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「体が不自由な人が苦手だ」と言ってはいけませんか?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(ライティング・ゼミ特講)

 
 
私は体が不自由な人が苦手だ。どう接していいかわからない。彼ら・彼女らはたぶん生活の多くの局面で困っていて、私たちはそれを手助けしなくてはならない。だって私はいわゆる健常者だから。それは当然のことだとされている。
 
本当に当然なのだろうか。
 
彼ら・彼女らは、本当に助けを求めているのだろうか? 余計なお世話だと思っていないのだろうか。もっと言えば、自己満足のための優しさに付き合って笑顔を見せるのが苦痛じゃないのだろうか。
 
街中で白い杖の人や、ゆっくりカクカクとしか歩けない人。車椅子に乗っている人。そんな人たちを街中で見かけると、なんだか気が重くなる自分がいる。わかっている、これだけで既に私は人としての何かが失格なのだ。でも、本当に心がざわつくのだ。彼ら・彼女らの一生懸命歩くその姿を見るとざわついて、そして悲しくなる。
 
小さい頃、私にはおオトモダチが居た。
私が幼稚園生で、オトモダチは中学生だった。
 
近くに家は少なかった。それに、幼稚園の同級生とはソリが合わず、一緒に遊ぶことはなかった。というより、私がきっと好かれて居なかったのだろう。だからいつもその年上のオトモダチのところに遊びに行った。用水路の橋を渡った先の、木の家にオトモダチは居た。
 
名前はみゆき姉ちゃんと言った。みゆき姉ちゃんは小児麻痺だった。
 
みゆき姉ちゃんは体の自由がほとんど効かなかった。居間にのべたままの床にずっと寝て居て、テレビを見て居た。面白いテレビがなくてもいつもつけっぱなしにして、そのまま本を読んでいた。調子がいい時には座椅子に座ってたが、大体はおおきな枕を二つ重ねて頭をのせて不思議な格好をしていた。関節がこわばって、どうしても体がまっすぐにならないのだ。遊びにきた私を見つけると、みゆき姉ちゃんはその歪んだ体をもっと捻るようにして私に笑いかけ、90度に折った手首で手招きをした。顔だって自由に動かないから、それは普段知っている笑顔とは少し違ったけど、笑顔だってことはわかった。それに遊び仲間のいない私にとって歓迎されるということはなんだかとても居心地が良かった。
 
「きたよ」
「えーみーこ?」
「うん」
「てーんきは?」
「雨やんだ。ちょっと寒い」
「こーたーつーに入りなーさい」
「うん」
「おーかし、食べる?」
「うん!」
 
しばらくの間、みゆき姉ちゃんの横でこたつに入り、食べていいよと言われたお菓子を食べ、ポツポツと喋った。そしておばちゃんが帰ってくると、私は「帰るね」と素っ気なく言って走って帰った。みゆき姉ちゃんと二人でいるのは平気なのに、他の人が近くにいると、途端にみゆき姉ちゃんと一緒にいるのが居心地悪くなった。
 
小学校に入っても、学校の帰りにみゆき姉ちゃんのところに遊びに行った。みゆき姉ちゃんは高校生になっていた。私は見てないから知らないのだけれど、専用の車椅子に乗って、たまに出かけることもあったのだそうだ。そうやってみゆきい姉ちゃんは受験し、合格した。本当にどうやったのだろう。でもみゆき姉ちゃんは賢かったから、学校に行ってなくても試験なんか合格できちゃうだろう。なんでも知ってるし、テレビの番組表を見なくても全部覚えてた。私が話した幼稚園のお友達のことも、一度聞いただけで全部名前を覚えてた。みゆき姉ちゃんはゆっくりとしか話せないけど、とても頭がいいのだ。
 
小学校も中学年になると、なんとなく一緒に遊ぶ友達ができた。なので、時々しかみゆき姉ちゃんのところには行かなくなった。
 
夏の夕暮れ、久しぶりに用水路の橋を渡った。みゆき姉ちゃんはいつものように横たわっていると思っていた。電気が灯らず薄暗がりになっている木の家に入ると、様子が変わっていた。ベッドが、置いてあった。白い、病院にあるような背もたれが上がるようなベッド。
 
みゆき姉ちゃんは、そこに寝ていた。
 
「きたよ」
「えーみーこー元気やった?」
「うん。姉ちゃんは?」
 
我ながら馬鹿なことを訊いたと思った。みゆき姉ちゃんの鼻先には酸素のチューブがあった。体の調子が悪い人がするやつだって、そんなことはわかりきってるのに。
 
「げーんき。でーんきー点けて。見えなーい」
「うん、わかった」
 
蛍光灯の紐を引っ張って明かりをつけた。早速小さな蛾がその周りを舞った。蛍光灯の下のみゆき姉ちゃんは、なんだか前より小さくなっていた。
 
「えーみこー、大きーくなったね。なーんねんせい?」
「3年」
「おー菓子食べるー?」
「ううん、いい」
「もってー帰ってもよかよー」
「いい。もうすぐご飯だし」
「そーね」
「テレビ、見ないの?」
 
前と違って妙にひっそりとしているのは、珍しくテレビがついてないからだと思い、そう言ってみた。でもみゆき姉ちゃんは首を横に振った。
 
「音がーすーると、頭がいたーいの」
 
もう何もいうことがなくなってしまった。みゆき姉ちゃんの尋ねることに、短く返事をして、その後青白い蛍光灯の下に、沈黙が落ちて行った。帰るに帰れない、そう思った時、おばちゃんの原付が庭先に着いた音がした。
 
「じゃあね! ばいばい!」
 
私は駆け出した。みゆき姉ちゃんが後ろで私の名前を呼んだような気がしたが、そのまま走った。おばちゃんにも声をかけられたが何か言い訳のようなことを言ってまた走った。
 
私がみゆき姉ちゃんに会ったのは、それが最後だった。みゆき姉ちゃんは入院したりしながらも高校を卒業したそうだ。専用の車椅子に乗って、卒業式にも出たのだと、葬儀に行った母から聞かされた。
 
みゆき姉ちゃんは私のオトモダチだった。都合のいいオトモダチ。いつ行ってもそこに居て、相手をしてくれるオトモダチ。でも、みゆき姉ちゃんにとって私はなんだったのだろう。気まぐれでやってくる失礼な子供を。普通のお姉ちゃんなら萎縮して話もできないくせに、みゆき姉ちゃんが体と言葉が不自由だからってなめてかかっていたのだ。彼女だってそうわかった上で、接してくれていたのだろう。本当のところは、知るすべがないことはわかっているけれど。
 
私は、みゆき姉ちゃんと違って自分でどこにでも行けて、大体のことは自分でできる。でも、そんなアドバンテージがあるにもかかわらず、私はこれまで一体何をしたのだろうか。何ができているのだろうか。
 
街中で、体の自由に効かない人たちを見ると、なんだか気が重くなる自分がいる。彼ら・彼女らの一生懸命歩くその姿を見るとざわついて、そして悲しくなる。
 
でも、重くなるのは彼ら・彼女らのせいじゃない。
賢くて優しかったみゆき姉ちゃんが、私の居心地を悪くさせるのだ。ちゃんとばいばいしなかった、あるいはできなかった自分が、心の奥底でまだメソメソ泣いているのだ。
 
私の中でみゆき姉ちゃんは18歳のままだ。
私はそれより随分と年上になったのに、未だにみゆき姉ちゃんに甘えたくなる。体の自由が効かなかったのに、助けていたのは私ではなく、みゆき姉ちゃんの方だった。
 
きっと私は、これから先もずっとずっと居心地が悪い思いをするのだろう。でもそれでいい。だって、みゆき姉ちゃんは「生き」て「居た」のだから。痛みも苦しみのない絵空事や、食べやすい美談なんかではないのだから。
 
 
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2018-04-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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