プロフェッショナル・ゼミ

占いを跳び越えて、進め《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:木佐美乃里(プロフェッショナル・ゼミ)

「あなた、一人でも生きていけるよ。むしろ、結婚するより、ひとりのほうがいいんじゃない? 仕事は? ほう、助産師! いいねえ。一生技を磨いていったらいいよ!」
浅黄色の袴をはいたおじさんは、あっはっは! と笑い声をあげた。

こんなはずじゃなかった。わたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃなかった。
そもそも、占いなんて信じていないはずだった。医療職の端くれとして、「それ、エビデンスはあるの?」なんてやり合いながら毎日を過ごしているのだ。占いなんて非科学的だ。
「今日の運勢、第1位はおとめ座!」と朝の情報番組で聞けば、そりゃあ何となくうれしい気分になるけれど、ただそれだけだ。「今日のラッキーカラーは赤!」と言われても、わざわざ靴下を履きかえたりはしない。
それなのに。わたしとしたことが、こんなところに来てしまった。

理由は簡単だ。悩んでいたからだ。これから先、どうしたらいいか、まるで分からない。
30歳が目前に迫ってきて、急に焦りと不安におそわれた。今の仕事が向いている気がしない。地元に帰ってしまおうか。遠距離の恋人は、この先結婚する気があるんだろうか? ぐるぐるぐるぐる考えて、考えるのに疲れてしまった。
「ああ、もう、誰か正解教えてくれないかなー!」
やけっぱちな気分になっていたとき、ある噂を聞いたのだ。
京都のある神社の一角で、ひっそりと占いが行われているらしい。それがとってもよく当たる、と。もう誰でもいいから、わたしの行く先を決めてほしい一心だった。
「占いなんて」と言っていた手前、誰も見ちゃいないのに、なんとなくコソコソとその神社に向かって、待合室でも寝たふりをして、できるだけ気配を消すようにつとめて順番を待った。

1時間ほど待っただろうか。個室に案内されると、自分と恋人の生年月日を記入して、さらにしばし待った。
「この人と結婚はあるでしょうか? わたし、これからどうしたらいいんでしょう?」
おじさんは、指を舐めなめ何か帳面のようなものをめくっては、一人でふんふん、とうなずいていた。そして顔をあげると言った。
「あなた、一人でも生きていけるよ。むしろ、結婚するより、ひとりのほうがいいんじゃない? 今の時代、結婚しないからってどう言われるでもなし、全然問題ないよ」
「助産師してる? そういう専門職、あなたに向いてるよ! 一生こつこつ技を磨いていったらいいと思うね!」

わたしはポカンとして、そして猛烈に腹が立ってきた。
そんな言葉を聞くために、寒い思いをして1時間も待っていたわけじゃないのだ。高いお金も出したのに! そんなことを言ってほしかったんじゃない!
ひとまず料金は払ったが、ムカムカした気分のまま、帰り道をどしどし歩いた。

鼻息荒く歩きながら、
「占いがナンボのモンじゃい。あのオッサンの言った通りに人生決めてたまるかい。わたしの人生はわたしが決める。
わたしはあの人とこれからもずっと一緒にいるって決めたんや! 他の誰に言われたってそうするんや!」
そう息巻いたとき、はっとした。
「そんな言葉が聞きたかったんじゃない」って、じゃあわたしは何て言ってほしかったんだ? 何て言われたら満足だったんだろう?
わたしには、聞きたい言葉があったのだ。ほんとうは、自分がどうしたいかちゃんと分かっていたのかもしれない。
でも素直じゃなくて、弱虫なわたしには、何か反発させて、思い切らせてくれる何かが必要だったんじゃないだろうか。
言ってほしかったことと、正反対のことを言われてはじめて、自分が本当にほしかったものが何かわかった。
もしかしたら、「あなたと彼は、相性ばつぐん! 数か月以内に、彼はあなたにプロポーズしてくるので、それをおとなしく待っていましょう」なんて言われていたら、どうだろう。たしかに腹が立ったりはしなかったかもしれないけれど、なんだかモヤモヤした気持ちが残って、彼とふたりで生きていこう! なんて気持ちにはならなかったかもしれない。
反発するって、ときどきすごい力を産むのだ。きっと、安易に認められたり、励まされたりするよりずっと。

「親にも教師にも反対されたけど、大学に行ってふつうに就職するんじゃなくて、専門学校に行って、少しでも早く看護師になりたかったの」
県内では有数の進学校を卒業しながら、そう言い切る看護学校のクラスメイトが、すごくまぶしく見えたのを覚えている。その目には、少し悲しそうな、でも強い光が宿っていた。
わたしは、やりたいと言ったことを親に反対されたことはほとんどなかった。それはそれで恵まれていると思うけれど、でもそのときは、その彼女のきりっとした横顔が、思わず見とれてしまうくらいきれいに見えて、つい、うらやましいと思ってしまった。
実際、親のすすめや、なんとなく看護師の免許をとっておこうと思って進学してきたクラスメイトたちの中で、彼女の集中力は群を抜いていた。自分は絶対に有能な看護師になるのだという、ゆるがない信念みたいなものがあった。教師や、患者さんからの信頼も厚かった。
でも、もし。もし、だけれど。意地悪なわたしは、つい考えてしまうのだ。
彼女が、誰にも反対されなかったらどうだったんだろう。周囲の誰からも応援されていたら、あんなふうにいつでも追い込まれたような表情で、あれだけの熱量で、目の前の勉強に取り組めていたんだろうか。反対する言葉があったからこそ、彼女は自分の目標に向かって、わき目もふらず、一直線に飛び込んでいけたんじゃないかと、少し思ってしまうのだ。

反発させてくれる言葉は、高い跳び箱の前の踏切板みたいだ。
低い跳び箱なら、踏切板なしでも、自分の脚力だけでもなんとか跳べる。でも、自分の背と同じくらい、あるいはもっと高い跳び箱だったら。助走をつけて、踏切板の力を借りて、グッと大きく踏み込めたなら、反発するように大きく飛び越えられる。

小学5年生の頃、体育の授業で跳び箱があった。
7段までは、なんとか跳べた。だけど、8段。たった1段、数十センチの差なんだから、と自分に言い聞かせて、意を決して走りだす。けれど、いざ跳び箱が目の前に迫ってくると
「だめだ、こわい! こんなの跳べない!」
どうしても怖くなって失速してしまう。
怖くなってしまう原因は、踏切板だった。それまでは、木製の踏切板だった。踏み込んだところで、高さが変わるわけでもない。それが今度は、ばねが内蔵されていて、踏み込むと、そのぶん反発力が生じて高く跳べる踏切板を使うという。体育の得意なクラスメイトは、その反発力をおもしろがって、怖がるわたしをしり目に、軽々と跳び箱を越えていく。
悔しい。わたしもどうにか跳んでみたい。どうしたら跳べるのかこっそり尋ねると、
「最初はちょっと怖いけど、思い切って踏み込んだら、その分だけ、身体がポーンて浮かんで楽しいんだよ。フワッて浮かんで、ほんとに飛んでるみたいだよ」
ほんとうかなあ。わたしは半信半疑だった。それに、その跳ね返されるのが怖いのだ。自分の力じゃないものに押し出される気がして。
それでも、最後の跳び箱の授業の日、今度こそ、わたしは跳ぶと決めていた。
「大丈夫、絶対跳べる」
自分に言い聞かせると、思い切って走り出した。勢いをつけて踏切板に体重をかける。
跳び箱に手をつくと、思わず目をつぶった。
すると、これまでにない感覚で、ふわりと身体が浮き上がった。
わたしの身体じゃないみたい。
思いがけず、ストンと軽くマットに身体が着地した。
「あれ? もしかして、わたし跳べた?」
後ろを振り向くと、あの高いと感じていた跳び箱が、びくともせずにそこにいた。
一度跳べたら、あとは簡単だった。強く踏み込めば踏み込むほど、反発して跳びあがる力が強くなる。わたしは、おもしろくてたまらなくなって、その日何度も何度も8段の跳び箱を跳んだ。

もし、人生に8段の跳び箱みたいに、簡単に越えられない問題が立ちはだかったら。わたしたちには、何か踏切板みたいなものが必要なのかもしれない。踏み込んだら、思い切り反発させてくれる何かが。その反発する力が強いぶんだけ、きっと遠くに、高く跳べる。
もちろん、反発すること自体が目的じゃ意味はないけれど、跳ぼうとする方向が間違っていなくて、あと少し、跳びあがるためのきっかけが必要なだけだったら。
たまには、応援してくれる言葉だけじゃなくて、「できっこないよ」とか「向いてないよ」「やめたほうがいいよ」とか言われることも必要なんだろう。その言葉をかけてくれるのは、身近な誰かかもしれないし、わたしのように、わざわざ言ってくれる人を探しに行かないといけないこともあるかもしれない。自分を高く跳ばせてくれるきっかけを、自分で見つけにいく。

浅黄色の袴をはいたおじさんに、「一人で生きていける」と言われたわたしは、結局そのときの恋人に、自分からプロポーズして結婚した。結婚生活は始まったばかりだから、もしかしたら、おじさんの言う通り、やっぱり一人で生きていけばよかったと思う日が来るかもしれない。でも、おじさんの言葉に反発して、でも自分の力で跳べたことで、わたしは自分に少し自信がもてた。わたしは、自分の力でこれからもきっと壁を飛び越えていけると。

実は、あのおじさんの言葉には続きがある。
「どうしても結婚したいなら、してもいいと思うけど……。そのかわり、結婚したってあなたが一生走り続けるのは変わらないから。ダンプカーみたいに、バリバリバリバリって、家庭と仕事の両輪を回しながら、走り続けるしかないから」

わたしは、バリバリバリバリ、とまではいかないけれど、いまも何とか仕事をしながら、めまぐるしい毎日を過ごしている。
もしかして、あのおじさんは、わたしが結局この選択をすることまで見抜いていたんだろうか? だからわざとあんな言葉をかけたと思うのは、わたしの思い過ごしだろうか。
そういえば、あの神社の社務所には、小さくこう書かれていた。「人生相談鑑定」。宮司さんに、オッサンなんて、失礼なことを言ってしまった。
おそるべし占い、いや人生相談。

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