プロフェッショナル・ゼミ

パラシュートのような20代《プロフェショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:高浜 裕太郎(プロフェッショナル・ゼミ)

 ずっと、私は疑問に思っている。
特に、年齢が30代後半以上の方に多いような気がする。というよりも、私が仕事でもプライベートでもお会いする、30代後半以上のパワフルな方々には、同じような傾向が見られる。
 何が彼らをそうさせているのだろうか。一体、彼らのようになるには、どうすればいいのだろうか。

 彼らのように、「人生を楽しむ」には、どうすれば良いのだろうか。

 私が普段お会いする30代後半以上の方は、パワフルな方が多い。ここでいう「パワフル」とは、物事に対する意欲や関心のことを言う。
 彼らは、本当に何にでも興味を持つ。経営者ならば、「自分の会社を発展させる為には、どうすればいいのか」という問いの答えを、常に探している。営業マンならば、「どうすれば売上が上がるのか」という問いに対して、真摯に向き合っている。私にとってみれば、それは洞窟の中で、光る宝石を探すようなものだ。岩ばかりの、暗い洞窟の中で、キラリと光る「答え」という名の宝石を探すために、彼らは全力を尽くしている。
 それは、私にとってみれば、うんざりする作業だ。私だったら、「こんな洞窟に、宝石なんてあるわけないじゃん! もう帰ろうよ」なんて言うだろう。
 けれども、彼らは違う。彼らは、洞窟の中を探す作業さえ、楽しんでしまうのだ。探し方に工夫を凝らしてみたりして、色々な角度から「宝石」を探そうとする。しかも、それを楽しみながら。

 その姿を見ると、私は羨ましさを感じるのだ。彼らのように生きることが出来たなら、きっと人生は楽しいだろうな。そんなことを思うのだ。
 そして、彼らのような生き方をするのが、私の夢でもある。けれども、私は、例えば洞窟の中でキラリと光る宝石を探す作業を、「楽しい」とはとても思えない。
 では、彼らのような「生き方」を身につける為には、どうすれば良いのだろうか。

 私は今、20代だ。社会人になって、2年になる。
 社会人になってみての感想は、「かなりしんどい」だった。これを、あと40年も繰り返すなんて、拷問のように思えた。よく、インターネット等で、労働者のことを「奴隷」なんて表現する人がいるけれども、その人の気持ちがよく分かるようになった。

 社会は、思っていたよりも辛い事が多い。私がまだ、社会人になりたてのビギナーだからかもしれないけれども、辛い事が多い。
 例えば、人間関係、仕事の成果や成績など、私をを苦しめる「毒」になるものは、そこら中に転がっている。私は、その「毒」の影響を受けながら、日々を過ごしている。これが、なかなかきついのだ。

「もう辞めようかな」「別の道を進もうかな」なんて思ったことは何度でもある。今まで、「辛いことから逃げないこと」が自分の長所だと思ってきたけれども、それでも社会という嵐の中では、立っていられないかもしれなかった。

 社会という嵐は、私から様々なものを奪っていった。学生の頃に抱いていた、「仕事もプライベートも充実させる」という夢を、まずぶち壊した。少なくとも、仕事は辛い事ばっかりである。加えて、「何事も1番を目指してやる」という幻想も、壊した。人間関係の歪みをはじめとした、職場の問題は、私から仕事のモチベーションを奪っていった。
「そんなの、お前が甘えているだけじゃないか」というご指摘を受けるかもしれない。その通りだとも思う。けれども、雨や風に吹かれ続けた私は、「このまま耐えて、立っているよりも、今吹いている風に身を任せた方が、楽なんじゃないか」と思うようになったのだ。

 仕事で辛い事があると、いつの間にか「成功」が目標はなく、「毎日を無事に過ごすこと」「耐えること」といったことが、目標になってしまう。いつの間にか、目標がすり替わってしまうのだ。そして、そうなってしまうと、大した目標も無く、「今日も1日、耐えることが出来た……」と1日1日、息継ぎをするだけの日々になってしまうのだ。

 けれども、そんな私でも、未だに理想は抱いているのだ。私は、私がお会いしている、パワフルな人になりたい。仕事に対して、ポジティブな意識を持って、取り組み人になりたいと思っているのだ。・

 おそらく彼らは、私のように「息継ぎ」をするような日々は過ごしていないし、毎日の目標が「耐えること」にもなっていない。彼らには、大きな夢や目標があって、それに向かって進んでいるのだ。そうやって生きていると、「息継ぎ」をする必要なんてない。例えば、魚は、いちいち水面に顔を出して、息継ぎをしたりしない。ずっと、社会という水の中で生きていける。私は、いちいち水面に顔を出して、息継ぎをしなければならないけれども、彼らはそうじゃない。
 そして、彼らは、私のように、水の中で苦しんだりはしないのだ。

 なぜ、彼らは、仕事に対して前向きなのだろうか。生きることに対して、前向きなのだろうか。時代のせいなのか? それとも、彼らが特別だから? はまたは彼らが「ゆとり世代」ではないから?

 様々なことを考えるうちに、1つの疑問が湧いてきた。
「彼らは、私と同じような苦しみを抱えてこなかったのだろうか」

 彼らが、私と同じ24歳だった時、どんなことを考えていたのだろうか。常に希望を見失わずに、今まで生きてきたのだろうか。それとも、私のように、「社会イヤイヤ期」「仕事イヤイヤ期」を乗り越えて、現在に至るのだろうか。

 私は、いつもそんなことを考えながら過ごしていた。そんな時に、ふとテレビを付けると、興味深い話が流れてきた。

 ある有名な大学の、陸上部の先生がゲストで招かれて、その方の過去をお話しするという番組だった。
 その方は、今でこそ大学陸上界で、数々の成績を残し、テレビから引っ張りだこという存在だが、選手時代は、パッとしない選手だったという。いや、パッとしないというよりも、「真剣に陸上と向き合っていなかった」選手だったという。テレビからは、当時を再現したVTRが流れ、そこには、監督から怒られる、選手時代の先生の姿があった。

「もっと真剣にやれよ!」
 選手時代に、コンパ等の遊びを繰り返していた先生に、当時の監督が言った言葉だ。結局、選手として「真面目に取り組む」ことをせずに、その先生は、陸上の選手を辞めてしまった。

 この映像は、私にとって衝撃だった。今やあれほど成功を収めている人物が、選手時代は「不真面目」だったなんて、思わなかった。
 もちろん、そこに至るまでには、様々な要因があったのかもしれない。例えば、故障や成績不振によって、陸上に対する思いが、だんだんと下がっていってしまったのかもしれない。
 けれども、なぜだか、その先生の姿が、今の私と重なった。先生は、高校生の頃から、陸上の強豪校に所属していたほどだ。陸上が嫌いということは無いだろう。本音を言えば、陸上という分野の、第一線で活躍したかったに違いない。けれども、様々な要因から、モチベーションが下がってしまった。成功者と言われる先生でも、こんな時代があったのだ。

 それが、今の私の姿と重なったのだ。本心では、仕事を好きになりたいし、仕事に没頭したい。けれども、人間関係をはじめとした要因が、その夢を邪魔するのだ。「こんなに辛いなら、もう辞めようかな」と思ってしまうのだ。

 成功者と言われる先生にも、そんな時代があったことは、私を少しだけ安心させた。私にとって、仕事の第一線で活躍している、パワフルな方々は、私とは別の生き物のように思えた。きっと、脳の構造が、少し違うのかもしれないとも思った。けれども、そうではなかったことが、このエピソードから分かった。このことは、私を安心させたと同時に、火も付けた。私という、消えかかっていたロウソクに、新たな火を付けたのだ。

 またある時、今度はラジオから、興味深い話が流れてきた。それは、特に有名な人というわけではない。番組に投稿をしてきた、1リスナーの方だった。

「私は今、青森でリンゴ農家をしています。小学校からバレエをやっていて、高校を卒業してから、本格的なバレリーナになろうと思い、日夜練習に励んでいました。しかしそこから挫折し、会社員を経て、今では青森でリンゴ農家をやっているのですから、人生分からないものですね」
 こういう投稿だった。
 その番組のテーマがどんなものだったかは、覚えていないけれども、その話だけ、やけに覚えているのだ。
 最初にこの話を聞いた時、私は、「あなたの人生、本当にそれでいいの?」と、投稿者にツッコミを入れたくなった。「バレリーナの夢はいいの?」と諭してあげたくもなった。

 けれども、その投稿は、こう締めくくられていた。「人生何があるか分からないけれども、その時々で楽しんできました。今ももちろん、楽しいです」と。

 この言葉を聞いた途端、私は呆気に取られてしまった。「あぁ、いいんだ……それで」と思ってしまったのだ。もちろん、馬鹿にしているわけではない。けれども、それで幸せを感じているのが、不思議だった。

 けれども、冷静に考えてみると、人生ってそんなものなのかもしれない。「俺はこんな仕事なんてしたくない! 本当はあんな仕事がしたいんだ!」と、隣の芝生ばかりみて、羨ましがっても、いたずらに自分のモチベーションを下げるだけなのかもしれない。
 その「自分の語る夢」が、本当に自分のなりたいものなのかどうかも、自分じゃ分からないのだ。挫折して、諦めてしまうことだってあるだろう。
 今、私が羨ましがっている、パワフルな30代後半以上の方々も、20代の頃は、私と同じように悩んだのかもしれない。「俺は、こんな仕事なんかしたくない」と、愚痴を吐いている人もいたかもしれない。また、仕事に対するモチベーションが低下し、毎日が、ただ「耐えるだけ」の日々になっている人もいたかもしれない。

 けれども、結局は腰を据えて、自分の人生を楽しんでいる。私が目標としている「生き方」を身につけている。

 思うに、20代の特に前半くらいの頃は、人生は「パラシュート」のようなものなのかもしれない。「学生」という名の飛行機から、「社会」という名の空へ、放り出される。最初は、上手くパラシュートを扱えなかったりして、態勢を崩す。態勢を整え、自分が目指すべき、「夢」という「着地点」を目指して、降りていく。けれども、様々な条件によって、「着地点」は変わってしまう。「夢」に着地できない可能性だってある。

 けれども、パワフルな人達は、その降り立った着地点で、充実した毎日を送っている。そこが、当初描いていた「夢」とは大きく離れていたとしても。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を、よく耳にした頃があった。同タイトルの書籍も出版され、好評を得ている。私は、この一言に尽きるんじゃないかと思う。

 自分に何が向いているのかなんて、正直分からない。夢破れて、落ち込むこともある。けれども、それでも毎日を全力で生きた人が、成功を手にするのではないだろうか。私が羨ましがっているパワフルな人も、置かれた場所で咲いているのではないだろうか。

 毎日を耐えるように過ごしても良いと思う。けれども、生きることに後ろ向きになってはいけない。自分が何をやりたいか、それだけを目指して過ごしていれば、いつか、自分に合った着地点を見つけることが出来る。そこが、自分の目指していた場所と違っていたとしても。

 私はまだ、パラシュートでふわふわと浮遊している。正直、突風も吹くし、雨だって降るし、とても楽な環境ではない。けれども、いつか自分という花を咲かせるように、しっかりと前向きに生きたい。そうすれば、私が目標としている、パワフルな人たちに近づける。私は、そう思うのだ。

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