メディアグランプリ

どうか、ブックカバーをかけずに本を読んでください。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
記事:あさみ(ライティング・ゼミ書塾)
 
なぜ人は本にブックカバーをかけるんだろう。
本を買ったときに書店員さんに聞かれる「カバーかけますか?」という、アレだ。
大切な本を汚したくないのはよくわかる。
だけど、どうか、あのブックカバー制度を撤廃してもらえないだろうか。
電車に乗っているときだけでも、外してもらえないだろうか。
 
社会人になり、東京に出てきてからわたしはほぼ初めて日常的に電車に乗るようになった。高校まで暮らした山口県では、電車はほとんど機能していない。
あまりにも本数が少なすぎるし、路線も東西へのびる1本しかないので、行きたいときに行きたい場所に行くには不便だからだ。
車か、自転車か、歩きが移動手段の基本だった。
 
大学生になり京都で暮らすようになってからも、電車はほとんど使わなかった。
京都という町はほどほどに狭く、コンパクトなエリアにだいたい必要なものが集まっているので電車に乗ってまで遠出をする必要がほとんどなかった。たいていの場所は自転車で行けた。
さらに言うと、京都市内は、さすがに山口県ほどではないが、やっぱり電車の路線が少なかった。地下鉄はおおまかにいうと、東西に1本、南北に1本。行きたい場所に自由に行くにはやっぱり不便だった。その代わり、碁盤の目のように張り巡らされた道という道を市バスがいつでも走っていた。少し遠くに行きたいときには市バスに乗った。
 
だから、社会人になってはじめて電車通勤をすることになり、定期を購入したときは「これが定期かあ……」としみじみと感動したものだ。都会人になった気がした。2008年のことだ。
ほとんどはじめての電車移動の日々は新鮮で、わたしはイヤホンで音楽も聴かず、常にキョロキョロしていた。中吊りという中吊りはすべて読んだし、ドアの上のテレビ画面のようなものに映し出されるクイズには必ず心の中で参加した。首が痛くなるくらい路線図をずっと見上げていたりもした。
 
そんな中で、わたしがいつも、気になっていたものがある。
見たいものが見れなかった。
ああ、どうしても読みたい。ねえねえ、何が書いてあるの。
 
それが、電車の中で、通勤や通学中にみんなが読んでいる、その手の中の本である。
 
もれなく、ほぼすべての本にブックカバーがかかっていた。
 
人の本をあまりじろじろとのぞき込むわけにはいかないから、その人が夢中になって読んでいるその本は何の本なのか、わたしはいつでも気になって仕方がなかった。
 
何読んでいるのか気になる人の斜め後ろに立つ。
中吊りを読んでいるふりをして、首の向きは変えずに目の端でちらりと本をはしをとらえる。長い間見ることはできないから、えいっえいっと小刻みに。
それでも手で片ページは隠れていたり、下の段が隠れていたりして、本の内容がすべて見えることはほとんどなかった。
たまに、本の上側や下側、ページ数の横あたりに章のタイトルが書いてある本もあり、それは重要なヒントになった。
そうしてわたしは、悪いことをしてるなあと思いつつ、盗み読みで読める範囲のものから本の内容を想像して、それを楽しむようになった。
 
今でも忘れられない本がある。
中学生の女の子が読んでいる本だ。だいたい電車で読んでいる本は文庫か新書か、学生であれば単語帳か。とにかくコンパクトなものが多い。
だけど彼女は、持ち歩くにはずいぶん重たそうなぶあついハードカバーの本に、ブックファーストの紙のカバーをつけて読んでいた。
読んでいる位置からして、もうほとんど終盤のようだった。
彼女は読みながら、泣いていた。ほとんど息もせずに読んでいるようだった。たぶん本を読んでいる人に興味をもってジロジロ見ているわたししか気づいていないだろうけれど、息を止め、1筋の涙が頬に流れていた。紙のブックカバーは握りしめる手汗でヨレヨレになっていた。
だからとにかく気になった。何を読んでいるんだろう。
 
また、悪いなあと思いつつ、不自然にならないように目の端で本の中の文章をとらえる。
どうやらフィクションのようだけれど、難しい単語だらけで話のあらすじはほとんど読み取れない。
「エリン」「セィミヤ」。
登場人物の名前と思われるヒントをなんとか拾ったところで、少女ははっと顔をあげ、そのまま本を閉じずに顔の位置に保ったまま電車を降りていく。少女を目で追うと、ホームの端のほうで、直立不動でそのまま本を読みふけっているようだった。
 
わたしは電車の中で盗み読みした本を、ネットで検索した。当時はスマホなんて持っていなかったのでi-modoを駆使して。登場人物の名前からすぐに本はヒットした。本に出てくる固有名詞を拾い読みできていたのは大きかった。積み重ねてきた盗み読みスキルが役立った。
 
わたしは自分の家の最寄り駅を乗り過ごし、少し大きな本屋がある町まで行き、その足で調べたばかりのその本を買った。
児童書のコーナーにある、分厚いファンタジーだった。4巻にわかれていたけれど、まずは1巻目だけを買った。
 
そして、わたしは、帰りの電車の中でその本を広げ、読み始めてから、気づいたら電車は終点についていた。ほとんど息をしていなかったと思う。
折り返して無事に最寄り駅にたどり着いたけれど、家に帰るまで本をとじることなんてできずに、わたしは結局その1冊を駅のホームのベンチで読み切った。
そしてまた、翌日は早起きをして出社前に本屋により、残りの3巻をすべて購入した。かなり重たかったけれど我慢ができなかったから。仕事を早めに切り上げまた電車の中で読みふけり、さすがに毎日ホームのベンチで読むのもどうかと思い、電車で読み切れなかった分は駅前のファミレスで深夜までかかって読んだ。
やっぱりわたしは、電車でもファミレスでも、息をとめて、そして彼女のように泣いてしまっていた。
もちろんブックカバーはつけずに読んだ。そんなわたしの姿を見て、この本を読みたくなった人が困らないように。
 
それは「獣の奏者」という本だった。
あれから約10年たった今も、その本は本棚に大事に並べている。
 
今でも電車は毎日のように乗っているが、盗み読みはしなくなった。できなくなったというほうが正しいかもしれない。
最近は、電車の中で本を読んでいる人はほとんどいないからだ。テスト期間中の学生が参考書を読んでいるくらい。
 
みんな、スマホを見ている。
スマホで何を読んでいるのかも気になるけれど、さすがにそれは盗み読みすることはできない。
広告以外での電車の中での本との出会いは、ほとんどなくなってしまった。
 
スマホから顔を上げている人すらほとんどいない。それでも、もしかしたらわたしが読んでいる本を気になっている誰かがいるかもしれないので、本を買うとき、必ずわたしはブックカバーを断っている。
お気に入りの本を見せびらかしながら読んでいる。
 
そしてやっぱり、電車で読書をしている人をみかけると、ブックカバーをはずしてくれないかなあ、と念を送ってしまうのである。
 
***

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2017-11-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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