そんなの聞いてない!!《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:bifumi(プロフェッショナル・ゼミ)
※この話はフィクションです
「おめでとうございます! 元気な男の子ですよー」
「あぁ、ありがとうございます」
とても疲れたけれど、出産直後の昂揚感でいっぱいだった。
胸元に連れてこられた赤ちゃんは、赤いサルのようで、可愛いとはとても思えなかったけれど、元気な泣き声や、一生懸命小さな手を握りしめる姿をみていると、目から自然に涙が溢れてきた。
私、自分の子供をついに産んだんだ!
だけど、
あれ。
今、私出産したよね?
なのにどうしてこんなにお腹が痛いの?
それに寒い!
寒すぎる!!
遠のく意識の中、周りが急に慌ただしくなった事は、わかった。
看護師たちが入れ替わり立ち代わり、分娩室に入ってくる。
「もう、うちでは無理だから、救急車の手配をしてくれ」
分娩台の足元の方から、医師の震える声が聞こえてきた。
真っ白な顔をした主人が分娩室に入ってくる。
「血が止まらないから、これから救急病院に搬送されることになった。
俺も一緒について行くから、絶対に大丈夫だから」
へ? 誰か搬送されるの?
まさか赤ちゃん?
やだっ!
私から赤ちゃんを取り上げないで!
ねぇっ、
お願いだから!
誰も赤ちゃんを連れて行かないでーっ!
大声で叫ぼうとしても、痛みと疲れで、かすかにしか声がでない。
救急車に乗せられ、私は救急病院に搬送された。
処置中、あまりの痛みにギャーー! と何度か絶叫し、
そのたびに、看護師たちに両手足を押さえこまれた。
あんなに怖かったのは、初めてだ。
出産したのにどうしてこんなに痛い思いをしないといけないのか。
こんなことがいつまで続くのか。
分からないことだらけで、心がバラバラに千切れそうだった。
11月9日11時、私は息子の優斗を出産した。
子供が産まれるまでは、特に問題はなかった。
けれど出産直後から、出血が止まらず、止血剤を用意していなかった個人病院では対応できなくなり、救急病院に搬送された。
医師から、出血量が多すぎて、輸血なしでは助けられないと言われ、主人と母が渋々輸血の同意書にサインをした。
どれくらいたっただろう。
目をあけると、靄がかかったようにぼんやりと、白い天井がみえた。
辺りを見渡すと、いろんな管が私の体に繋がれている。
自分が今どこにいるのかも、わからない。
もう、何日も何日もたったような気がする。
それに、身体中が痛い。
産後の傷なのか、会陰切開の傷なのか、体の中から痛むのか、痛い場所が多すぎて、どこに対して「いててて」と声をあげてよいのかがわからない。
出産後までこんなに痛みが続くなんて、誰も教えてくれなかった。
ほんとなら、産後は個人病院の個室で、フランス料理のフルコースを食べていたはずなのに。
入院前にお祝い膳の選択で、肉料理に○をつけたのに・・・・・・
なのに、何なのこの今の状況!
それに赤ちゃんはどこ?
私の赤ちゃんは?
出産直後に息子を一目みただけで、見回しても、ベッドの傍にはいない。
どろどろした嫌な予感が、心に渦巻く。
絶対、息子に何かあったんだ。
精神的ショックを和らげるため、私は息子とは別の病院に搬送されたに違いない。
息子の状態を早く知りたい。
「あの子に 会わせてっ!
誰かお願い、早くーーっ!!」
私はベッドの上で泣きながら叫んだ。
「陽子、陽子、
赤ちゃんは元気だよ。
出血が止まらなくて、容態が急変したのは陽子の方なんだ。
赤ちゃんは、まだ産まれた病院にいる。
後で陽子のお母さんと僕が迎えにいってくる。
もうすぐ会えるから、だから落ち着いて」
私の肩を抱き、なだめるように夫が言う。
はあああぁぁぁ
よかったぁ
赤ちゃん無事なんだ。
それでもまだ、心から信用していなかった。
こういう場面を何度もテレビでみてきた。
出産後の母体が回復するまで、何か問題があった場合、子供の容態を母親には知らせない。
よくある、病院側の配慮だ。
私を落ち着かせるために、夫が嘘をついているのかも知れない。
この目で赤ちゃんを見るまでは、私は何も信じない。
どんな状態でもいい。
早く私の赤ちゃんに会わせて!!
薬のおかげか、しばらく深い眠りについていたようだった。
気づくと耳元で、ふぎゃーふぎゃーと、
赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
「陽子、赤ちゃん連れてきたよ」
見ると、母がバスタオルにくるまれた小さな小さな息子を抱いていた。
「見せて、顔しっかりみせて」
私は母の手元を急いで覗き込んだ。
相変わらず、赤くてサルみたいだったけれど、
顔をくしゃくしゃにして泣く息子の姿に、心から安心した。
管がぬけないように注意して起き上がると、看護師さんが息子を胸元に連れてきてくれた。
「おっぱいあげてみましょうか。
ちょっと、失礼」
彼女は私の胸元をあけ、乳首をキュッとつまんだ。
ピューッと弧を描く様に母乳が勢いよく飛びでた。
「キャー! すごくでますね」
このまま、赤ちゃんに初乳を飲ませましょう。
昨日は白湯しか飲んでいないだろうから、きっとお腹空かせてますよ」
怖々、息子を胸の近くに連れていき、乳首を口に含ませると、吸い付くようにうっくんうっくんと、おっぱいを飲み始めた。
ああ、今私の体から湧き出るモノを、この子は何の疑いもなく飲んでいる。
体の奥のほうからじわじわと、母になったという実感がわいてきた。
しっかりしなきゃ。
私がちゃんと育てなきゃ。
母乳を飲ませながら、私は息子の小さい手や、足、顔をさわって、どこか普通とは違う所がないか注意深く観察した。
ああ、大丈夫だった。
ぽろぽろと、涙がとめどなく零れ落ちる。
体調が急変したのは、息子ではなく私の方だった事を、
この時やっと、理解した。
私は元々貧血がひどく、出血でさらに血が減っている。
薬を飲んでも、貧血の値はなかなか改善されない。
母乳は血液からできているので、息子におっぱいを飲ませる度に、私は貧血をおこし、頭が割れそうに痛くなった。
でも、母乳は溢れるほどでていて、体の中で絶えず生産もされている。
赤ちゃんに飲ませないと、乳腺が詰まり、炎症を起こしてしまう。
頭が痛かろうがなんだろうが、とにかくおっぱいを飲ませるしかなかった。
授乳時間になると、授乳室に来るようにと、病室に呼び出しがかかる。
3時間置きにこれが繰り返される。
まともに眠れないし、体も休めない。
ちょっとでも時間がある時に眠ろうとするけれど、
今度は疲れすぎて、眠れない。
こんな日々を過ごしていると、次第に
意識が朦朧としてきて、自分が今何をしているのかすらわからなくなってくる。
毎日、授乳に慣れるために必死だった、
私は母乳が出る方だったけれど、母乳が出ないママさん達は授乳室で下を向いて泣いていた。
助産師さんからおっぱいマッサージが施されると、痛みで感情がマイナスに振り切れそうになると、同室のママさんが暗い顔でため息をついていた。
未だに母乳育児が称賛されている。
母乳はでているか?
赤ちゃんに十分足りているか。
体重は増えたか。
ミルクなんて飲ませたら愛情が伝わらなくなる! という、根も葉もないおっぱい教信者の姑達に、これまでどれだけのママが苦しめられてきただろう。
産むだけでも命がけなのに。
その上どうして、古い価値観という礫を投げつけられないといけないのだろう。
この病棟は、それでなくても救急で搬送されてきた人ばかり。
野戦病院のような、殺伐とした雰囲気が、圧倒的に漂う場所。
姑達がふりかざす、出産は病気じゃない! とにかく母乳が一番! という発言に私も同室のママさん達も疲弊しきっていた。
新米ママとして、日々私達は授乳と闘った。
やっとおっぱいを飲ませるタイミングに慣れてきたころ、今度は沐浴指導が始まった。
これがまた、怖い。
壊れそうなくらい小さくて、ふにゃふにゃした柔らかい生き物を、本当に自分でお風呂に入れられるようになるのだろうか。
うっかり手が滑って溺れさせてしまったらどうしよう。
緊張と不安でさらに頭痛が激しくなった。
慣れない手つきで赤ちゃんを支えるので、肩もガチガチに凝った。
オムツさえまだまともに替えられないのに、その上お風呂に入れるなんて、難易度が高すぎる。
でも、家に帰ったらこれを夫と2人でやらないといけない。
夫が仕事で遅くなる日は、一人だ。
誰にも頼れない。
退院の日にちも迫っている、もうとにかく練習して慣れるしかなかった。
みんな頑張ってるんだから。
私だけ子育てできません、自信がありませんと泣きだすことも、投げ出すこともできない。
昼間一人で育児することを考えると、
不安と恐怖で押しつぶされそうだった。
怖かろうがなんだろうが、退院の日は嫌でもやってきた。
ついに、自宅での赤ちゃんとの生活が始まった。
1カ月間は、母が手伝いにきてくれたので、細切れの睡眠時間をなんとか確保できた。
だけどその後は、気絶しそうなほど慌ただしい日々が待っていた。
3時間置きの授乳、オムツ替え、洗濯、おかず作り、睡眠不足、頭痛との闘い。
ちょっとでも横になると、深い眠りに落ちそうで怖かった。
私が寝ている間に、この子にもしものことがあったらどうしよう。
頭のぺこぺこしている部分に何かが突き刺さりでもしたらどうしよう。
今、地震があって、この子が本棚の下でぺちゃんこになってしまったらどうしよう。
やけにリアルでグロテスクな妄想ばかりが、頭をよぎる。
日中、1人で赤ちゃんの世話をしていると、人と喋る機会が激減する。
夕方、ああ、今日も誰とも会話ができなかったと落ち込み、また息子の世話に戻る。
毎日、毎日、この繰り返し。
今日一日の赤ちゃんとの生活を、夫に話そうとしても、
「疲れてるんだ、休みの日にゆっくり聞くよ」と逃げられる。
孤独だった。
オムツ替えで、手もガサガサに荒れた。
久しぶりに鏡に映った自分を見ると、目の下に濃いクマができ、顔色も悪く、髪もぼさぼさで生気がなかった。
赤ちゃんに母乳をやっていると、生きる気力や活力を全て息子に吸い取られていくような気がして怖かった。
相変わらず体調は悪く、頭痛も治まらない。
息子は抱っこして歩き回らないと寝てくれないので、肩や腰がびりびりと痛んだ。
相談相手がいないので、困った事は全てスマホで検索した。
だけど、育児関連の情報が多すぎて、
どの内容を信用したらよいのかわからず、余計混乱した。
なんで、私だけこんなに育児がつらいんだろう。
なんで、何一つ上手くできないんだろう。
母親が暗い顔してると、子供に暗い性格がうつると、
姑からの悪意ある言葉に胸をえぐられた。
こんなに頑張ってるのに、子育てにちっとも自信が持てない。
子供の将来が不安で涙ばかり出てくる。
勇気をだして参加した、子育てサークルでも、他のママさん達があまりにも幸せそうで、余計に落ち込んだ。
それから2度と、子供と2人で外出できなくなった。
外の世界が怖かった。
子供が可愛いだなんて、嘘だ。
私には、これっぽっちも可愛いと思えない。
私はきっと、母性に欠陥がある人間なんだ。
母親失格だ。
子供の3か月健診で病院に行くと、私の顔色の悪さから、助産師さんに別室につれていかれた。
「何か、困っていることはない? 体調大丈夫?」と笑顔できかれた。
本当は、助けて下さい!
朝が来るのが怖いんです。
子供と2人でいるのが怖いんです。
私には子育てができません。
もう無理、限界です!
と、胸の中でトグロを巻く、言いようのない不安を全てぶちまけたかった。
だけど、そんなことをすれば、子育て不適合者とみなされ、
子供は施設に預けられるかもしれない。
産後すぐに子供と引き離された恐怖が、心の中に傷となって残っている。
だから、
「大丈夫です。
毎日子供が可愛くて可愛くてしょうがありません。
産んでよかったです!」
と、ひきつった笑顔で取り繕い、全力でその場を離れる事しかできなかった。
いつまでも体調がもどらない弱い私。
子育てもちゃんとできない、母親失格の私。
子供に暗い顔しかみせられない、ダメな人間。
毎日毎日、自分を責める言葉しか浮かんでこない。
子供の顔をみても、何の感情もわいてこない。
私さえいなくなれば、この子は適切な愛情を受けられるかもしれない。
私さえいなければ・・・・・・
その思いが日に日に高まっていく。
そのうち、朝の光のまぶしさ、一日の始まりの明るさに耐えきれなくなり、
カーテンを開けることすらできなくなった。
朝ごはんも作れない、昼ごはんも夫に買ってきてもらったコンビニのおにぎりのみ。
夜ごはんは、夫に出来合いのおかずを買ってきてもらってすませていた。
食器も満足に洗えない。
汚れたオムツも、子供の服も、新聞も、育児書も、授乳クッションも、洗濯物も、片づけたいという思いはあるのに、体が動かない。
どんどん体重も減っていく。
かろうじて授乳し、オムツを替え、疲れたら横になって、ただひたすら1日が過ぎるのを待った。
そのうちスマホで「今すぐ楽になる方法」「自殺」「自殺 手段」というワードばかり、検索するようになった。
私なんていない方が、この子も、夫も幸せになれる。
私がいなくなれば、これ以上家族に迷惑をかけなくてすむ。
ダメ人間に育てられるより、愛情を注いでくれる人に育てられたほうが、この子も幸せだ。
そうだ、そうに違いない!
出産後初めて、自分の考えに自信がもてた。
その時ふと、ベランダ越しに見た夕日が、あまりにもキレイで、ただぼんやりと見つめていた。
「おい、何やってんだ陽子、やめろ! やめろよっ!!」
私は夫に肩を掴まれ、後ろに大きく引き戻された。
なあに?
なんで、じゃまするの?
ベランダからみえる夕陽が今日はすごくキレイだったの。
あの中に溶け込めたら、一人になれる気がしたの。
夕陽もこっちにおいでって、誘ってくれたのよ。
だから、私いかなきゃって。
あそこに、ただ飛んで行きたかっただけなのに・・・・・
振り返ると、主人は私の肩を掴んだまま、目を真っ赤にして泣いていた。
母も、部屋の中で呆けたように、へなへなと座り込んで泣いていた。
部屋の中には、火がついたように泣き叫ぶ息子の声が響き渡っていた。
なあに?
なんでみんな泣いてるの?
夫が私の様子がどうもおかしいと、実家の母を迎えに行き、一緒に部屋に入ってきた時、
ベランダから飛び降りようとしている私を見つけた。
急いで夫が産科に電話し、即、心療内科で受診をうけた。
そこで私は「産後鬱」と診断された。
出産後の女性の3割が、産後のホルモンバランスの影響で、発症するという。
程度の差こそあれ、不安や絶望感に襲われ、鬱傾向に陥るものらしい。
これで、命を落とす人も少なくないという。
誰にでも起こりうることで、決して母性が足りないとか、ダメな人間だとかそういうことではないようだ。
「産後鬱は治る病気です。
元気になれば、嘘みたいに赤ちゃんを可愛いと感じられるようになります。
大丈夫です。一緒に治療していきましょう」
と、心療内科の先生から言われた。
なんなの、それ。
そんなの聞いてない!!
出産後に鬱の症状がでる人もいるって、
雑誌でもテレビでも、病院でも誰も教えてくれなかった。
まさか自分が、鬱で苦しむなんて思ってもみなかった。
赤ちゃんが産まれたら、幸せで満ち足りた生活を送れるって、当たり前にそう信じてた。
だから、子供を可愛いと思えない私は、母性が足りないダメ人間だって、自分を責め続けてきた。
心療内科で産後鬱と診断され、絶望感や不安の原因がホルモンバランスの乱れだとわかり、気持ちも少しは落ち着いた。
だけど、もらった薬を飲んでも今の所、症状が軽くなるということはない。
相変わらず、すぐ落ち込むし、不安になることも多い。
でも、出口のない真っ暗なトンネルを、さまよい歩いているような孤独感は消えた。
今は、長いトンネルの先に、針の穴ほどの小さな光がさしてきたように感じている。
最近息子に表情がでてきた。
あーとか、うーとか、声を発するようにもなった。
思わずぎゅっと抱きしめたら、すごく温かかった。
息子のことをまだ心から可愛いとは思えないけれど、
こうやって抱きしめることが、
愛しいという気持ちに繋がっていくのかもしれない。
出産前の状態に戻るまで、あとどれくらいかかるのかは、わからない。
でも、トンネルの先にみえた、小さな灯りを頼りに進んでいけば、
いつかこの長いトンネルから抜けられそうな気がする。
それが今の私の、何よりの心の支えになっている。
***
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