プロフェッショナル・ゼミ

部長という役職に就いた時にまずやろうと決めたことはコーヒーを飲むことだった。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:上田光俊(プロフェッショナル・ゼミ)

※実話を基にしたストーリーですが、登場人物の名前は全て架空の名称です。

「普段やったら、こんな高いコーヒー飲まへんねんけどな」
僕だったら、たとえ会社から経費で落とせると言われても、ホテルのラウンジまで来て一杯千円もするコーヒーをわざわざ飲もうなんて思わないだろう。
コーヒーにさしてこだわりがあるわけじゃない僕としては、コーヒーが飲めて次の商談のアポまでの時間を潰せるのなら、安ければ安い方がいいと思ってしまう。
それも、商談先の近くのカフェではなくて、あえて遠いところにあるホテルのラウンジまでわざわざ足を運んでコーヒーを飲もうだなんて決して思わない。
それが今、僕はホテルのロビーラウンジで一杯千円もするコーヒーを飲んでいる。
何故このコーヒーが千円もするのか?
その価値が全くわからない僕は、やっぱりこういうところで飲むコーヒーは格別ですよね、とわかった風な顔して一杯千円もするコーヒーを当たり前のようにして飲んでいた。

「仕事中はな、必ずこういうところでコーヒーを飲むって決めてんねん」
板津営業部長は一杯千円もするコーヒーを飲みながら、ここに来た理由を僕にそう説明した。
「ああ、そうなんですか……」
と僕は当り障りのない、上司に対する返答としては誰が聞いても明らかに不合格だと言わざるを得ないような受け答えしかできなかった。
その時、僕は極度に緊張していた。
正直なところ、コーヒーの味なんてどうでもよかったし、板津部長が普段どういうところでコーヒーを飲んでいるのかについても全く興味がなかった。
そんなことよりも、僕は一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。
板津部長は僕にとって、社内で最も怖い存在なのだ。
いや、最も怖い存在だと思っているのは、おそらく僕だけではないだろう。
同僚や先輩たちも板津部長のことを極度に怖れていたに違いない。
板津部長がそこにいるというだけで、オフィス内にはただならぬピリピリとした緊迫感が立ち込めたし、実際激が飛ばされることも日常茶飯事だった。

「売上予算達成は全員が必達や! 予算達成できへん奴はプロ失格ってことやぞ!」
「売上が足りてないなら、さっさと一軒でも多く得意先を回ってこい!」
「出張に出たら、かかった経費の10倍の受注を取ってくるまでは会社に戻って来るな!」
「この条件提示で先方と取引できへんのは、お前の交渉力が足りてないからや! 契約が取れるまで交渉し続けろ!」
そんな風に叱責されることはしばしばだった。
極めつけは、先輩が原付バイクに乗っていて、目の前を横切った猫を避けようとして転倒し、右腕を骨折してしまった時のことだった。
「骨折して仕事に穴をあけるくらいなら、その猫を轢いてしまえ! 仕事に対して、それくらいの覚悟があらへんから骨折はするし、いつも予算達成できへんねん!」
無茶苦茶なことを言う人だと思った。
その人の人格否定につながるようなことは言わない人だったが、求められているレベルが僕たちには高過ぎた。
そんなことを実践できる人は社内でも板津部長以外には誰もいなかったのだ。

板津部長はとにかく仕事が出来た。
しかも、とんでもなく出来る人だった。
特に数字に関しては非の打ちどころがない。
予算達成なんて当たり前。
必ず与えられた数字を超える結果を残していたのだ。
言ったことは必ずやり遂げる。
まさしく、有言実行の人だった。
そんな人から何か言われでもしたら、僕たちにはもうどうすることもできない。
防戦一方とはまさにこのことだ。
反論できる余地なんて一切残されてはいない。
さらに、板津部長は誰もが見落としてしまうような細部にまでよく気が付く人で、板津部長の前では、僕たちは一分一秒たりとも気を抜くということができなかった。
僕たちにとって、板津部長は意識が高過ぎる系の人だったのだ。
勿論、数字に関することだけではない。
板津部長は、どの得意先に行っても信頼が厚かった。
板津部長の名前を出しただけで、大抵のトラブルは収まってしまう。
社内ではとても厳しい人だったが、一旦社外へ出れば、とても人当たりが良く、一度でも板津部長と接したことのある人ならば必ず好印象を抱いてしまうことだろう。
僕はできることなら、そんな意識高い系の人とは少しでも一緒にいたくないと思っていた。
僕とは意識レベルに差があり過ぎて、同じ空間内にいるというだけで緊張し過ぎで疲れてしまうのだ。
板津部長と一緒にいる時の僕は、いつでも緊張しっぱなしだったし、必ず何かしらのダメ出しをされていた。
それが今、ホテルのラウンジで板津部長と二人で、一杯千円もするコーヒーを僕はこうして飲んでいる。
そしてこれから、板津部長と僕は、僕の担当先である三屋百貨店にクレーム対応に行く予定なのだ。

「上杉さん! 撮影したサンプルと実際に納品された商品のデザインが違うじゃないですか! 一体どういうことなんですか!?」
それは2ヶ月も前のことだった。
僕が担当する三屋百貨店の婦人服フロアの関根さんから、秋のファッションウィークの広告に掲載する撮影用商品サンプルの貸出し依頼があったのだ。
撮影用商品サンプルの貸出し依頼はよくあることだった。
各百貨店で、そのシーズンのトレンドアイテムを広告掲載して集客を図るのが狙いで、掲載されれば、当たり外れはあるものの、メーカーにとってもかなりメリットのあることだった。
しかし、2か月も先に店頭に並ぶ商品を在庫として抱えるのは、会社としてもリスクが大きいし、実際その時期には商品自体が縫製工場でまだ生産中ということがほとんどだった。
そうなると、会社にあるのは製品ではなく、展示会等で使用する企画段階で作った商品サンプルだけということになる。
その商品サンプルの中で、広告掲載して集客を図れるようなトレンドアイテムの貸出しを三屋百貨店の関根さんから依頼されたというわけなのだ。
それ自体は問題ではなかった。
むしろ、大きな売上を上げられるチャンスなのだから、こちらとしてはありがたい依頼だった。
ただ、ここで予想もしていないことが起きた。
関根さんに提出していたいくつかの商品サンプルのうち、生産過程途中でデザイン変更が生じてしまったサンプルがあったようなのだ。
そんなことは今までめったになかった。
商品サンプルとはいえ、製品そのものと変わりがないものがほとんどで、異なる点といえば品質表示がついていないということくらいだった。
勿論、提出した商品サンプルが全て広告掲載されるわけではない。
その内の数点ということもあるし、あるいは一点も掲載に至らないということも多かった。
それなのに、今回はたまたま三屋百貨店の婦人服部内の企画会議で、それが広告掲載商品として選定されてしまっていたのだ。
それだけにとどまらず、さらに事態は深刻だった。
その事がわかったのが、その広告掲載商品がファッションウィークのメインアイテムとして店頭に並ぶ前日だったのだ。
掲載されているデザインの商品は、撮影用の商品サンプル以外にはどこを探しても存在していないというのにである。
こうなったら、今さらもうどうすることもできない。
今から商品を引き上げて、貸し出した商品サンプルと同じデザインに縫製し直すことなんて不可能だ。
撮影前に戻って商品サンプルを差し替えることもできないし、広告自体を全て回収するということもできない。
万事休すだった。
何故、その商品サンプルだけが途中でデザイン変更になってしまったのかを関根さんに説明したところで事態は何も変わらない。
このまま実際に広告掲載されたサンプルとは違うデザインの商品が店頭に並ぶだけなのだ。
もう何も打つ手はなかった。
しかし、三屋百貨店の営業担当としての僕は、それでも何もしないというわけにはいかなかった。
とりあえず関根さんから問い合わせがあった時点で、僕はすぐに三屋百貨店にまで出向いて事情説明し謝罪した。
僕には謝罪することしかできなかった。
ひたすら頭を下げた。
誰がどう考えても、この事態を改善することはできないのだから、謝るということで事態を収束させるしかないと考えていたのだ。
しかし、実際はそんな簡単に収まるわけがなかった。
トラブルは現場レベルを遥かに通り越して、婦人服部全体から店自体の問題にまで大きく発展してしまっていたのだ。

「そんなメーカーとは今後一切取引停止だ!」
関根さんは店次長からそう怒鳴られていたようだった
この件で関根さん自身も三屋百貨店の婦人服部長やその上の統括部長、店次長レベルから激しく叱責されていたのだ。
こうなることを予測できなかったとはいえ、何の落ち度もない関根さんにまで多大なる迷惑をかけてしまって、僕としてもかなりの責任を感じていた。
「これは一体どういうことなんだよ!? お前どうするつもりなんだ!?」
僕は、婦人服フロアのメインカウンター奥にある事務所内で、関根さんの上司でもある橋本フロアマネジャーからも激しく詰め寄られた。
「も、申し訳ありません! 当社の確認ミスで……」
と頭を下げたが、橋本フロアマネジャーの怒りが収まる様子は微塵もなかった。
「あなたと話していても埒があきません。あなたは今後一切うちの店には出入りしないでください」
そう僕に言い放った後、早い事態の収束を祈るような体勢で橋本フロアマネジャーの後ろに立ち尽くしていた関根さんに振り返り、
「関根! お前にも責任があるからな! 覚悟しとけよ」
と言って事務所から出て行った。

「関根さん! 本当にすいませんでした!」
しばらくの間、お互い何も言わずに橋本フロアマネジャーが出て行った後の事務所の扉を茫然と眺めていたが、僕は関根さんにもう一度頭を下げながらそう言った。
「とりあえず、橋本もああ言っていることですし、上杉さんは一度会社の方に戻って下さい」
とかなりうなだれた様子で僕にそう言った。
「ここまで事態が大きくなってしまった以上、板津さんに出てきて頂くしかないんじゃないですかね……」
関根さんの言う通りだった。
もうそれしか僕にできることは何もない。
会社に戻って板津部長に全てを報告するしかないのだ。
僕は、関根さんにもう一度頭を下げた後、一旦会社に戻った。

「ちょっと早めに行こうか」
翌日、出社してまもなく板津部長からそう言われた。
朝礼前だった。
百貨店の開店は10時。
今日はファッションウィークの初日だったから、遅くとも大半の百貨店の社員さんたちは9時には売場に入っているはずだ。
僕たちは、社員さんたちよりも早く売場に入って、今回の件に関する事情説明と今後の対応について話し合わなければならない。
自分の確認ミスだったとはいえ、胃がキリキリと痛む。
しかも、一緒に行くのはあの板津部長だ。
クレーム対応もさることながら、板津部長と一緒に先方に出向くとなると、頼りになることは間違いないが、余計に緊張して足がすくみ、呼吸まで浅くなってきた。
「あ、は、はいっ! わかりました!」
僕は板津部長に言われるがままに、後に続いて、出社早々に会社を出た。
そしてこれから、僕は板津部長と一緒に三屋百貨店に向かうことになるはずだったのだが……。

そこで僕は、不思議な光景を目にすることになった。
板津部長は、会社を出て三屋百貨店に向かうために、地下鉄の駅に行くのではなく、その反対方向に向かって歩き出したのだ。

僕は一体何が起きているのか、全く理解できなかった。
これからクレーム対応に向かうということと、板津部長が一緒だということで、極度に緊張していたのは間違いない。
それにしても、僕はこの事態を上手く飲み込めないでいたのだ。
完全に思考停止状態になってしまっていたのだと思う。
そんな状態の僕を見兼ねてか、板津部長は僕に向かってこう声をかけてきた。
「コーヒー飲みに行こか」

板津部長は、一体どういうつもりなんだろう……?
僕は板津部長の後に続いて、三屋百貨店とは反対方向にある一流ホテルの1Fロビーラウンジに入っていった。
板津部長は、そこで一杯千円もするコーヒーを二つ注文して、コーヒーが出てくるのを静かに待っている。
しばらくして、濃紺の制服に身を包んだウェイトレスがコーヒーを持ってきて、
「ご注文は以上でしょうか?」
と言って確認を取った後、僕たちのテーブルから遠ざかっていった。
「普段やったら、こんな高いコーヒー飲まへんねんけどな」
そう言いながら、板津部長はコーヒーが入った真っ白のカップに口につけてから、続けて僕にこう言った。
「仕事中はな、必ずこういうところでコーヒーを飲むって決めてんねん」
「ああ、そうなんですか……」
一杯千円もするコーヒーは一体どんな味なんだろう?
僕はそう思いながらコーヒーを口にしてみたが、正直なところよくわからなかった。
僕の受け答えがまずかったのか、板津部長とはそれ以上会話が続くことはなく、しばらく沈黙していた。
「俺がな……」
これは、初めて誰かに言うことなんだけれども、といった感じで板津部長は話し始めた。
「営業部長になった時に、コーヒーは今までみたいに普通の喫茶店じゃなくて、こういうホテルのラウンジとかで飲むことに決めたんや。
もう自分は、主任でも、課長でもない。
この会社の営業部全体の数字の責任を負う部長という役職に就いたんやって、自分に言い聞かすためにな。
そういう立場になったら、その役職にふさわしい振舞いをしていかなあかんやろ」
板津部長は僕に向かって、そう言ったが、まるで自分に対して言っているかのようだった。

なるほど、そうだったのか……。
僕は初めて、板津部長が社内で、何故あれほど意識が高かったのがわかったような気がした。
板津部長がそんなに意識が高いのは、元々そうだったのではなくて、自分の意識を自ら高めようとしていた結果だったのだ。
部長職という責任の重圧に負けない自分になるために。
自分が何者であるのかを自分に言い聞かすために。
今までしていた行動を、意識的に自ら変えていったのだ。
その内のひとつが、ホテルのラウンジで一杯千円もするコーヒーを飲むことだったのだ。
板津部長は、そのコーヒーを飲むことで、きっと自分の意識を高めるためのボタンを押していたに違いない。
一杯千円もするようなホテルのラウンジで飲むコーヒーは、板津部長にとって、エレベーターの行先ボタンのようなものなのだろう。
自分の意識を部長職であるという高層階まで連れて行くための。

「ほな、行くか」
板津部長はそう言って立ち上がった。
そこには、いつも通りの、とても厳しく非の打ちどころのない、言ったことは必ず最後までやり遂げてしまう板津部長の姿があった。
「はい!」
僕も板津部長の後に続く。
不思議と先程まで感じていたような緊張感はなく、身体中に自信が漲るような感覚があった。
これから向かう三屋百貨店で、トラブルがどう収束するかはわからない。
しかし、たとえどうなろうとも僕は全力を尽くそう。
そして、結果を全て受け入れよう。
僕だって、板津部長と同じように一杯千円もするコーヒーを飲んでいたのだから。
あ、でも、自分でお金を出してないから、意識は全然高くなってないかもな……。

***

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