プロフェッショナル・ゼミ

これまでは「怒り」を原動力にしていたけども……《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:kiku(プロフェッショナル・ゼミ)

「人生を変える書店」……
そんな書店と出会ったのは、私がフリーター生活をしていた時だった。
フリーターと言っても、ほぼニートみたいなものだ。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、こうも人生は辛いものなのかと、生きていることにも意味を見出せなかった時に、私はこの池袋にある不思議な書店と出会った。

はじめはフェイスブックページか何かで告知文を読んだのかもしれない。
「人生を変えるライティング・ゼミ」
なんだ、このやたらと「人生を変える」と謳っている書店は。

私が天狼院書店と出会った時に感じた第一印象はこんな感じだった。
ま、知り合いも「あの本屋さん面白いよ」
「なんかすごく面白いことやっているから一度行ってみるといいよ」とやたらと太鼓判を押すため、一度池袋の辺境(もはら雑司が谷)にある天狼院書店に足を運ぶことにしたのだった。

初めて行く時は、迷いながらもなんとかたどり着いた。
こんなところに話題沸騰の本屋さんがあるなんて……
私は緊張しながら天狼院のドアをこじ開けた。

それからあっという間に10ヶ月近く経った。
あの時、天狼院のドアを開けなかったら私はどうなっていたのだろうか?
きっと、今もなおフリーターというかほぼニート生活を続けていたのかもしれない。

人生を変える書店は、本当にすごい勢いで多くの人の人生を変えていっていた。

ライティング・ゼミで投稿した記事がきっかけでライターデビューを果たした人。小説家としてデビューする人。プロのカメラマンになる人。
映画監督から小説家やらありとあらゆるクリエイターの人たちが、天狼院が発する特殊な磁場に引き寄せられて、池袋の片隅にある本屋に集まっていたのだ。

そこはまるで夢のような場所だった。

「ここだ! 自分が追い求めていた場所は」
私は直感的にそう思った。

ライティング・ゼミでは大量のバズを引き起こすようなライターが勢ぞろいだった。

なんでこの人が書く文章は惹きつけられるのだろう?
なんでこんなに面白い記事が書けるんだろう?

私はいつもそんなことを感じながら、ライティング・ゼミ生と一緒に、切磋琢磨しながらライティング技術を身につけていったのだと思う。

ライティングを通じて書く楽しさを痛感すると同時に、どうしても思いたくないが感じ初めていたことがあった。

それは自分って才能がないんだな……ということだ。

他の人たちの投稿記事を勉強と思って読んでいたが、どんどんバズを発生するライターさんが増えてくると同時に自分の記事に自信が持てなくなってきてしまったのだ。

なんでこんなに面白い記事が書けるのか?
なんで自分の記事はバズらないのか?

私は一度、渾身の熱意を込めて書いた記事も結果はメディアグランプリ4位である。

毎週のように3位以内に入る人たちには遠く及ばない。

なんで自分が書いた記事はバズらないのか?
どうして他の人が書いた記事はこんなにも面白いのか?

そう思い悩みながらも、社会に対する後ろめたさを晴らす意味もあったかもしれない。私はとにかく書き続けた。

「書き続けてください! 書いて、書いて、書きまくっているうちに見えてくるものがあります。大切なことは書くことです」

とにかく量が大切だと言う店主の三浦さんは、若い時には1日1万6千字(原稿用紙40枚)を書いていたという。

とんでもない量だろ……と私は正直思ってしまった。
私など、せいぜい1日5千字が限界だった。

「とにかく書いてください。書いて、書いて、書きまくってください」
私は三浦さんの言葉を信じて書きまくった。

なんとか毎日1万字を書くという目標を作り、来る日も来る日も書くことにした。

恥ずかしながらも自分でブログを立ち上げて、毎日、社会に対する不信感を晴らすべく書きまくっていたと思う。

書いて、書いて、書いていけば何かが見えてくる。
そう三浦さんの言葉を信じながらも、書いていくうちに、どんどん書くことが楽しくなってきた。

自分の頭の中にあるモヤモヤを書いて形にすること……
自分が書いた記事を読んで、人が感想をくれる。
そのことがたまらなく快感だった。

書くことが面白くてたまらなくなった。

もっと書きたい。
もっともっと書きたい。

もっと多くの人に自分が書いた文章を読んでもらいたい。
そんなことを思い描くようになったのだ。

書くのが辛くなったのは突然来た。
本気でプロのライターになりたい人が多く集まるプロフェッショナル・ゼミに通っている時だった。
もちろん、プロ向けのゼミなので、普通のライティング・ゼミ以上に大変なのはわかっていた。

それでも私は、もっとライティング技術を伸ばしたい。
もっと多くの人に自分が書いた文章を読んでもらいたいと思い、受講することを決意したのだ。

書くことを学ぶと決意したにもかかわらず、書けなくなった。

それは突然のことだった。
天狼院と出会ってかれこれ8ヶ月以上、ほぼ毎日何らかの記事を書いていたにもかかわらず、突然書けなくなってしまったのだ。

書くことが楽しくてたまらない。
そんなことをつい1ヶ月前に語っていた自分が突然書けなくなってしまった。

原因は自分でも薄々とわかっていた。
さすがにフリーターというほぼニート状態ではまずいだろうと思い、社会人としてもう一度働き始めた頃のことだった。

毎日の忙しさを言い訳にして書けなくなったという訳ではなかった。

書くという理由が自分の中でなくなってしまったのだ。
自分が文章を書く意味がわからなくなってしまったのだ。

なんで自分はこれまでずっと書いてきたんだろう?

社会に対するウンプンを晴らすためか?

思いの外、自分が転職した今の会社の仕事に熱中しているうちに、自分が書く意味がわからなくなったのだ。

仕事は辛いもの。社会は醜いもの……
とこれまでの私は勝手に思っていた。
その残酷で後ろめたい社会に対する怒りを晴らすべく、書きまくっていた節があったのだと思う。

社会に対する怒りが書く上でのエネルギーになっていたのだ。

しかし、時が経ち、いつしか転職活動をして、再び働き始めると……
案外、働くということが面白いということに気がついたのだ。

今、働いている会社は思いの外、仕事内容が自分に合っていたのか楽しい。
仕事が辛いとは、今のところ感じたことがあまりない。

正直、仕事ってこんなにも面白いのかと思い、毎日、朝早くから出社し、夜遅くまで仕事に没頭している。
夜遅くまで残ってもあまり苦痛だとは感じたことはない。

もっと働きたい。
大学を卒業して、いろいろ紆余曲折をした分、私はストレートに卒業した人たちよりも一年近くブランクがある。

そんな同級生たちに遅れをとらないためにも今は仕事に集中しなきゃと思い、楽しみながら仕事に没頭していたのだ。

すると不思議なことが起こった。

書けなくなったのだ。
書く意味が持てなくなったのだ。

仕事に没頭している分、社会に対する怒りが薄れてしまったせいか、それをエネルギーにして書いていた分、書けなくなってしまったのだ。

まるでガソリンが空になってしまった車のように私は一文字も書けなくなってしまった。

土曜日の記事提出が来るたびにパソコンに向かうも、ワードの白紙の文字を見ては、イライラが募っていた。

何を書けばいいんだ。
白紙の紙を目の前にして、途方に暮れている自分がいた。

自分は今まで社会に対する怒りをバネにして書いていた。
いつも世の中の残酷で醜いものだとばかり思っていた。

だけど、今は仕事が楽しくて仕方ない。仕事に熱中して、社会の歯車となって働いているのだから、自分は成長したということだ。

だから、書けなくなったということは、世の中に不満ばかり言う若造から卒業して、自分の力で食っていける立派な大人になったということ。

だから書けなくなったっていいや。
そう自分の中で納得してしまい、ゼミの記事提出も怠るようになっていた。

これまで8ヶ月間、毎週欠かさず3つほど天狼院に記事を書いてきた。
毎週書かないと落ちつかなくなってきている。

そんな私がある一回、記事の提出を怠っただけで、もう書けなくなってしまったのだ。

「最近、大変なんですか?」
毎週のように狂ったように書きまくっていた私の突然の変化を見て、ゼミ生でご一緒させていただいている人の中に、こんな声をかけてくれる人もいた。

「仕事が忙しくて……」
そんなことを言って私はごまかしていたと思う。

本気で小説家を目指しているその人に向かって、
「社会に対する怒りが消えて、書けなくなってしまった」とは言えなかった。

自分が書く意味がなくなったとは言えなかった。

自分が書く意味はもうなくなった。
だから今は仕事だけに熱中すればいい。
そんな言い訳を自分の中で都合よく考えて、書くことから逃げてしまったのだ。

そんな時だった。
カメラと出会ったのは。

もともとカメラには興味は持っていた。
学生時代には、私は腐るほど映画を見ていた時期があったので、何となくカメラには昔から興味を持っていた。

いつか自分用のカメラを手に入れたい。
カメラを持てば人生が変わるんじゃないか?
そんなことを思っていた。

「カメラを持てば、物事の見方が変わってきますよ。世界が鮮やかに見えます」
そう子供のようなあどけない目でカメラについて語るのは、店主の三浦さんだった。
いろんな肩書きを持つ三浦さんだが、先日プロのカメラマンとしてもデビューすることになったという。

「カメラを持てば、物事の見方が変わります」
そんな言葉に影響されてか、私もカメラを購入し、早速、天狼院が主催するフォト部に参加することにした。

フォト部にはプロのカメラマンとして活躍する茜先生がいた。
穏やかな表情で世界を見つめる先生の人柄に惚れてか、茜先生の周りにはいつも大勢の人で溢れかえっていた。

こんな風に世界を見つめられる人になりたい。
そんなことを茜先生の写真を見るうちに私は感じるようになっていた。

「構図なんてどうでもいい! その時、何を感じたのか? それを私は写真を通じて人に伝えたい」
そう茜先生は口癖のように言っていた。

構図なんてどうでもいい……
私はプロのカメラマンとしての腕も自負もある茜先生に圧倒されるとともに、自分はどんなものを撮りたいのか必死に考えるようになってきていた。

何で自分はカメラを始めたんだっけ?
文章を書き始めたんだっけ?
そんなことを考え始めた。

カメラを始めて一ヶ月が経った頃、私はふと自分の中にある変化に気がつき始めていた。

いつも何気なく通っていた道がとても愛おしく思えるのだ。
夕焼けに彩られた駅のホームを見ると無性にカメラのファインダー越しに覗きたくなるのだ。

そして、世の中の悲痛な叫びにもきちんと向き合っている自分がいた。
人身事故などが起きても、他の多くの人のように無関心を装うことができなくなった。

ファインダー越しにしっかりと世界を見て、世の中の実態を見つめるようになったのだ。

多くの人が目を背けている世の中の汚い部分にも焦点を当て、カメラを通じてきちんと見つめたくなった。

私はこれまで書いてきた理由。
社会の怒りを原動力にしてきた部分をあっただろう。
だけど、一番根本的にあったのは、自分と同じように社会のレールからそびれ、社会の中で生きづらさを抱えている人たちに少しでも救いになるような文章を書きたいと思ったのが始まりだった。

いい記事を書かなきゃと思ってばかりいて、自分が何のために書いて、どんな時に書いた喜びを感じていたのか忘れてしまっていた。

本当に自分が書いていて楽しいと思えたのは、メディアグランプリで上位になることでもなく、自分と同じように社会に生きづらさを感じている人から、「あなたの記事とてもよかったです!」とコメントをもらえた時だったのだ。

自分は社会の弱者、人から目も向けられないような日陰にいる人たちに向けて文章を書いていきたいと思っていた。

ファインダー越しに世界を見つめているうちに忘れていたその感情を思い出している自分がいた。

ありふれた日常を切り取るカメラ。
そんなカメラから私は、書くことも学んでいたのかもしれない。

「大切なことは構図ではなく、何を感じたかです」

社会の隅っこにいて、目も向けられないような人たちに、何か感じるものがあれば……

そう思い、今日も私はライティングに励んでいる。

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