メディアグランプリ

視力2.0でも僕が眼鏡をかけ続ける理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:上田光俊(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
「伊達です」
名前ではありません。
 
「視力どれくらいですか?」
「両目とも2.0です」
「え?」
「これ、伊達です」
僕がかけている眼鏡のことです。
 
僕は人に自慢できるようなことなんて皆無に等しいのですが、これだけは自信をもって言えるということが一つだけあります。
それは視力の良さです。
僕は小さい頃から、視力だけは常に良かったのです。
小学生の頃は1.0~1.2程度だったのですが、中学生の頃になると常に1.5~2.0をキープし続け、40歳になった今もなお継続中です。
それは、視力検査でCマークの切れ目がどちらを向いているのかということの傾向と対策を徹底的に分析し、たとえ見えていなくともその向きを当てることができるという技術の精度を確実にあげてきたからではありません。
その理由は単純明細。
本当に視力が良かったからなのです。
よく、テレビゲームのやり過ぎだとか、常時パソコンを使う仕事に就いていたりだとか、本の読み過ぎだとかで、眼球を酷使することが多いと視力が落ちるという話しはよく聞くことではあると思うのですが、それらは原因の一つというだけであって、そうしていたからといって、必ずしも視力が落ちるとは限りません。
何故なら、僕は小学生の頃に、毎日テレビゲームをやり過ぎと言えるくらいにしていましたし、今はパソコンに向かって仕事をすることが多いです。
特に最近は本もよく読みます。
しかし、全く視力が落ちません。
それどころか、小学生の頃からと比べると、むしろ視力が良くなっていると言ってもいいくらいです。
僕にとっては眼鏡もコンタクトも実は全く必要ではないのです。
それでは、何故僕はそれでも眼鏡をかけ続けているのか?
その理由も実は単純明快です。
 
僕は顔面コンプレックスだったからなのです。
今はそれほど気にはならなくなりましたが、僕の顔は実に薄いのです。
それもかなり。
僕の顔面はほとんど何の凹凸もないほどに平坦なのです。
顔のどのパーツも存在感が薄く、何も主張することなくそこに佇んでいるだけであり、それはまるで滑りやすさ抜群のスケートリンクであるかのような凹凸のなさなのです。
僕はその顔面の凹凸のなさに小さい頃から悩んできました。
顔に特徴がないということが僕にとってはかなりのコンプレックスだったのです。
僕の不幸は僕の顔の薄さに正比例するのではないかと本気で思っていたほどでした。
まず、小さい頃からクラスの中心グループに入ることは一度もできませんでした。
好きな女の子には名前を覚えてもらえませんでした。
先生にも忘れられたことがあります。
名前だけではありません。
存在すら忘れられてしまい、修学旅行に行った時に、僕がまだその場に集まって整列していないにもかかわらず集合写真を撮られてしまったということもありました。
社会人になって、営業の仕事をしていた時も、名前を覚えてもらうことができずに「顔の薄い人」という認識のされ方でしたし、妻からは「私、本当は顔の濃い人がタイプなんだよね」と結婚10年を迎えた今でも言われてしまう始末です。
小さい頃は、大人になったら成長と共におのずと顔も今より少しは凹凸の差が大きくなっていくのだろうと、何の疑いもなく信じていたものですが、それは一切実現することはありませんでした。
大人になった今でも顔は薄いです。
かなり薄いです。
穏やかな春の海のように凪いでいます。
僕の視力が落ちなかったのと同様、僕の顔の薄さは一向に衰えることを知らず、その薄さはさらに研ぎ澄まされていきました。
僕はそれはそれで仕方のないことだと諦めつつも、心のどこかで、なんとかできないものかと思ってきました。
一矢報いたかったのです。
髪型を色々と変えたり、ファッションのことを勉強したりもしてきました。
それでも、なかなか僕の顔が薄いというコンプレックスを払拭することはできませんでした。
しかし、様々な試行錯誤をした結果、とうとう僕は眼鏡をかけると良いらしいぞということを発見したのです。
それは、視力の悪い友人がかけていた眼鏡がどれくらい度が入っているのかを確かめてみようとした時のことでした。
眼鏡をかけてみた僕に、その友人はこう言ったのです。 
「あ、意外と眼鏡似合うね」
 
それからです、常日頃から僕が眼鏡をかけるようになったのは。
僕は眼鏡をかけるということで、ついに僕の顔面に変化を及ぼすことができるようになったのです。
つまり、僕にとって眼鏡とは視力の悪さを補うものではなく、顔の薄さを補うものとなったのです。
僕は眼鏡をかけました。
かけ続けました。
すると、いつしか眼鏡は僕のトレードマークのような存在となり、得意先に営業に行っても「顔の薄い人」ではなく、「眼鏡の上田さん」と、名前と存在を認識してもらえるようになったのです。
眼鏡をかけるということが僕に及ぼした影響はそれだけに留まりませんでした。
ある時、僕は気付いたのです。
「眼鏡の上田さん」ではなく、「上田さん」と呼ばれていることに。
そして、その時には僕はすでに自分の顔の薄さに対してあまりコンプレックスを感じなくなっていたのです。
驚きました。
とても驚きました。
僕は自分の顔の薄さを、眼鏡をかけ続けることで知らず知らずのうちに受け入れることができるようになっていたのです。
あんなにコンプレックスに感じていたのに。
かつては自分の顔が薄いということを隠すために眼鏡をかけ始めたはずでした。
それが、今となっては自分の顔の薄さが僕の特徴であり、僕らしさだと言えるようにまでなったのです。
僕は顔が薄いです。
僕は自分の顔が薄くて本当に良かったと思っています。
僕は、自分の顔が薄いおかげで眼鏡をかけるようになりました。
眼鏡のおかげで、僕はコンプレックスに感じていた自分の顔の薄さこそが、実は自分らしさなのだと気付くことができたのです。
もしかしたら、人がコンプレックスに感じていることは、最もその人らしい部分なのかもしれません。
 
そして、僕を見かけた時には、僕のことを「眼鏡の上田さん」と呼んで下さい。
「伊達」ではありますけど。
名前ではありませんので。
 
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2017-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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