人生はそんな簡単に変わってくれない、でも
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:及川智恵(ライティング・ゼミ平日コース)
文章は得意だという自負があった。
私は10年以上にわたって、フリーランスで翻訳の仕事をしてきた。
翻訳という仕事では、外国語力と同じぐらい、日本語を読み書きする能力が必要とされる。
外国語を日本語に訳すという過程の中には、日本語を書く作業も含まれているからだ。それも、すんなり理解できる読みやすい日本語を。
だから、文章を書くということに関して、私はかなり訓練されているつもりだった。
自分のブログも、10年ほど前から始めていた。
最初の頃は匿名で、しばらくしてからは実名で、文章を書き溜めていた。数年前からは、ブログ経由で仕事も取るようになった。
「文章がわかりやすい」と言われることが増え、文章の書き方を相談されることも増えた。少なくとも自分の周辺の狭い範囲では、それなりに評価されているという実感があった。
それでもわざわざライティング・ゼミの受講を決めたのは、絶対的に足りないものがあると感じていたからだ。
もっと読まれたい。とにかく数が欲しい。
いつか本が出せたらいいな、という気持ちが心の奥にずっとあった。ただ、出版している知人たちに話を聞くと、「出版不況」といわれる時代のせいもあってか、返ってくるのは「数が見込めないと厳しいよ」というアドバイスだった。
何とかしたい。
ライティング・ゼミでは、受講生が書いた記事が次々にバズを起こすのだという。これだ、と思った。何が足りないのか、どんなコツがあるのか、学んでみようと思った。
そして、4ヵ月の講座が始まった。
なぜ気づかなかったのだろうか。数が取れないということは、つまり文章もその程度なのだ、という単純な事実に。冷静に考えればすぐにわかりそうなものなのに。
言葉を紡ぐことは、私にとってほぼ唯一の自信だった。しかし、講座が始まり、毎週課題を提出するうちに、その自信はあっさりと砕かれていった。
自分が良いと思って書いたものが評価されない。どうすれば評価されるのか、どんな文章を書けば読まれるのか、私はすっかりわけがわからなくなってしまった。
一生懸命建てたマイホームが災害に遭って、一夜にして壊されたような気持ちになった。大げさな例えかもしれないが、何らかの形で文章にしがみついて生きるしかないと思っていた私は、相当落ち込んだ。
とはいえ、足りないものを求めて受講しているのだ。
自分なりに必死で書こう、課題だけは毎週出し続けよう、と心に決めた。バズるほどに読まれる文章って何だろう、とひたすら考え続けた。
そんな中でふと、中学生の頃のある出来事を思い出した。
実は、自分の書いた作文で、クラスメイトを感動させて泣かせたことがある。あそこまで誰かの心に響く文章が書けたのは、後にも先にもあのときだけだ。
あのときはたしか、誰にも言えなかった悩みや感情を、思い切り文章にぶつけたのだった。できれば誰にも読まれたくない、と思いながら。結果的に、先生に気に入られて、クラス全員の前で読み上げられてしまったのだけど。
感情をまっすぐに出すこと。
これかもしれない、と思った。
好きなものを好きだと書く。面白いものを面白いと書く。無理やり面白くしようと力を入れてこねくり回すよりも、自分の感情をそのまま言葉に乗せて、勢いよく文章に仕上げる。
あの作文、私はまさにそれをやっていた。あのとき、提出日の直前まで何も書くことが思いつかなくて、やけくそで書き上げたときの感情、強烈すぎて今でも思い出せるのだ。
読まれる文章を書くことって、子供のような自分に戻ることなのかもしれない。素直な感性を持って生きていた頃の自分。好きとか面白いとか楽しいとか、素直な感情を自分のそばにいつも置いていた自分。
大人になると、冷静でいなければならない場面も増える。感情を押し殺して生きる機会が増えてしまう。そうこうしているうちに、感動を忘れていく。私自身がそんな状態にいたことに気づいた。
それ、やめよう。
ライティング・ゼミを受講したことで私が得たものは、さまざまなノウハウだけではない。自分の中の鎧や壁のようなものを、今まで以上に徹底的に破壊することも体得したと思っている。
ありのままの自分で、ありのままを感じ取り、ありのままを文章にする。これができるようになると、ライティング・ゼミのノウハウが一段と活かせるような気がしている。生傷をさらしているようなヒリヒリした気持ちになることもあったが、それでも敢えて書き続けたら、パズルのピースがはまるような感覚を少しずつ得られるようになってきた。まだまだ完璧とは言えないが。
こんなこと、ライティング・ゼミに通わなければ絶対にやろうとしなかっただろう。
4ヵ月の講座は終了した。打ち砕かれた自信のかけらをちびちびと拾い集めながら、私は何とか最後までたどり着いた。
ライティング・ゼミには「人生を変えるライティング教室」という枕詞が付いている。でも、少なくとも本日現在、私の人生が大きく変わった気配はない。
そんなに簡単に人生が変わってくれるなら苦労しないでしょ、と思ってしまう私は、まだまだ天邪鬼なのか、それともまだまだ文章を書き足りないのか。
でも、「人生を取り戻すライティング教室」となら、自信を持って言える。
ライティング・ゼミは、私を私に戻してくれた。自分の人生を生きようという覚悟をくれた。今まで自分の中だけにしまっていたようなことも思い切って書いてしまったし、それでいいのだ、自分は自分なのだ、と思わせてくれた。
将来、本が1冊でも出せたら、「人生を変えるライティング教室」だって改めて言い直したい。もっと小さなことでも良いのだろうけど、受講した先輩方を見ていると、きちんと取り組み続ければ、どうやらそのぐらいの規模で人生が変わる講座のようだし。
そもそも、本を出したいという夢だって、ここまで公にしたことはなかったのだ。私は確実に、ライティング・ゼミに動かされたのだ。
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