プロフェッショナル・ゼミ

43歳のスタートライン《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:一宮ルミ(プロフェッショナル・ゼミ)

「私、もうダメです」
とうとう言ってしまった。でも後悔はしていない。

絶対、口にしたことはなかった。
口にしたら最後、私はもう浮上できない奈落の底に突き落とされ、2度とこの世界には戻れないのだと信じてきた。
口にしてはいけない悪魔の言葉だと思っていた。

どんなにキツイ言葉を投げかけられても、理不尽な言いがかりをつけられても、小さなミスを繰り返したって、大きな失敗をしたって、体を壊したって、山のような仕事を片付けることになったとしても、だれの助けも得られない状況だったとしても、これだけは言うまいと心に誓ってやってきた。
おかげで、できるようになった仕事もある、好きになれた仕事もある、「がんばってるね」って労ってもらったことも、「これからも期待しているよ」と声をかけられたこともあった。
それが、私の仕事へのスタンスであり、矜持なのだと思って頑張ってきた。

しかし、とうとう白旗を上げる時が来てしまった。
わかっていた。いつかは、白旗を上げなければならない日がくることを。もう限界だった。やればやるほど、加速度的に増えていく仕事、難題、明日への不安。

職場で大きなトラブルが起きた。
それは、だれも答えを知らない難題だった。皆が頭を抱えて、四苦八苦していた。
日々、対応に追われた。いつ終わるともない途方もない大問題は、私たちに休むことも、食事の時間さえまともに取れない状態を与え続けた。
私に割り当てられた仕事があった。それもまた、答えの見えない長い長い暗いトンネルの中を、手探りでたった一人で進んでいかなければならないような仕事だった。怖かった。出口なんて一体この先のどこにあるのか分からない。そもそもこの問題に出口などあるのだろうか。
やってもやっても、「こうじゃない」「それは違う」と上司に突っぱねられた。
じゃあどうすればいいのか教えて欲しいと頼んでも、上司からの明確な指示はなかった。上司が無能なのではなく、有能な上司でさえ、きちんとした答えを見つけることができないほどの難題だったからだ。

考えても考えても正解は一向に見つからない。
かといって、いい加減に出した答えが間違っていれば、それがほころびとなり、また新たなトラブルを生み出す結果にもなりかねない状況だった。

耐えられなかった。空中で綱渡りするような心理状態にも、このピリピリした環境も。
何より、自分のできなさに。

いつからか、いつも失敗してうまくいかない、惨めな自分の姿ばかりを想像するようになった。絶対にこうなってしまうんだと、自分に言い聞かせるように。
周りの人たちは、あの手この手で自分に与えられた問題を、深く真剣に考え、答えを導き出しているというのに、私は、どうしてもそれができなかった。
手つかずのまま、「あれはできたのか?」と上司に聞かれるのが怖かった。
あの手この手でやってみればいい。そんなことはわかっている。それなのに、もう何もする気が起きなくなっていた。
四六時中、自分を責めてばかりいるようになっていた。
「あの書類できてるのか?」と上司に聞かれれば「ああ、言われるより先に作っておかなかった自分はダメだ」と思い、同僚に「ここを直した方がいいよ」と言われれば「もっとよく考えていれば、指摘されなかったのに」と悔やんだ。
今までなら気にならなかったような、コピーがうまく取れなかった、入力した文字に誤字があった、ただそれだけのことでも、「やっぱり、私がダメな、できない人間だ」と自分のダメさを再確認する材料になっていた。

もうどんなことも乗り越えられないような気がしてきた。

これ以上の難問を与えられないように、自分の席で背中を丸め、嵐が過ぎるのをじっと耐える鳥のように、小さく小さくなっていた。

それでも、「私もうダメです」とは言えなかった。言ってはいけない悪魔の言葉。
言ったら最後、もう元には戻れない。なんとか頑張って、マイナスをゼロに近づける努力をしているのに、とことんマイナスになってしまう。もう絶対プラスには戻れなくなる。
自分を繕って、できるフリをしてごまかそうとした。
そして、そのごまかしさえも「自分は嘘つきだ」とまた自分を責めた。
もうどうしたらいいんだ。
もう、ここから逃げ出したい。
この仕事を辞めればきっと全てがうまくいくに違いない。

逃げ出したい!!
とにかく逃げ出したい!!

とうとう、頭が思考を止めてしまった。何も考えられない。頭の中は、ここで働くことを許さなかった。辞めたい、逃げたい、消えたい、ただそれだけしか考えられない。今日やめるか、明日やめるか、通勤経路と反対側の方向へ走ってみようか、このまま布団から起き上がるのをやめようか。

そんなある日、以前何かで読んだ心理カウンセラーの人の言葉が頭に浮かんだ。
「辛い状況を変えるなら、勇気をだして、今と逆のことをしよう」
そんなことできるんなら、今こんなに辛い思いはしてないよ、と頭の中で悪態をついた。でも、なぜか頭の隅からこの言葉が離れなかった。

その日、出勤し、机に座ってパソコンの電源を入れ、起動するのを待っていた。
パソコンの起動画面を見ながら、ふと思った。
もう、こんなに苦しいのは嫌だ。この苦しみから抜け出したい。がんばってもがんばっても、自分が自分を認められないこの状況にいるのに疲れた。飽きた。
もう、この負のスパイラルから抜け出したい。

「辛い状況を変えるなら、勇気をだして、今と逆のことをしよう」
また、頭に浮かんだ。もうやるしかない。

「すみません、ちょっとお話があるんですが」
上司に声をかけた。

会議室で向かい合わせに着席して、数秒もしないうちに、私は話し始めた。この決意が変わらないうちに言わなければ。あの悪魔の言葉を。
「私、もうダメです。これ以上がんばれません。頭が働かない日が増えてます。考えがまとまらなくて、仕事ができません。すみません」

白旗を上げた瞬間だった。
悔しかった。今まで積み上げて来たものを捨てることが。
恥ずかしかった。とうとうすべてをさらけ出してしまうことが。

白旗をあげても状況が変わることはないだろう。それでもいい。
とにかく、今までの逆をするのだ。

上司には、叱られる覚悟だった。
こんな甘いことでどうする!
お前以上に頑張っている人がいるというのに、お前は簡単に逃げるのか! 
そんなやつなら、この職場にはいらない!
出て行け!
と言われるだろう。

しかし、上司の言葉は違っていた。
「大丈夫か。この先、続けられるか。無理しなくていいから。心配しなくてもなんとかなる」
という優しい言葉だった。叱責なんか一切されなかった。

もう無理して、頑張らなくていいんだ。
できるフリしてごまかすことも、できない自分を責める必要もないんだ。
だいたい「もっと頑張れって言われるに違いない」なんて、自分が「頑張ったらもっとできる人間だ」と思われていると、思っているってことで、勝手に自分を過大評価しすぎなんだよ。どれだけずうずうしくて傲慢な人間なんだよ。
そんな自分に呆れた。

「自分はそんなにすごくないし、それでいい」
そもそもだれも私に期待なんかしてないのだから。それなのに、
「頑張れって言われても頑張れない」
「自分は何もできないダメな人間だと思われているに違いない」
なんて、勝手に妄想して、勝手に落ち込んで、自分を責めて。
このバカな一人芝居に笑いさえでてくる。

その時から、状況は全然変わってないのに、周りを見渡す余裕が生まれた。
周りを見れば、この大変な状況の中でも、お互いに助けあって、私の小さな相談に快く乗ってくれる、この大変な状況さえ、うまく茶化して笑いに変えて、暗いトンネルの中にいるような日々の中で、少しでも明るくしようとしている同僚の姿があった。そして、皆を気遣いながらも、時に厳しく、時に優しく、自ら先陣を切って苦しい状況に立ち向かう上司の姿があった。
私は、こんな素敵な人たちに囲まれて、守られながら、働いていたことに、なぜ気がつかなかったのだろう。自分を責めることしかせず、他人に気遣いすらできず、周りの人の温かさにさえ、気づこうとせず、ただひたすら「苦しい自分」という殻の中に閉じこもって、「自分はダメな人間だ」と呟き続けるだけの自分。
自分が辛いのを職場のせいにして、この仕事を楽しくしようとしなかったのも自分。
全ては、勝手に理想の自分を本当の自分だと思い込んだ自分が妄想の作った世界だった。

でも、もういいのだ。
「自分を責めていたのは自分だけ」
「だれも自分に期待なんかしてない」
これが、本当の世界。そして、世界は優しい。

私は、この春この戦場のような職場を離れた。
突然の異動の辞令に驚いた。
そしてまた、上司も私同様ここを去ることになった。

先日その歓送迎会が行われた。
挨拶に立った上司が、挨拶の途中涙ぐんだのだ。
「ここまで、あえてみんなには厳しい言葉をかけ、この戦場を乗り切ってきた。みんながここまで誰一人として、潰れることなくがんばってくれたことが本当によかった」
と。
私も、もう潰れる寸前だった。でも、あの日、とうとう白旗を上げたことで、潰れなくて済んだ。そして、白旗を上げたときに、上司に優しい言葉をかけてもらえたことが何よりの救いだった。そして、自分の勝手な思い込みから抜け出すことができた。

この1年間がなければ、得られなかった。
自分の心のあり方を変えることのできた1年間だった。
もう自分はダメだなんて自分を責めない。
いや、また責めてしまうこともあるかもしれないけれど、きっと軌道修正できると思っている。

「自分を責めていたのは自分だけ」
「だれも自分に期待なんかしてない」
そのことを知った、今ここが私の本当のスタートラインなのだ。

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