プロフェッショナル・ゼミ

「人は自分がなりたいと思う人になる」そのことを教えてくれたのは……《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:kiku(プロフェッショナル・ゼミ)

※今の時点では、まだフィクションです。

「相変わらずクセェな」
その時、私はインドに降り立っていた。
人の熱気が湧き立つインディアン・ガンジー空港に降り立つのは5年ぶりである。
はじめに来た時、私はまだ大学生だった。

あれからもう5年か……
東京オリンピックも終わり、日本の経済の終着点が見え始めた頃、私は再びあの人の熱気で湧き立つインドに降り立つことになったのだった。

大学を卒業したのちに色々な職を転々とした。
普通のサラリーマンを一通り経験してきた。
気がついたらもう29歳だ。
そろそろ自分の中で抱ける夢の幅を狭くなってきた。

29歳の私はカメラを持って世界を旅して回っていた。
なんでこんな人生になったのだろうか。

大学を卒業する頃には、自分は一生サラリーマンをやるつもりだった。
しかし、ある時人生が一変してしまったのだ。

それは池袋にある天狼院書店と出会ってからだった。
池袋の隅っこ、もはや雑司が谷の一角にある小さな小さな本屋さんだ。

その本屋さんにたどり着いてた時、私はまだ24歳だった。
大学を卒業したのちもフリーター生活を続け、ながらく自分が何をやりたいのかわからないまま、ぷらぷらと暇な時間を過ごしていたのだった。

何がしたいのかわからない。
特にしたいこともない。

典型的なゆとり世代の甘えである。

そんなプータラの時代を過ごしていた私でも、ある一つのことだけは夢中になっていた。
それは文章を書くということだった。
ものを作るということだった。

大学時代から、ベンチャー企業を立ち上げた友人に頼まれ、何本かインタビュー記事や書評の記事を書いたことがあった。
はじめの頃は、「自分が文章なんて書けるわけがない」と駄々こねて、断ろうと思っていたが、大学時代の友人から「頼む! ライターがいなくて本当に困っているから、ヘタクソでもいいから書いてくれ」

そう、辛抱強くお願いされてしまったため、断ろうにも断れずにいた。
「ヘタクソだけど、文句言うなよ」
私は渋々、記事を書くことにしたのだった。
「自分が文章なんて書けるわけがない。自分の国語の偏差値を知っているのか」
私の大学浪人時代の国語の偏差値は40である。
英語、数学は猛勉強の末、偏差値60は超えていたので、どれだけ国語の成績の悪さが私の大学受験に影響を与えていたのか想像つくだろう。
ちなみに私は文系である。
数学は好きではあったが、「大学まで行って、物理とか化学を勉強するのもなんだな」と思い、渋々文系を選んだのだった。

文系を選んだくせに、全く国語ができないのである。
高校生だった頃の私は、年間に本を一冊も読んでこなかったため、文章の読解をしようにも、読むスピードが遅すぎて、全く国語のテストができなかったのだ。
塾の先生には「君、帰国子女だったのか?」と言われるくらい、国語の成績だけは著しく悪かった。

そんな私が友人から頼まれたとはいえ、メディアのインタビュー記事を書くことになったのだ。
「頼む。本当に人手が足りないんだ」
人手が足りないからといっても、国語の偏差値が40だった男に記事の執筆を依頼する企業も一体なんなんだ?
この無茶振り加減が、今はやりのスタートアップ企業なのか?

そんなことを思いながら、私は渋々記事を書いていった。

はじめはそこそこ話題に上っている若手ベンチャー企業家にインタビューをすることにした。
「あの……御社では何をやっているんですか?」
「は? インタビューをする側なら、調べてから来いよ」
私はインタビュー初日からいきなり怒られてしまった。

やっぱり文章を書くなんて自分には無理なんだ。
そう思いながらも、いちよ、ちっぽけだがお金はいただいているので、ゆっくりとインタビュー記事を書いていくことにした。

書いていて、自分でも驚いた。
面白いのである。
楽しいのである。

国語の偏差値が40だった私だが、人に見せる文章を書いていく作業はとても楽しかったのだ。
インタビュー記事と言っても、まるで一本の映画を作っているような感覚だった。
国語の偏差値が著しく低かった私は、文章から頭の中で映像を作るという一連の作業が子供の頃から苦手だったのだ。
そのためか、昔から映画やカメラにはとても興味を持っていた。

文章を書くということは、頭の中にあるイメージを言葉に落とし込めていくだけだ。
そのことに気づいてからは早かった。

「もっと記事を書かせてくれ!」
そう友人にお願いし、次から次へとインタビュー記事を書いていったのだった。

大学を卒業してからも私は記事を書き続けた。
特にやりたいことなどなかった。
書いては、添削をもらい、書いて書いて書きまくっていた。

独学で文章の書き方についての本も読んでいった。
有名なブックライターの人がまとめた本だった。

卒業してから半年は、独学でライティングを勉強していったが、さすがに限界が来ていた。
Webの記事を書いているだけでは儲からない……
今も昔も、ライターという職業は限りなくある。
しかし、2,000時程度のwebに掲載する記事を書くライターは山ほどいる。
食っていけている人たちは皆、本を書いている人たちだ。

それにインタビュー記事を書こうと思ったら、ある程度カメラも扱えなければならない。
インタビューの席には必ずと言っていいほど、プロのカメラマンがいる。
インタビュー相手の写真をメディアの表紙の載せるためだ。

正直、雑誌やインタビュー記事は、文章のタイトルと同じくらい写真の印象が読者のイメージを左右しているのだ。

全てとは言えないが、Webのライターで食っていけている人たちは皆、ライティングスキルとカメラマンとしてのスキルを兼ね備えた優秀な人たちばかりだった。

そんなクリエイティブな人に比べて私はといえば、文章も拙く、今までに安いデジカメしか扱ったことのない、見る限り素人丸出しのライターだったのだ。

さすがにこのままじゃまずい。
そう思っている時に私の目の前に現れたのが、天狼院書店だった。
池袋の隅っこにある天狼院書店は、自分にとって夢の空間だった。
ライターからカメラマンといった、ありとあらゆるクリエイターが切磋琢磨しながら、己のライティングスキルなどを磨いていっている。

ライターとしても活躍する店主の三浦さんが主催するライティング・ゼミは、全国で話題沸騰し、日本中から三浦さんが伝授するライティングの秘伝のスキルを学ぼうと、池袋に人が押し寄せてくるのだった。

私が通っていた時は、まだ1店舗しかなかった。
しかし、気がついたことには福岡に出店し、京都にも店ができ、池袋は3店舗体制になっていた。

よくもまあ、無一文のところから、ここまで這い上がってきたな。
火の玉のように走り回る三浦さんの周りにはいつも夢を追いかけるクリエイターの卵が集まってきていた。

私もそんな夢を追いかけるクリエイターと一緒に、ライティングを学んでいった。
はじめの頃は、掲載率は低かったが徐々に徐々にだが、web天狼院に掲載される確率も上がっていった。

すごい。
ライティングってこんなに面白かったんだ。
そうこうしているうちにあっという間に半年が経っていた。

大学を卒業して、もう直ぐ1年になる。
その頃にふと、気がついた。
このままフリーランスでやっていくのでいいのか?

年功序列制が崩壊し、自由な働き方が叫ばれている現代において、フリーランスとし活躍する人は大勢いる。

しかし、自分にはどうしてもフリーランスとしてやっていける自信は持てなかった。自分より優秀なクリエイターを数多く見てしまったのだ。
天狼院書店には、全国からライターやカメラマンといった夢を追いかけ、また夢を叶え、その道で食べて行っている人たちが多く集まっていた。
そんな人たちを目の前にしていると嫌でも感づいてしまう。

自分より面白い文章を書ける人は世の中にはたくさんいる。
自分よりもいい写真を撮れるカメラマンはたくさんいる。

自分より優秀なプロのクリエイターたちを目の前にして、私は自信を失ってしまったのだ。

やはり自分には無理なんだ。
そう思い、気がついたら私は社会の波に飲み込まれるかのようにして転職活動を始めていた。

気がついたら、一番なりたくはないと思っていた会社員になっていた。
親は喜んでいた。

「これでやっとプー太郎を卒業したのね」

大学を卒業してから一年間は、自分ではフリーのライターという風に思っていたが、世間的に見たら親のすねをかじっているただのプー太郎だったのだ。

ま、さすがに24歳だし、自分で稼いで、自分の力で生きていかなきゃな。
そう思い、自分の道はこれでよかったんだ! と自分に言い聞かせることにして、私はサラリーマンの世界に入っていくことにしたのだった。

自分で選んだ道だ。
悔いはない。
そう言い聞かせるも、どうしても頭の片隅には捨てられない思いがあった。

自分が本当にやりたいと思っていたことは何だっけ?

サラリーマンをすることだっけ?
書くということだっけ?
映画監督になることだっけ?
カメラマンになることだっけ?

ちょっぴりクリエイティブな職業に付ければそれでいいやと思っていたのかもしれない。
自分は本来、何がやりたいんだろう?
天狼院と出会い、すでに1年以上が過ぎた25歳の頃、私は真剣に考え始めていた。
天狼院には、土日の休みのたびに通い、店主の三浦さんがセレクトしたビジネス書の棚を貪り尽くすように読み漁った。

その時、私は本当に取り憑かれたかのように本を貪り読んでいた。
会社に向かう電車の中でも読んだし、自動車の運転中もオーディオブックをつけながら、本の音読を聞いていた。

天狼院の中にある大半のビジネス書は全て読んでしまった。

「週4時間だけ働く」を読んで働くということについて考えさせられた。
「チーズはどこへ消えた?」を読んで、現状に甘えてはいけないことを学んだ。
「コトラーのマーケティング・マネージメント」は1000ページもあり、片頭痛を抱えながらも2週間かけて読み終えた。

その中でも天狼院店主、三浦さんに直接おすすめされたとある一冊の本だけが異常に脳裏にこびりついてしまった。
それは営業の心得についてまとめられた本だった。

「営業の赤本」

全米トップクラスの営業マンが、営業の心得をまとめた本だった。

自分はその時、営業の仕事をしていたので、その本にちょっと興味を持ったのだろう。
一生営業の仕事なんてしないと思っていた。
営業の仕事なんてサラリーマン全員がやっている仕事だ。
自分じゃなくてもできる仕事……そんなことを思い、営業をなめくさっていた。

しかし、その本の中に書かれてある営業マンとしてのプライドと誇りに、私はとても心を揺さぶられてしまったのだった。

営業の仕事を通じて、人生で一番大切なことを教えられている気がしたのだ。

この本の中には何度もこう書かれてある。

「人は自分がなりたいと思う人になる」

ナイチンゲールのこの言葉に著者の人も心を動かされていたのだろう。
本の中に何度もこの言葉が書かれてあった。

「人は自分がなりたいと思う人になる」

今日はいい日だったなと思う人にとって、その日は幸運な日でしかないのだという。
きっといいことが起こると思い、常に世の中にアンテナを張っている人は、いいチャンスがふとやってくるものなのだ。

それに比べ、世の中はつまらない。仕事が面白くないと思っている人には、世の中に曇ったアンテナを張っているため、せっかくのチャンスを無駄にしてしまうのだ。

「人は自分がなりたいと思う人になる」

ずっとこうなりたいと願い続けて、世の中に対しアンテナを張っていたら、自然と自分の周りにその夢に近づいている人たちが集まってきて、その夢に関連した情報が頭に入ってくるのだ。

私はその本を読んでから、ずっと考えていた。
もしかしたら、「自分はサラリーマンでしか生きていけない」と思っているので、結局その思いが現実となって目の前に現れているだけなのかもしれない。

本気でこうなりたいと願ったら、自然と目の前には壁などないのかもしれない。

自分が本気でなりたいと思うものはなんだろう?

そう考えた時、ふと学生時代に世界中を旅した時に感じたことを思い出した。

世界中の人たちと一緒に映像を撮りたい。
世界中の人々の写真を撮りたい。

東南アジアを放浪した時も、そこで出会った現地のフォトグラファーの人たちは、みんな意気揚々と楽しそうに仕事をしていた。
クリエイティブなお洒落なカフェでくつろぎながら、クリエイター同士、打ち合わせを重ね、楽しそうに仕事をしていたのだ。

私はそんな映像ディレクターやフォトグラファーの人たちの姿を見て、猛烈な憧れを抱いたのだ。

「人は自分がなりたいと思う人になる」

私はその時決心した。
世界中を飛び回るフォトグラファーになろう。
クリエイターになろう。

そう決心したのが、25歳の夏だった。

それから約4年の歳月が過ぎた。
その時私は、仕事の都合でインドにやってきていた。
自分の道を決心してから4年間、いろんな辛い出来事もあった。
食っていけない時期もあった。
だけも、心の中でずっと思い続けていたことがあった。
それは「世界中の人たちと一緒に映像を撮りたい。写真を撮りたい」という思いだった。

「人は自分がなりたいと思う人になる」
あの真っ赤な表紙が印象的な本をいつも私は持ち歩いている。
営業の仕事だけではない。
私に人生の指針を教えてくれた大切な本なのだ。

紹介したい本
「営業の赤本」   日経BP社   著者 ジェフリー・ギトマー

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