

以来、できないと思い込んでいたことができるようになった楽しさで、自分で計画を立て、子供たちを連れて山に行くのが趣味になった。

それでもアウトドアのリスクは決してゼロにはならない。
「母親」の私は、子連れで山に登れば正直疲れる。
子供の分も準備を考え、危険に気を配り、子供に合わせてペースを調整する。それでも思ったように進まないことが多い。せっかく連れて行っても、大人と同じものを子供が喜ばないこともある。こちらは景色を堪能したいのに、子供たちはおやつのことばかり考えている、というように。
良き母であろう、という企みは、山ではわりと散々な目に会う。
「子供のために」だけではない楽しさがあるから、続けていられる。

さて登山道を進み、標高2,000メートルを超えると、急に風が強くなり、雨も降ってきた。暑がりな息子は当初、「上着は着ない」と嫌がっていたが、昨日の寒さで学んだこともあり、勧めたら素直に着るようになった。

少しだけ道の途中に残っていた残雪を渡り、目的地である池に到着した。晴天なら、北アルプスが鏡のように映ることもあるらしい。
今回はそんな光景は期待できないけれど、曇天の下でも水はほのかに蒼く、この標高まで一体どうやって来たのか、アメンボがすいすいと水面を滑っていた。

息子は池に魚が見えないことに腹を立て、むくれて写真も映りたがらなかった。
せっかく来たのにと思わなくもないが、魚を期待して頑張って登ってくれた息子にも怒る権利はあるのだ。

雨に濡れたため、下山する木道は大変に滑りやすかった。
テンポよくジャンプした息子が足を滑らせ、危うく滑落しそうになった。登山道から1メートル弱滑り落ち、笹の藪に引っかかった息子に手を差し伸べながら、引っかかる場所のない砂利の崖でなくて良かったと心臓がドキドキした。

小3の娘は不満も言わず、友達と楽しく歩いていたが、あともう少しで登山口に戻れるというところで転び、アザをつくって泣いた。
こういう時も、弟がいるので娘にあまり構ってやれず、なんとか立ち直って1人で歩いてもらうしかない。

今回はグループだったから周囲に助けてもらえたが、昨日の雨対策といい、自分の準備や知識の不足で子供たちに危ない思いをさせてしまった気がして、私は少し落ち込んでいた。

それでも花のシーズンの高山は、天国のように美しかった。オレンジ色の百合に似た、ニッコウキスゲという花の群落を見て、痛みから立ち直った娘も「きれいだね」と喜ぶ。そして、それ以上に、ご褒美のソフトクリームに喜ぶ。

「この旅行をまとめて、夏休みの自由研究にしてみたら?」と娘に提案すると、「私、工作がいいの」とあっさり断られた。苦労して連れて来たのに、なんともったいない。
子供から期待どおりのリターンをもらうことなんて無理なのだ。

登山口からリフトで降りる時、息子が足を滑らせたシーンが何度も思い出されてドキドキした。「びっくりしたね、怖かったね」と息子と話す。
「走らないで歩こうって言ったら、必ず守ってね」と頼むと、普段の反抗期な態度はなく、真剣な顔で「うん」と頷いた。

リフトに座る足元には、色とりどりの花が広がる斜面が続き、はるか下に麓の町がジオラマのようにポツンと小さく見え、その向こうに緑の山並みが延々と続く。
一生かかっても登りきれないほど多くの山がこの国にはある。

ふと、行きのゴンドラの中で、山を見ながら息子が言った言葉が蘇った。

「お母さん、山に龍がいるみたいだね」

山々が高いので、白い雲が山の合間合間に漂い、神秘的な姿になっていた。
それを見て、4歳がそんな言葉を呟いたのだ。
それは、私が思ってもみなかった表現で。

彼のそんな言葉を聞けたのは、今日、この場所に一緒に来たからなのだ。
私は思い出してちょっと目が潤んだ。
それだけでも、ここに来て良かったのだ。
「子供たちのため」じゃない、「私」にとって。

山に行くたび、私も子供たちもお互いに少しずつ自立している。
子供たちは自分で歩ける距離が長くなり、歩きたいコースも選ぶようになってきた。
私は地図の読み方を知り、道具を少しずつ増やし、対応できる場面を増やそうとしている。
子供抜きで山に行くのも楽しいけれど、山で不意に見せてもらう子供の表現が面白くて、やっぱり一緒に行きたくなる。

子供は子供のために。
私は私のために。
今は一緒の道を、手を取り合って歩くことができる。

子供の成長は、手をかける負担が減って助かる反面、べったりと一体化して守ってきたものが自分から分離していく、柔らかな痛みがある。
山に行くたび、子供の変化を感じるたび、喜びとともにその痛みがある。

いつか子供たちが自立した時、もう、一緒に行ってくれるかはわからないけど……。
その時は「母親」ではない「私」として、登りたい山を選び、やりたいことに向かう、1人の人間になっていたい。

 
 
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2017-08-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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