メディアグランプリ

「開」ボタン、押すのではなく、横にスライドするやつだった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中村美奈子(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
すてきなカップルがいる。
ハヅキさんは70代前半。旦那さまA氏は70代後半。
二人でイラストを描いている。
その絵に惹かれて、私は仕事場を訪ねた。ひとり中央特快に乗り、そこからいくつか乗り継いだ。
友人と作ろうとした雑誌に、挿絵を描いてもらいたいと思ったのだ。
数日間、仕事場を手伝うことになった。
 
かつて観光地として栄えた地域も今はさびれ、広場のソフトクリームの看板は色褪せて、一日じゅうシャッターの閉まっている店が連なる。
三十年前に手に入れたという二人の家は、坂の上に小ぢんまりと建ち、木の匂いがした。
 
A氏は東京で、印刷会社の顧問をしているという。最初に私が訪れた夜、玄関で入れ違いになり、柔らかな笑顔を向けてくれた。そして挨拶もそこそこに、車のエンジン音とともに消えていった。
それきり、私の滞在中、帰ってこなかった。
つまり、私は、A氏とハヅキさんが一緒にいるところを見たことは一度もなかった。
 
それなのに、彼ら“二人組”に憧れた。
ひとえに、その絵と、家を包む野草のような香りが私にとって居心地がよかったからだ。
 
その夜、ハヅキさんは、大いに散らかった部屋で、ひたすら絵を描いていた。
夫婦はユニットを組んでいるというが、A氏だけの個人名で活動していた。
画風はすべて同じなので、ほとんどハヅキさんが描いているのだとすぐにわかった。
 
ハヅキさんは「Aには才能があるから」と独り言のように何度となく呟いた。
「これ全部、ハヅキさんが描いているじゃないですか」
そう言っても、
「Aの作品なのよ、これ」
と返す。
支配下に置かれているわけでも、卑屈になっているわけでもないと、ハヅキさんの伸び伸びした筆さばきから伝わってくる。
 
なんだか清々しかった。
 
二人は時事ネタを取り扱っていたので、私は、新聞の全国紙から専門誌まで記事を読み、
希望のテーマにかかわる記事をピックアップしてまとめる作業をして過ごした。
 
「Aさん、お仕事忙しいんですね。会社のほうの」
雇われ社長を経て、今はホワイトな経営を目指して張り切っているという。
 
「今は夏休みなのよ」
ハヅキさんは顔を上げずに言った。
「えっ、一人でどこかへ行ってるんですか?」
私が訊くと、
「孫に会いにいっているの」
という。
「あぁ、そういうこと」
なにが“そういうこと”なのかわからないが、口をついて出た。
 
おばあちゃんは孫に会いにいかず、黙々と仕事している?
それとも、その子はA氏だけの孫で、ハヅキさんの孫ではないのか。
 
鼻歌を歌いながらペンを走らせるハヅキさん。
さみしくはないんだよね? 私は横顔を盗み見る。
人物の頬に赤みがさし、表情がイキイキと彩られる。
 
「この作品、ハヅキさんの名前で出しちゃいたいです」
思わずそう言っていた。
「そしたら使ってもらえないよ」
ハヅキさんは可笑しそうに言う。
「Aの名前だから、採用してもらっているんだから」
 
一瞬、彼女の笑顔ではなくなった。
お願い、気持ちが鉛みたいに重くなるのがいやだ。
軽やかな理想の老夫婦アーティストでいてほしい。
勝手な思いがこみ上げて、私は部屋を出た。
 
庭では秋が始まる音がしていた。
誰かが我慢をしているという状態が、ひどく辛い。
ハヅキさんの軽やかなペン運びを見れば、思い過ごしにちがいないのに。
 
「Aはいつも機嫌がわるかったの。気分の浮き沈みが激しくて。激務で。絵が描きたいのに描けないことに苛立っていた」
部屋に戻ると、ハヅキさんは二人分のお茶を淹れてくれていた。
 
「いま自由に描けるのなら、思いきり描けばいいのに」
ハヅキさん、笑っていないで、いっそ思い切りA氏の愚痴を言ってくれればいいのに。その思いだった。
ボタンをえいやっと押しさえすれば、取り繕うことなく、知り合って間もない私などにぶちまけてしまえるはずだ。
憧れた女性の、感情の「開」ボタンを探る心持だった。
でも、そうはさせなかった。
 
「なんかね、自分は自由に生きてはいけない、って思い込んでるのよ。経営が向いていないのに背負っちゃって、描きたい気持ちを押し込めすぎて、固まっちゃったの。それを解きほぐしていくのが、私の役目だと思ってる」
ちゃんと正面から見るハヅキさんは、とても美しい女性だった。
「もう何十年分のカタマリだからね」
からからと笑う。
 
「仕事を……せめて役職を辞めること、きいたことはないんですか?」
私は尋ねる。苛酷すぎて気力が尽きることはあるだろう。
「奥さんが、許さないんですって」
 
そうか。
A氏は、奥さんではないハヅキさんの前でだけ、アーティストでいられるんだ。
「ねぇ、あなた最初、この絵が気に入って私たちに連絡したって言っていたでしょう」
彼女が差し出したポストカードには、女性の抽象画が描かれている。
私が都内の書店で見つけたものと同じだ。うなずくと、
「これ、Aが描いたのよ。30代の最後に。私には描けないの」
 
穏やかで開放的なようで、静かな緊張のなか、成り立っている関係。
そこで生まれるイラストが、世の中をすこし、幸せにしている。
 
Aさんは、守るべきと思い込んでいるものがたくさんあって、
“絵を描く自分”でもありつづけたい。
そしてハヅキさんは、A氏がいてこそ、自分でいられる。
 
だから、ハヅキさんと私を隔てている壁を取り去る「開」ボタンを押して、楽になってほしいと考えることが、安易なことのように思えた。
 
迷ったとき、私はいつもボタンを押した。目をつぶってでも。気持ちを伝えることだけでなく、直感に任せて動く。「やらずに後悔」がいやだからだ。
でも、このときだけは、ハヅキさんのものすごく満ちたりた顔を、歪ませたくないと思った。
「開」ボタンを押せなかった。
他愛のない会話をし、しばらくしてその家をあとにした。
 
なんで私を呼び入れたのだろう。
早く話を聞いてほしかったんじゃないか。
当たり障りのないことでやり過ごすなんて、誰もうれしくない。
 
あれからしばらく、そう思っていた。
 
ハヅキさんから、依頼していた作品が届いた。
あの日と少しだけ異なる画風だった。でも大きく印象が変わる絵だった。
ハヅキさんは全く自由なのだ、と思った。
あんなに溌剌とした笑顔だったじゃない。
 
人間の辛さって、何かに当てはめようとするところからすべて始まっているわけだから、
おかしいと思われることを肯定しているハヅキさんに、私がものすごく救われたのだ。
 
そうだ、彼女の喉につまりかかっていたものを吐き出してもらいたかったわけではない。
「ハヅキさん、本当に幸せですね」って言いたかったのに。
言いたかったのは私自身だ。
枠の中で、自分で自分をしばりつけて身悶えていたのは、私のほうだ。
「開」ボタンを押して、扉をおさえてこっちを見ていたのは、彼女のほうだ。
 
角度を変えて、扉を開いてみる。
ほんのささやかな隙間から、勢いよく風が吹き込んできた。
 
 
***

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2017-09-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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