私を「無」にした赤い表紙の本のはなし《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)
あれ? おかしい。
こんなはずじゃないのに。
深夜2時のこと。
私は予期していない感情を抱いたことに、混乱していました。
行列のできる人気のお店に、並ぶつもりで気合いを入れて行ったのに、誰も並んでいなくて拍子抜けした、そんな感じなのです。
自分が抱いたはずの感情なのに、どうしても理解できず途方にくれていました。
ほんとうは、ぎゅっとつかみたいのに、離さないように留めておきたいのに、つかんでもつかんでも指のすきまからどんどんこぼれ落ちてしまう。
なにかを感じているはずなのに、つかまえることができないから、理解することもできない。
どうしたらいいんだろう。
この抱いている感情を言葉にしたくて、頭の中の言葉を検索しているのに、この感情を表現する言葉が全く見つかりませんでした。
「この表紙、ヤバくない!?」
スクリーンに映る、赤い表紙を見せられたとき「マジでヤバい!」そう思いました。
40を目の前にしている私としては「マジ」だとか「ヤバい」なんて言葉はできれば使いたくありません。だってハタチくらいの女の子から見たら、いいおばさんなのに、そんな言葉遣いって若作りしてる? ヤバくね? そう思われかねないのですから。もっと適切な言葉があればよかったのですが、それ以上の言葉が見つからなかったのだから、仕方ありません。
その赤い表紙を持つ本のことは前から聞いていました。もちろん読みたいと思っていました。けれど、最初に知ったときは、どうしても読みたくて仕方がない! というわけではありませんでした。目の前に差し出されたら読もうかな、という程度でした。周りの話題に乗り遅れない程度に読めばいいかな、と思っていました。
でも、その赤い表紙を見た瞬間、これは読まなくてはいけない、という気持ちに変わっていました。
なぜ変わったのか。
赤い表紙に刻まれているフレーズを、平常心で読むことができませんでした。ひとつひとつの言葉に興奮させられてしまったのです。著者の言葉を借りるわけではありませんが、「超絶面白い」はずだから! そう思ってしまったのです。
それから本の発売日までは、会いたい彼になかなか会えない、遠距離の恋をしているかのように待ち遠しく思いました。
一足先に手に入れて、赤い表紙を開くことができた人たちが記事を挙げ、その記事を読んでいると、「もうわかりました。面白いのはわかったから、本物を早く読ませてください」そう懇願せずにはいられなくなってきました。
でも、その思いを口にすることはできず、発売の日を待つことになりました。
その本が発売されるという、ほんの少し前のことです。
私は、著者が講師であるゼミに参加していました。
「えー、読んでいない人がいるので全部は言えませんが……」
何か著者が話すたびに、このような枕詞が置かれました。
全部は言えない、でもネタバレギリギリのところは話す。そして、ゼミ生の中で本を読んでいる人たちとは盛り上がる。
読んでいないお前がいなければ、もっと盛り上がれるのに。もっともっと面白いことも話せるのに。
誰もそんなことは言いません。しかし枕詞を聞くたびに、読んだ人たちと読んでいない私との壁が厚くなるような感じがして、話はすごく楽しいのに、大きな快楽を得られる寸前で止められ、私はずっと拷問を受けているかのようでした。
そうなると、何が何でも、その赤い表紙の本を手に入れて読まなくてはならない。
本を通販サイトで予約注文をしたものの、発売日の翌日くらいに届きそうだということでした。誰よりも早く手に入れないのに! 私の欲求はグラスから完全にこぼれ落ちていました。
もう届くのが待てなくて、発売の日、仕事の合間に本屋に走りました。
あれ? ない。
あ、そうね、ここは名古屋ではない、ちょっと田舎の本屋だから。
今度は仕事の後に、別の本屋に立ち寄りました。
ここは名古屋市内だし、大型書店ではないけれど品揃えも豊富な本屋だし、絶対にあるはず。
あれ? おかしいなー。
本屋を2周くらいしました。
……ないんですけど!
そうフェイスブックで呟くと、
「あ、今日が東京配本なので、名古屋は明日からかもしれませんねー」
そう、コメントが返ってきました。
配本日と発売日は違うんですか?
本屋ではない私は、この違いを知りませんでした。
そして、このときほど名古屋という街の、中途半端な田舎具合にがっかりしたことはありません。名古屋が東京以上の都会であれば、こんなことにはならなかったでしょう。
翌日、無事に本も届き、やっと赤い表紙を開くことができました。
スルスルと読み進めました。
そして、読み終えました。
あれ? おかしい。
読み終えた人たちが「面白かった!」と言っている。
「泣けました!」と言っている。
私は?
面白いのです。
感動するのです。
でも。
私は私の感情がよくわかりませんでした。
強引に言葉で表すとすれば「無」でした。
これ以上、わからないものを考えていてもどうしようもないですし、もう、夜も遅かったので、その日はそのまま眠ることにしました。
翌日、会社までの車の中で、読み終えた赤い表紙の本のことを思い出していました。
ひとつひとつのシーンを丁寧に。
主人公の女子大生と先生との出会いのシーン。
有名アナウンサーとその後輩の絡みのシーン。
チェロが聴こえてくる舞台のシーン。
誰よりも何処よりも静かな場所。
田園風景が広がる場所。
……あっ!
そうか、そうなんですね。
ふふっ、と息を吐き、顔が緩むのを感じました。
そのときの私の顔は、あやしくニヤついていたと思います。
一人で運転する車の中で本当によかったです。電車の中で、こんな風にニヤニヤしていたら、不審人物に間違えられそうです。隣にこんな人が座っていたら、私だって席を移りたくなるでしょう。
私は大きく感情が揺さぶられるのを期待していました。
おもいっきり興奮したり、号泣してしまったり、大爆笑したり。
そう信じきっていました。
でも、違ったのです。
本を読んでいて、ちょっと感動させるようなシーンがあると泣いてしまいます。
でも、この赤い表紙の本は最後の1ページを読み終えるまで、一度も泣くことはありませんでした。あー、面白かった! と本を閉じるはずだったのに、よくわからない感情にとらわれて静かに本を閉じました。
でも、それでよかったのです。
その本は一度読んだだけなのに、多くのシーンが思い出され、様々な場所の空気を感じました。
そこは暑いのか寒いのか。吹いている風は暖かい南風なのか、なにもかもを吹き飛ばしてしまう北風なのか。空は晴れているのか曇っているのか。あたりはざわついているのか、物音ひとつしない静かな場所なのか。
登場人物たちは、どのような表情で……笑っているのか泣いているのか、どの辺りにシワが刻まれて、口角が上がっているのか。大きな声で話しているのか、隣の人にしか聞こえないような内緒話をしているのか、セリフのひとつひとつがどんな口調で話されているのか聴こえてきて、ふっともらすため息でさえ感じることができるのです。
本の中で、文字でしか、文章でしか表現されていないのに、本という無機質な中に閉じ込められているだけなのに。
こんなにも熱を帯びて感じることができるものなのか。
時が経てば経つほど、じわじわと私の感動が追いついてきました。
やっとわかりました。
最初は期待しすぎていて、期待はずれだったのか? とも思いました。
でも、それは勘違いでした。
期待しすぎていたものより、想像していたものより面白すぎて、予想していた感動をはるかに飛び越えていたので、理解できなかったのです。
ひとつひとつのシーンを思い出すと、あそこも、ここも、と感動するのです。
思い出すだけでワクワクして、もう一度読まなくてはと思わせてしまうのです。
読み終わった後には理解できず、翌日の車の中でやっと感じることができ、この文章を書いている今は、もっと大きな感動に包まれています。
なんていう本と出会ってしまったのでしょう。
「ジョニーデップの息遣いまで聴こえてくるんだよね」
私も、三浦さんがジョニーデップと肩を組んでるシーンが見えたような気がします。
『殺し屋のマーケティング』
これはヤバい本です。マジで。
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